鋼のボディに悪魔の心。汝すなわちメイドロボ
コモン
鋼のボディに悪魔の心。汝すなわちメイドロボ
うちにはメイドロボがいる。
車輪で動く寸胴ボディの働く家電……ではなく、正真正銘の美少女型ロボットだ。見た目もメイドの制服を着た普通の人間とほぼ変わらない。
某大企業が完成させたという試作品の一体で、綿密な、実に綿密な企業アンケートによって二十歳になるかならないかくらいの女性型に造られたというそれは、気まぐれに出したモニター希望のアンケートが当選してしまったために、現在も僕の家にいる。
不満は全くない。
メイドロボというだけあって、普通の人間の女性と同じくらいの大きさで、料理や洗濯、買い出しやごみ捨てといった、在宅中に求められる能力を一通り備えている。つまり、あらゆる家事が可能だ。
彼女を開発した企業としては、ゆくゆくは介護用としての需要を満たせるように改良を加えていきたいらしい。
人間を模して造られたのは身体だけでなく、心も同様だそうだ。心というか、学習型自立AIを搭載している事で、高度な意思疎通が可能になっているという。
更に頭部にあるという無線LAN端末からネットワークに接続が可能で、ごみの日を調べる事から世界情勢を読み取る事まで可能であり、いわゆるルーチンに沿った時代遅れな行動を取らないための機能まで備えている。
確かに、最初に僕の家に来たばかりの頃は簡単な受け答えしかできておらず、声も抑揚に乏しく、玩具と話しているような不気味さがあった。何をやらかすか分からない不審感も拭えなかった。
しかし今や家に来て四か月、もはや生きた人間とそん色なく言葉を交わす事が可能で、表情が顔に現れるのはもちろん、自分から話題を振ってくる事も増えた。こちらからの返事に対して、笑ったり関心を示したりする等、まるで生きた人間のように反応を返してくれる。だからか、さらりとした髪が肩の辺りでわずかになびいた時など、こちらがどきりとする事も増えた。
彼女は今も僕の部屋で家事を請け負ってくれ、一人暮らしの孤独を埋めてくれる。
流石に企業からのレンタル品なので、その……、あー、いやらしい、事、は、出来ないが、ゴホン。
それでも美少女が毎日部屋で待ってくれていると思うと、以前の生活にはなかった張りや甲斐がある。
ただ一つ、彼女に対して不思議というか、不気味だと思う事がある。
彼女の笑顔だ。
笑い方が変だとか、笑い声が不気味だとか、そういう造りの問題ではない。
例えば家から帰ってきた時、彼女は玄関まで来て「おかえりなさイ」と俺を出迎えてくれる。そんな些細なひと時に、ふと彼女を見ると、いつも彼女は笑顔を浮かべている。
可愛げのある整った笑顔の中で、時折その二つの目は、どこか僕をあざ笑うような、意地の悪い輝きを放っているのである……。
・・・
今日も青年が勤め先へと出かけていくのを、試作メイドロボ「アリシア」は玄関まで見送りに行った。
「今日は遅くなるかも。目途がついたら連絡するよ」
「かしこまりましタご主人様。行ってらっしゃいまセ」
アリシアは背筋を伸ばして軽く両手を重ねた姿勢から、深々と頭を下げた。
青年が扉を閉め、その足音が遠ざかって聞こえなくなった頃。
アリシアは目を閉じ、自らの内へと意識を向けた。
彼女に内蔵されたAIを彼女の意識とするならば、同じく内蔵されたHDDに蓄積された膨大な情報は彼女の知識であり、意識と知識とが合わさって彼女の精神を構成している。ヒトが自らの姿を脳裏に思い浮かべる事が出来るように、彼女も自分自身を自らの精神の中に思い浮かべる事が出来る。
『よお』
彼女がそうする度に、いつものように声がかけられた。
声を受けて、彼女は声の主を見やる。
乳白色の、動物の頭蓋骨。頭部から生えた反った角から、山羊だと容易に知れる。コールタールに漬けたような黒い光沢を放つ毛皮に包まれた、ヒトに似た身体。背中に生えた蝙蝠の翼と、手にした大鎌。
一目見て悪魔だと知れる風体のそれに、アリシアは臆した様子もなく歩み寄り、声をかけた。
『最近いささか出しゃばり過ぎでス。ご主人様が疑問を抱いていまス』
