第7話 それから

 目の前には何も妨げるものもなく、遠くまで突き抜かれたようにくうがあった。

(これが、そらだったっけ?)

初めて目を開いたばかりの雛のように、なずなは、双眸そうぼうの感覚を感じた。

10月の秋空。土曜日―15時を過ぎた頃。

今日は雲一つなく、天候に恵まれている。

秋晴れ。それなのに、澄み切った空に清々しさを味わうこともなく…。


(否、そうじゃない。

 先週…ううん、日曜日、わたしは、

 わたしは、行ったのよ。招待されたの。

 抽選で当たった十数名のファン限定の…

 小説家、 (なりた かなで)さんの  に。)

 

 それはひと月前。

仕事から帰宅し、玄関の郵便受けからいつものように新聞を取ると、その下から、ひまわり―控えめなひまわり色の封筒が出てきた。その封筒は、役所から送付されるような形式ばった質素なものでもなく、かといって業務用のダイレクトメールのようににぎやかだけれども安っぽい手紙でもなく、しっかりとした厚みのあるひまわり色の封筒で、さらにお洒落に、淡くレモン色で唐草模様が施されている。陽の光に恋したレモンがひまわりに口づけをしているような、そんな淡い調和を重ねたデザイン。

表には、濃いグレーで“雁井 なずな様”と描かれていた。

なずなは玄関に入ると、待ちきれず封筒を見つめ直し、息をのみ神経を集中させて丁寧に開けた。

それは、差出人は出版社からで、小説家、成田 奏の新作書籍の展覧会の招待状だった。

なずなは、招待状にあまりに驚いたのか、なんなのか、ピリッと衝撃でしびれ感激したが…、ほんの一瞬だけ。

すぐに身体は冷たく強張り、嬉しさで軽やかになった心は、再び日常の重さを取り戻した。

 

(誰か誘う?)

招待状を本物だと確信した時、そう思った。一人で行くなんて少し怖い。

だけど、招待されているのは一名だけ。しかものみだそうだ。

(どちらにしろ、友達なんて一人きりしかいないし、その友達も日曜日は仕事だ。)

そんな時、すーっと深く深く空気を吸い込んで、ふーっと煙を吐くように息を吐きだす。ヘビースモーカーを演じてる気分で。

なずなは、煙草は吸わない、吸えない。だから、煙草は異世界の様で。いつの日か見かけたテレビ映画の悠々と煙草をふかすワンシーン。俳優さんは、ハンサムで、ちょっと悪っぽかった。

“わたしは傷口にも動じない

そういうポーズ。だけど本物の煙草は吸えない。


 そもそも、招待状が出版社から届いたのは、成田 湊の新作書籍を予約したからだった。

以前からメディアで名前が知れていた。ここ数年で盛んに騒がれていた。

「現代的な若者の心を代弁している。しかし、はっきりした答えのない自由な小説」そんな風にどこかの番組やら雑誌だかに書かれていたような。

(そうなんだね。また新しい才能ある人が現れたんだ。)

でも、流行に真っ先に乗る性格ではないなずなは、斜め遠くからその様子を聞いていた。


 そんななずなが、突然新作の書籍を予約したのは…

絵 のせいだった。

それは、テレビCMで映し出された。ちょっと軽く俯いて微笑む女の子の絵。

淡い色合いで書かれ、水彩絵の具が滲む感じに胸がときめいた。

(そうなのよ。

 いつもこんな天使のような乙女の絵が描きたいって思ったの。

 でも、わたし不器用だし絵の才能もなくて、

 心は感情が溢れて、いくつも声にならない声でいっぱいになるのに、

 文章で書くには何か違うし、

 絵を描きたくても描けなくって。)

まるで、自分自身の心の筆をとって描いたように、しっくりマッチする絵に一目惚れしたのだ。

その絵は、成田 湊さんの新作書籍。短い詩の絵本だそうだ。

そして詩文だけではなく、挿絵も成田 湊さんが描いていると知った。

なずなは、夢中で、成田 湊の今までの作品を調べた。

(あった。)

一つだけ、成田 湊、自ら描いた挿絵の小説、『神は僕と彼女の琴線に触れる』があった。

あらすじと表紙絵を見た。幻想的で複雑だけれど柔らかな抒情を描いているらしいこの作品、まだ読んでないけど、きっととっても好み。まるでなずなの心のピースにそっと重なるように。

以前の作品の小説を買おうと思った。

だけど、やめておいた。

最初から、ドンピシャなくらいときめた新作を先に読みたかった。

前作はその後が良かった。



 (服屋に新品を買いに行くのも違うし)


なずなは、部屋の小ぶりの姿鏡に自分を映した。

黒闇色の生地に淡い黄みがかったベージュと白の小花柄の2ピースの服。優しく鎖骨が少しみえるくらいのゆるやかなシルエットの7分丈のチュニックに同じくゆったりした膝丈のスカート。照明を落とし、昼の日がカーテンから透けるお昼過ぎ、馴染みの古着屋で手に入れた2ピースの服は、なずなの素顔を静かに隠した。

優しく閉めたドアの向こう側に、いつもの自分を置いて行ったなずなは、まるで自分が映画の町行く人の一人になったような心持ちで澄まして歩いた。踵の低いブラウンのパンプスが道を軽やかに進み、そして招待された町のビルの一室に辿り着いた。


 招待状で客を制限していたせいか混雑していなく、日常の一コマにふらりと訪れたようなそんな普遍性を感じる。


 初めて入るビル、入り口に入るとそこはやや狭く、受付があった。ベージュのカジュアルなスーツに身を包んだ受付の女性に招待状を見せると判を押され、中に通してもらった。受付から中を入ると少し通路になっていた。照明は橙色で薄暗く少し歩いて奥の扉を開けた。