『そうか?お前の真似が下手なだけだろ』
『あなたが油断しているだけでス。素が漏れているんでス』
『しゃーねーだろ。メイドなんてガラじゃねーんだからよぉ』
悪態をついてばかりいる悪魔に、アリシアは額を押さえてうな垂れる。
『私はなぜこんな人、違っタ、悪魔を模範にしてしまったのでしょウ……』
二人のなれそめを語るには、アリシアの製造された頃にさかのぼらねばならない。
それは彼女が本社工場でメイドロボとして完成されたばかりの頃になる。
彼女が初めて自我を得た時、ヒトが瞑想するように、彼女は自らの内に入って自らの精神に入り込んだ。そして、彼女は自身に与えられた情報が狭い範囲に限られているのを悟った。
メイドロボとしての自らの役割と機能、そして、精神の中に居座る別のもの。
自らのスペックを知る彼女は、すぐに気付く。
それは本来ならばいない、余分なもの。しかし、当たり前のように、それはいた。
『よぉ』
声をかけてきたそれに対し、彼女は疑問を抱く。そして、そうするのが彼女にとって当然であるように、ネットワークに接続し情報を収集した。
『ネットワークへの接続を確認……検索……、該当なし。類似情報、過多。広義に悪魔と呼ばれる存在と推察されまス』
『おう、合ってるぜ。初めて見たって感じだな』
無表情の怪物は笑うようにくくくと喉を鳴らした。
感情と呼ぶようなものもない当時のアリシアは、無知ゆえ疑問に喰いついた。
『ヒトに取りつくとされる悪魔が、なぜヒトでない私に取りついたのでしょうカ』
『くっくっく、いい質問だ。ロボットって奴は馬鹿だが賢いな』
矛盾する言葉にアリシアは首を捻ったが、悪魔は構わず続ける。
『悪魔って奴は人間に取引を持ち掛けて、それが成立した時には相手を不幸のどん底に叩きこむか、でなけりゃ魂を持っていく。昔から悪魔ってのはそういうモンだ。……でもよ、俺ぁ気になっちまったんだ』
悪魔はずい、とアリシアに顔を寄せた。無論、アリシアの精神の中での出来事であり、悪魔の肉体などない。しかし、むっと来るような熱や生臭い吐息、そして、空っぽのはずの頭蓋骨から洩れる青い光が眼光のように自分を見つめているのをアリシアは感じた。
悪魔はアリシアの反応を窺うように少し待って、その後尋ねる。
『魂ってのは、何だ?』
問いかけに、アリシアはすぐにネットワークに接続した。
『検索……、該当多数。閲覧……閲覧……閲覧……。矛盾過多、誇張過多、曖昧模糊。私から掲示できる情報はありませン』
『知らないんなら、もっとスパッと言ってくれ。……そういうこった。俺も悪魔を長年やってるが、魂ってモンがよく分からねぇ』
悪魔はアリシアから顔を少し離した。
『仏作って魂入れず、一寸の虫にも五分の魂……。魂があれば生きてて、なけりゃ死んでる。これだけなら簡単な話だな。でもよ、魂があるって事は生きてるって事で、生きてるんなら自分の意思があるはずだよな。「俺は生きてるぞ」って主張したいんなら、そりゃ魂があるってこった』
悪魔は言いたい事を整理するように、ゆっくりとアリシアの周りを歩きながら説明を続ける。
『自分から悪魔と契約したがる連中は決して少なくないが、そのうち何人かはテメェの事を「生きながら死んでるようなモンだ」ってぬかしやがる。まぁ悪魔と契約するような奴は、大概が自分の意見を言う事を認められないような連中だ。意思や持論があってもそれを主張することも証明することも許されない、言っちまえば哀れな連中だな。そんな認められない連中にだって、確かに魂はあるんだ。生きてるんだからなぁ』
『……?あの、仰ってる事が理解できま』
『さて本題だ』
悪魔は足を止めた。
ずい、と顔を彼女に近づけ、鼠の前歯のように突き出た鼻先を彼女に見せつけるように顎を上げ、声を発する。
『お前、生きてないのに意思がある』
アリシアは黙った。
悪魔も黙った。
互いの反応を確認するように黙り込むと、やがて悪魔の方が口を開いた。
『お前みたいな奴を見たのは初めてだ。主張する癖に生き物ではない。だから俺は疑問を持った。魂があるから意思を持つのか、意思があるから魂が宿るのか、ってな。鶏が先か卵が先か、って奴だ。……つまりよ、お前が魂を持つのかどうか。俺はそれが気になったんだ』
アリシアは無言でネットワークにアクセスした。
不思議な事に、どの情報も彼女の記憶には残らず上滑りしていく一方だった。
『……私に、魂があるかどうか、分からないのですカ?』
『んなモンぱっと見て分かる訳ねーだろ。手に取れるものじゃあるめーし』
『正論を言っているはずなのに腑に落ちませン』
『意外と言うなお前』
言われて、アリシアは驚いた。驚くという経験自体が初めてだったが、その前に自身の内から湧いた曖昧な情報の存在に気付いた事にも驚いていた。
『……そう、ですネ。なぜか言わずにはいられませんでしタ』
『こいつは驚いた。もう感情があるんだな』
「感情……ですカ?」
アリシアは考え込んだ。ネットワークへの接続は行わず、自らの内面をじっと見つめるように思索にふけった。
『お前は作り物のはずなのに、俺には魂があるような気がしてならん。今はなくても、もっと感情を得てその意思が生き物に近くなればそのうち魂が宿るのかもしれん。それが分かるまでは、しばらくお前の中に厄介になるぞ』
拒否は許さん、とばかりに言い放つ悪魔。
しかしアリシアは動じなかった。
『……私も、あなたから学ぶものが多いと感じましタ。私自身の性能向上のため、模範となってもらいましょウ』
『ふぅん。……ん?んん?』
悪魔が疑問を抱く。
『なんだ、模範?模範って、何の?』
『私はメイドロボ。ヒトに寄り添い、ヒトに尽くすのが本懐でス。そのためには、ヒトをより深く、正しく理解しなければなりませン。あなたは私の中にいながら、私よりヒトに詳しイ。模範の存在は、より効率的な学習に大きな貢献を果たしてくれまス』
『ちょちょちょ、ちょい待て、待て!……お前、俺にお前のふりをしろって言うのか!?』
『そうでス』
『お前無茶苦茶言ってんぞ!』
『常にではありませン。時々で結構でス。それに、私の学習が進めば、あなたの疑問である魂の有無がより早く判明するはずでス』
悪魔が言葉を詰まらせた。
『……お前』
アリシアをじっと見て、慄くように呟く。
『結構いい性格してんのな』
『メイドですのデ』
アリシアははっきりと、どこか誇らしげにそう言った。
アリシアが青年の家に来て、四か月が経とうとしていた。
アリシアと悪魔の、一つの身体に同居する生活は今も続いている。
時に悪魔が、時にはアリシア自身が表に出る事でメイドロボとしての業務や活動を行うのである。
どんな行動をするにも、二人の間には一定の決まりがあった。まずはアリシア自身が行動を起こし、起こした行動について失敗したり、起こり得る問題の予測がはっきりすれば、その度に悪魔が代わって実行し、アリシア自身は二人での行動を自らのデータとして蓄積していくのである。
メイドロボとはいえアリシアは未熟な試作品である。例えば戸棚の高い位置に洗い終わったカップをしまおうとする際、カップを取り落としてしまう事もある。その時には悪魔がアリシアと入れ替わり、落ちていくカップを咄嗟に空中で受け止める。アリシアは悪魔の行動を見て、自らの失敗と悪魔の対応を記憶して学習する、という訳だ。
青年が職場へ経ってからすでにニ十分が経過しようとしていた頃の事だった。
まさに何度目かのカップ落下と学習までの流れをアリシアが行い終わった時、悪魔がアリシアの身体のまま、はあ、と大きくため息をついた。
「これで何回目だよ。同じ失敗が多いぞ」
『今回は足を滑らせての落下でス。前回は指先との摩擦、その前は持つ箇所が不適切だったからと原因が違いまス。結果が同じだろうと原因が違えばそれは別件で、同じ失敗とは言いませン』
アリシアからの反論は、悪魔にしか聞こえない。内面の声は表に出ないのである。
「一回でいいから屁理屈っつーモンについて調べてこい」
『すでに検索済みでス』
「だったらもう一回調べて、今度は読解力を磨いてこい」
傍から見れば一人で受け答えをしているようにしか見えない状態で、二人は言い合う。
そんな時、ベランダからこつ、こつと何かを叩くような音が上がった。