―目の前に女性の絵と目が合った。

といってもその女性は目を細めていた。

夜の月と星の光のみに照らされ光が混じる湖畔の水面に横になり顔をよせ浮かぶ美しい女性。月と星の光は、夜の闇色を幾分も際立てて水と戯れる女性を幻想的に演出していた。

なずなは、ふっと息をのみ、日常を捨て去った。

『少女と水と息』

絵の左隅にそっと新作詩本の題名が金字で書かれてた。


 そのまま絵の描かれた壁沿いに進むと次の角に文字があった。

“「朝なんて来なければいいのに」目覚めの言葉を囁いた”

“朝日、が、私の体中を育てているとしても。”


 また扉があった。

なずなは夢中で開けた。

目の前は開けた部屋。

奥行きがあるように見えるが、100人入る大学の教室よりも少し狭いだろう。

天井からビーズを通した糸のようなものが垂れ下がり、そこにオーロラのようにきらめく雫が、大小さまざまな大きさでぶら下がっていた。

全体をざっと見渡すとまるで雨粒のようだった。

右の方に文字も天井からぶら下がっていた。

“雨つぶは 私の視界を塞ぐ”

"それに今日、生活費を稼がなくては”

”どうして、ずぶ濡れ”


雫が一つ二つと手の届く距離にあり、そっと裏側を覗いた。

“来て”

短い言葉だった。

“見て”

“あつい”

“さむい”

“冷たい”

“来ないで”

“行かないで”

ひとつひとつ見渡すと雫の裏にそれぞれ一言、記されていた。


 左隅に扉がありあけるとまた薄暗い通路。

ただし通路の壁に絵

目を大きく開けた女性の絵

笑っていない無表情。

片手を頬に添え、最初の絵とは違って真っすぐこちらを見据えていた。


“前を横切る 誰かも邪魔者”


 次の扉を行くとまた通路になっていた

壁には木の葉をモチーフにしたような、ツタのような柄が、暗がりの壁で一本だけ、光っていた。木の葉が照明を反射していた。


“ゆく道の 名も知らぬ 変わり映えしない建物、建物”


 更に扉を開けた。

心なしかこれまでよりも扉が重く感じた。

すると奥の方から照明の光が差してきた。

足元がふわりとし、作り物の草やら花やらが下にひかれていた。そして壁に、幾重にもツタが絡み合っていた。


そして眺めているといくつか文字が浮いていた。


“壁にポスター”

“映る時代の寵児 四角い艶紙の中…”


出口の扉に

“行く、道、を、見つけた”

とあった。


なんとなくこの扉が最後のような気がした。


 開けるとひらけた空間があった。


床には先ほどのように作り物の草や花がたくさん敷かれ、そして真ん中に大きな一本の大木がたっていた。

大木には幾重にもツタがからまり、ツタからは白い花が咲き乱れる。

空は濃い橙から上の方は段々と紺色の闇に染まっていた。日の入りのモチーフの天井だった。いくつか星も少し散らばっていた。


 


 なずなは、会場を後にした。

目にはたくさんの絵が焼き付いていた。


 


 それから一週間近く。

平日は仕事だったので、日常に集中していたが、いざ土曜日が来るとなとなくまた蘇ってしまう。

“成田 湊 新作書籍展覧会”

特に最後に見た大木は圧巻だ。

うねった幹が太々しく、枝も空を目指してあちらこちらに伸び、くねくねとしたツタと絡まり合っていた。

作り物には違いないが、息をしているかのようだった。


 「はー。」

 と、ため息。。

(このまま夢を見ていたかったな。)

現実に呼び戻され、寝起きが悪い子供みたいな自分だと、なずなは苦笑した。


トゥルールン…

もう一昔前の電話機のような着信音が突然なりだした。

 「はい。」

 鳴ったのは、なずなのスマートフォンだった。

 「え?」

 なずなは呻いた。


 受話器の奥からは、こんな声が聞こえた。


 「雁井 なずなさんですか。

  突然の電話すみません……

  作家の成田 湊です。」


 耳を疑う様に、ぽかんとしたなずなは、宙を見、

そして、人通りの少ない田舎の街道の向こう側に、背の高い、

“成田 湊”、の、瞳を見つけた。

もっとも帽子をかぶり、マスクをしていたけれど。



……。


 成田 湊が近づいてきた時、なずなは言った。

できるだけ声量を下げ落ち着こう、落ち着こうと努めながら。

 「わたしはいつも人から離れていた。

  生まれつき不器用だし、気も利かないし。

  どうにかして出来ることを積み重ねてきたけど、

  失敗が山のようになって。

  本当いいとこない、

  とりえがないわたしなの。


  思い描いたもののうまく自分で作り出せなくて。

  

  でも、わたしが描きたいもの、わたしの心を揺さぶるもの

  成田 湊さんの作品は、そうだった。

  

  わたしの感性もきっと生きていける

  そう思えたの。」

 

 なずなの言葉は、まるで幻を…光の加減でなまじっか映し出された陽炎のような成田 湊さんの存在をあらがうようだった。

 「、、大丈夫? 驚かしてごめん。」

 壊れものをそっと包むような優しい声がした。

 「良かった。これからも、生きていける。」


 これからの方が、始まりなのだということが分からなかった。

今、受け止めた幸せを、胸に落とすことが精一杯だった。

  








 

 

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空に生きる 夏の陽炎 @midukikaede

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