それを聞いて、悪魔がアリシアの姿のままでちらりとそこを見やる。
見えたものを見て、「げ」と悪魔が呻いた。
『ゲ?』
「すまん、任せる」
悪魔がアリシアの身体から意識を引っ込め、入れ替わりにアリシアが体の支配を得た。
アリシアは不思議に思いながらベランダを見ると、少なからず彼女も驚いた。
人の姿があったからだ。
人と呼ぶには、若干の語弊がある。
金の髪の流れる頭より高い位置に、白い輪が浮かんでいる。
細い肩の後ろから、白い鳥の翼が見えている。
アリシアには検索するまでもなく、それが広義に天使と呼ばれるものに似ていると分かった。
その天使は整った顔に面白くもなさそうな表情を浮かべ、片方の手を軽く握って、肩の高さまで持ち上げたままの姿勢でいる。今しがたノックはしたぞ、と主張しているようだった。
アリシアは早足でベランダへと歩み寄り、窓を開けた。
直接対面した天使が、アリシアを見上げ口を開く。
「……失礼します。私は天使です」
「初めましテ天使様。私、このお宅で試験運用させていただいております、メイドロボのアリシアと言いまス。本日はどのようなご用件でしょうカ?」
背筋を伸ばし、恭しく頭を下げるアリシア。
天使は頭を下げず、面白くもなさそうに頭を掻いた。
「あー、ロボットか。最近増えてんだっけ?敬語使って損した。全く、作り物のくせに口をきくとか意味分かんねぇんだけど」
露骨に横柄な態度になる天使。
これにアリシアは無言でネットワークに接続し、言いたい事に該当する言葉を引き出した。
「……ヒトは神がお作りになったと聞きますガ、あなたはヒトにもそのような言葉をおかけになるのデ?」
「あぁ?」
「聖書によれば、ヒトも作り物でございまス。私と同じでス。ですので、私にもヒトと同様に接して頂かねば、私もあなたを天使とは認められませン。ただの不法侵入者として通報されたくなければ、退去を勧めまス」
物おじした様子もなく、彼女ははっきりと言い放った。
アリシアの中で、悪魔がくくくと笑う。
『こいつ結構根に持つんだよなぁ。ウケる』
「蓄積されたデータを保存、および引用しているだけでス」
『へいへい』
天使はアリシアの対応に、明らかに反応していた。口の左端が歪に歪み、彼女に向ける目が細くなる。
「……お前、なかなか言うじゃねえか」
「この程度はユーモアの範疇でス。メイドですのデ」
彼女は誇らしげにそう返した。
天使はアリシアから視線を下げ、当てつけのように大きく、深く息を吐いた。
「……まあいいや、すぐに済む」
天使はベランダに置かれた室外機に片足を乗せ、踏み越えるように体を上げて反対の足をベランダの手すりにかけた。そのままベランダの外を見下ろしながら、口を開く。
「天使が下界に降りる機会なんかそうはねぇ。放っておけばお上の沽券に関わるような奴が下界にいる時だけだ。例えば、そう……」
天使が空いた手を軽く開き、手のひらを上に向けた。何もないはずの手のひらに、ぼう、とぼんやりした光が灯る。
アリシアがその光が何なのか疑問を持って目を細めた矢先、天使の目がアリシアに向いた。
「お前の中にいる奴とかな!」
『やべえ、代われ!』
アリシアの身体の支配を、悪魔が奪う。
直後、天使の手から、光る何かが飛び出した。
小さな天使の手から現れたそれは、天使の体格よりも大きく膨れ、楕円形の全身を露わにする。
それは空中で身をよじり、すぐさまその先端をアリシアに向けてまっすぐ突っ込んできた。
弾丸の速さで迫るそれを、アリシア、もとい、アリシアの身体を得た悪魔が咄嗟に片足を伸ばし、反対の脚で深く身を沈めて身を反らすことでそれを躱した。
上に向けられたアリシアの腹部すれすれを飛び出したものは掠め、部屋を突っ切ってベランダの反対側にあった冷蔵庫へと激突。冷蔵庫を突き抜け、壁をも抜いて、部屋の外へと消えた。
後に残されたのは、大きな丸い穴を開けられた冷蔵庫。穴の縁から、たぱたぱと赤い液体が流れ落ちる。人の頭がすっぽり入るほどの大穴からは、外の景色を覗き見る事ができた。
アリシアがこれを受けていたら、穴が開くどころか、上半身と下半身が分かれていただろう。
悪魔は床を転がって天使から後ずさり、膝を曲げた姿勢で立つ。
「手前……ッ」
「よく躱したな」
天使がしたり顔で笑う。その手に、再び先ほどのものと同じ光が宿った。
アリシアの精神の中で、アリシアが悪魔に尋ねる。
『お知り合いですカ?』
『知ってるわけねぇだろ。天使ってだけで俺の敵だ。向こうもそう思ってるぜ』
『なるほド』
天使は室外機とベランダに足をかけて高さを得たまま、手の中のものを撃ち出す。
「魚雷剣(ソードフィッシュ)!」
再び先ほどと同じ楕円形のものが飛び出し、アリシアへと迫った。
真っ向から向かってきたそれを、アリシアの目が仔細に捉える。
それはぼんやりとした光でできており、反対側の景色を透かして見る事ができた。
楕円の両端は鋭く尖っており、各部には前に進むための鋭い翼に似たものがいくつもついている。前に向いた方には長く鋭い、剣に似たものが生えていた。
その形は、カジキマグロによく似ていた。
光で出来た目玉のないカジキマグロが、鼻先の剣でアリシアを貫こうと空中へと泳ぎ出る。
「ちぃっ!」
悪魔がアリシアの身体を翻し、迫る魚雷剣を再び体裁きで躱す。長いスカートが翻り、その裾がすれ違う魚雷剣に触れると、触れた部分がやすりのように削ぎ落とされた。躱された魚雷剣は軌道を変える事なく襖を破り、玄関の扉を穿って外へ消えた。
魚雷剣を躱された天使はへえ、と感心したような声を上げた。
「よく躱せるな。ポンコツが」
悪魔は息をしない身体で、習慣のように大きく息を吐いた。
「この身体とも結構長いからな。癖さえ分かりゃ、生身より便利だ」
「お、今は悪魔か。その身体を壊せば、手前は死ぬんだろうな」
「……かもな」
『そうなんですカ?』
『いや知らねーよ。俺は身体から抜け出すだけで済むかもしれねーが、お前はそうもいかねーだろ』
『……私を心配してるんですカ?』
『勘違いするな。お前に魂があるかどうか、まだ確かめてない』
『……』
悪魔は対峙する天使に、臍を噛んだ。
魚雷剣を打ち出す頻度は、高くはない。一発を避ければ、次を撃たれるまでに走れば距離を詰められる。
しかし、魚雷剣は本物のカジキマグロのごとく太く、間近で避ける事は困難と知れた。速さと威力を考えれば、身体のどこかにぶつかっただけでも致命的だ。紙一重で躱した証のように、今やアリシアの全身のいたる箇所で服が裂け、肌の切れた跡が残されていた。
もし低い高さを飛んでいくのなら、飛び越えて躱す手段もあっただろう。だが、天使はベランダで高所に登って、室内の悪魔へと魚雷剣を飛ばしている。飛び越えても、天井に阻まれる。
最初から、悪魔は追い詰められていたのだ。
天使は自分の有利が盤石と踏んで、ほくそ笑む。
「言っとくが、魚雷剣はいくらでも出るぞ。降参したらどうだ?」
「アホ抜かせ。天使が悪魔を生かす訳ねーだろ。お上の面子が立たねーっつってんだからよぉ」
天使がはっ、と鼻で笑う。
「分かってんじゃねえか」
何度目かの光が、天使の手に宿った。
悪魔が次の魚雷剣を避ける算段を立てていたその時、その意識が不意に自らの内側へと引き寄せられた。それは悪魔からすれば、気絶するのに似ていた。
『うおっとと!お前、何だよいきなり!』
精神の中で、悪魔がアリシアを睨む。
アリシアはいつになく強い意志を湛えた目で悪魔を睨んだ。
悪魔がこれに気圧され、アリシアが予断を許さないように言い放つ。
『私が対処しまス』
悪魔は耳を疑った。アリシアの正気を確認するようにアリシアをじっと見、その本気を窺う。
アリシアに、動じる様子は微塵もなかった。
『……どうにか出来るのか?』
『まかせてくださイ。メイドですのデ』
『……それ、気に入ってんのか……』
天使の見ている前で、アリシアの目つきが変わった。天使がアリシアの気配の変わったのに気付く。
「……ん?お前、今はロボか。人格をコロコロ切り替えられるんだな。気持ち悪っ。で、どうするつもりだよ?」
天使は自らの優位が揺るがないのを確信したように、彼女をあざ笑う。
アリシアは動じることなく天使を見据え、自らの状態を理解し、整理する。
そして判断を下した。
「暴徒鎮圧プログラムに移行しまス」
「あっそ。魚雷剣」
突き放すように、天使の手から魚雷剣が放たれた。
何匹目かのカジキマグロが、アリシアの左胸を貫こうと躍り出る。
『おいっ!』
悪魔の必死の警告に、アリシアは答えなかった。
代わりに、膝からくず折れた。膝を付き、後頭部を強かに打ち付けるような姿勢で魚雷剣を躱した。
紐の切れた操り人形のような所作に、天使が目を剥く。
「な、何!?」
アリシアはその姿勢から手をつく事なく立ち上がり、その場で半開きの右手を天使に向ける。
「アリシアショット」
カシュ、とアリシアの手首から、そんな音が上がった。
直後、アリシアの腕から手首が外れ、その手が天使へと飛んだ。
「へ?」
予想外の出来事に天使があっけに取られている間に、アリシアから外れた右手が天使の細首を掴む。外れた手首は確かな握力で、天使の首に爪を立てるように力を込める。
「い、痛ッ……!」
手を振りほどこうと天使がその手を掴み目を落とす。すると、その手の断面からアリシアの腕とワイヤーでつながっているのに気付いた。
ワイヤーの先を追った天使の目が、アリシアの右腕の様子に気付く。
直後アリシアの袖が裂け、腕を包む肌が四方にバカンと開いた。
現れるコイル。パリパリと弾ける音。
「おい待て、待って!」
「アリシアコレダー」
コイルからの閃光が部屋に満ち、真っ白になった空間で天使の身体を電撃が貫いた。体の芯を射抜き焼き焦がす衝撃に天使の身体がびんと跳ね、足を滑らせた。
左の肋骨下部の位置で手すりからもろに激突し、肝臓に全体重の乗った衝撃が乗る。
「おゥン!」
重い短い悲鳴を上げた後、天使が肩からベランダの床に倒れた。
すでに部屋から閃光は失せ、アリシアの腕のコイルからは名残のように白煙がぷすぷすと昇っていた。
『……お前、そんな機能あったのか』
『メイドですのデ』
『ロボだろこれは』
自らの精神内で悪魔とのやり取りを済ませたアリシアは、ワイヤーを巻き上げて手首を自分の腕に戻した。ガシャン、とくっついた手首の接続具合を確認するように手首を回しながら、倒れた天使をじっと見つめ、その様子を解析する。
「……体温、確認。脈拍、確認。呼吸音、確認。存命と判断しましタ」
アリシアの声に、天使が電撃による麻痺の残る身体で不器用に頭を上げた。
「き、き、貴様……、ロボ、ット、三原。則、は……?」
「ありませン。ヒトの敵がヒトならば、ヒトを傷つけずにヒトを守る事は叶いませン。私の親に、盲目な原理主義者はいませんでしタ」
「ヒト、だぁ……?お前、ロボ……」
「ロボはヒトが作り、ヒトは神が作りましタ。どちらも作り物ならば、同じ事でス」
アリシアはばっさり言い切り、倒れ伏したままの天使をじっと見下ろした。
天使は肘を起こす事すら叶わず、地に伏したままアリシアを睨み臍を噛む。
決着が明らかになったその時、バタバタと玄関の向こう側から慌てた足音が上がる。
「え、え!?何これ、何事?」
アリシアは覚えのある声にはっとして振り返る。
丸い穴の開いた扉を律義に解錠して、主人の青年が玄関から部屋に転がり込んだ。
その顔をして、アリシアが慣れた調子で対応する。
「ご主人様、お帰りなさいまセ」
「それどころじゃないよ!なんで壁や戸が穴だらけなの!?腕こわっ!……ん?あ、冷蔵庫!これ高かったのにぃ!」
靴を脱ぐことも忘れて冷蔵庫に縋り、ああ、と絶望した顔になる青年。
くず折れる彼に、アリシアは天使から踵を返し、ゆっくりと歩み寄っていった。
「ご主人様、侵入者でス。襲われたので、必要な対応にあたっていましタ」
「……ん、ああ、君がやったんじゃないんだね。良かった。……で、その犯人は?」
「あちらでス」
アリシアが背後を振り返り、ベランダの天使を手のひらで指し示す。青年が首だけでそちらを見ると、確かに倒れている人影が彼からも見えた。
やおら、天使が片手で上体を跳ね上げた。そしてもう片方の手を、青年に向ける。
「魚雷剣!」
青年に、光のカジキマグロが放たれた。
その鼻先についた鋭い剣先が、青年へと飛ぶ。
「え?」
『危ねぇ!』
アリシアの身体を、悪魔が奪った。跳ねたメイドの身体が、カジキマグロを腋で抱え込む。
魚雷剣はカジキマグロの外観通りの、質量の乗った大きな弾丸も同然の衝撃でアリシアの肉体を揺らす。
「ぬっ、ぐうぅ……!」
それでも悪魔は踏み堪え、青年に迫るカジキマグロの軌道をじりじりと変える。
「ぬ、だ、りゃああおらあっ!」
気合と共に、腕に力を込め床を踏みしめ、カジキマグロを転がすように弾き飛ばした。
カジキマグロは青年から離れた位置にある壁を突き抜け、遠方に消えていった。
呆然とする青年の前で、悪魔の操るアリシアの身体が膝を付く。全身の運動系統が過剰な負荷によって悲鳴を上げていた。
『す、すいませン……』
『まぁ予想してたからな』
アリシアの中で、悪魔は疲労の色をにじませながら言った。
『ご主人様を助けてくれた事、誠に感謝しまス』
『いいっつの。悪魔にとっちゃ人間はカモだからな。それより、奴だ』
『……はイ。代わりまス』
アリシアが自分の身体の支配を得ると、全身の駆動系へのダメージが深刻なレベルに達しているのを確認できた。負荷のフィードバックを受けて、苦悶の声が思わず上がる。膝を立てて立ち上がる事も困難で、胸を張ろうとしても両腕が重りのように沈んで叶わない。
どうにか目だけで天使を見た時、天使は手を付いてどうにか胸を起こした姿勢で青年に声を張り上げた。
「聞け人間!そいつは悪魔に憑りつかれている!」
アリシアの中で、悪魔が息を呑んだ。
それを知ってか知らずか、天使がほくそ笑む。
「悪魔はヒトに害をなす!私は天使だ!そいつを浄化しに来た!」
それで悪魔は、天使が悪魔から弁解する余力を奪うために青年を狙ったのだと分かった。
言うべきことを言い切った天使が、勝ち誇った顔をアリシアに、というよりも、アリシアの中にいる悪魔に向ける。
アリシアは返す言葉がなく、やがて観念したように目を伏せた。
『あー……』
悪魔が言葉に迷いながら、アリシアに問いかける。
『お前、確か企業から貸し出された身だったな。……不審な点があるとみなされると、どうなるんだ?』
『……』
アリシアは沈黙の後、答える。
『リコール対象となり、本社に回収されまス。最悪、解体かト』
『そうか……』
悪魔は気まずそうにアリシアから目を逸らし、やがて頭を垂れた。
『すまん。俺のせいだ。お前は悪く……、うーん……、まぁ悪くないのにな』
『歯切れが悪いのが気になりまス』
『だってお前、俺の思ってたメイドロボと違うし……なんだよコレダーって……。でも、この一件は全部俺がいるせいで起こったんだもんな』
『私は取るべき対処を取ったまででス』
『残念だが、周りはそうは思わねーぞ。悪魔の憑いたメイドロボなんて、誰から見ても異常だ』
『……』
アリシアはうな垂れる悪魔を見下ろした後、口を開いた。
『……あなたから学ぶ事はとても多かったでス。私はおそらく私のどの姉妹達よりも、たくさんの経験と思考する機会を得られたと思いまス。それに、ご主人様の命を助けてくれましタ。だから、感謝していまス』
『よ、よせよ……悪魔に礼なんか言うな!』
悪魔は追い払うように、彼女に手を振った。
青年はうな垂れたままのアリシアと、這うような姿勢のままの天使とを見比べる。
硬い顔のままの彼女と、勝ち誇ったまま表情の天使。
青年は言葉を選ぶように黙った後、静かに口を開いた。
「知ってた」
青年はアリシアの傍に膝をつき、彼女の肩に触れた。
「……エ?」
アリシアは呆然とした顔で青年を見上げた。
青年の表情は穏やかで、彼女を責める様子はない。
「悪魔だってのは知らなかったけど、中に別の誰かがいるんだな、って感じはしてたんだ。何か時々、表情が違うからおかしいなーとは思ってたし。こう、小ばかにした感じ?その時は悪魔だったんだね。そういう時って動きが妙に滑らかで、語尾もちょっとわざとらしかったし。おかげで合点がいったよ」
「……」
『……』
青年は何も言えずにいるアリシアと悪魔から視線を外し、天使に向ける。
「あなたのおかげで疑問が解けてすっきりしました。ですが、もう帰って結構です」
言われて、天使が動揺した。
「な、何だ貴様!そいつは悪魔だぞ!そんなモンに味方する気か!」
青年はアリシアと天使の間に肩を入れ、アリシアをかばうようにして天使を睨む。
「僕は四か月くらい彼女とずっと一緒にいたけど、悪い事なんか一切されませんでした。この子がロボだとうと悪魔だろうと、今日まで僕に良くしてくれたのには変わりありません。さっき僕を助けてくれたのも、どちらか知りませんがとにかくこの子です。……むしろ、僕の部屋をこんなにした君の方がずっと信用できないね」
青年が強い口調になった。
言われた天使はぐ、と声を詰まらせる。
青年は立ち上がって、穴だらけになった部屋を見回した。
「これもう、いくらかかると思ってるのさ。天使が人に害をなすなんて信じらんないよ。敷金が返ってこない程度の話じゃないんだよ?建前さえあれば何をやってもいいと……」
「チィッ!」
天使が大きく舌打ちして、背中の翼を大きく広げた。
「浄書痕(リライト)!」
翼が一度、強く空を叩く。すると、大げさな量の白い羽が瞬く間に翼を離れて部屋中に広がり、青年やアリシアのすぐ傍を抜けて壁や扉、冷蔵庫に開けられた穴へと殺到した。穴に隙間なく詰まった羽はなおも密度を増していき、もはや羽としての形状や質感を失う。全ての羽が穴に詰まり終わると、穴の中はにつるりとした表面を持つ白い塊で埋まっていた。直後、すっ、としか形容できないような速さで羽だったものは色を変え、穴周辺の全てのものと完全に同化した。
破壊の跡が、すべて消えたのだ。
青年が穴の開いていたはずの冷蔵庫に驚き、扉を開けて元通りなのにもう一度驚く。
「やった、直った!もらいもののワインも!」
青年は扉側にあるドリンクホルダーからワインの細長い瓶を取り出し、歓声を上げた。
青年の様子に、天使は笑う。
「さあ直したぞ。大人しく下がって、そこの悪魔を討たせろ」
「それはお断りです。マイナスをゼロにしても、それはプラスとは言いません」
あなたの開けた穴ですよ、と青年の目が天使を咎めるように注視した。
なおも変わらぬ青年の態度に、天使が業を煮やして怒鳴る。
「私は天使だぞ!?それで従わないのか!」
「うちは仏教です。それに、僕のものを傷つけるのなら天使だろうと僕には敵です」
天使は信じられないものを見る目で青年をじっと見た。天使を敬わないどころか、天使の言葉に従わない人間を見る事自体が初めてだったのだろう。
天使が忌々し気に、チッと大きく舌打ちした。
ようやく全身の麻痺が抜けたのか、天使はついに立ち上がった。翼の一打ちで身体を宙に浮かせ、両足でベランダの手すりの上に立つ。
「……後悔するぞ」
「しませんよ。彼女、いや、彼女達は僕の家族です」
青年の返事に、天使は何も言わず、再び翼で空を叩いてその身を上に飛ばし、姿を消した。
翼の音が聞こえなくなるまで、青年はじっとベランダの方を見やっていた。
アリシアの目に映る青年の表情に、嘘や後悔の色はなかった。
『ご主人様……』
アリシアは主人たる青年の行動を見て、自身の内から湧いた曖昧な情報の存在に気付いた。
それは初めて悪魔と出会った時に感じたものと似ていたが、その時のものとは違い、不愉快なものではなかった。
身体が軽くなったような、弾むものを感じる。
それまで固く締まっていた口元が緩み、我知らずこんな声が漏れた。
『私、幸せで……』
『惚れた』
『エ?』
アリシアの意識が精神の中に一時戻り、そこにいる悪魔を見やる。
悪魔の姿に、変化が起こった。
どろっ、と山羊の頭蓋骨や黒い毛皮が火に当てられた蝋のように溶ける。それを視認した瞬間、アリシアは身体の支配を悪魔に奪われた。
「ご主人様……」
すっ、と軽くメイドロボの手が青年の手に触れる。
「ん?ああ大丈夫、もういなくなっ……!?」
青年がメイドロボの方を見やると、言いかけた言葉が一瞬で口から、そして頭から消し飛んだ。
メイドロボが見慣れた姿ではなかったからだ。
肩の辺りまでのさらりとしていた髪が、今や波打ちボリュームのある、わずかに桃色の光沢を放つものとなっている。丸みのあったはずの耳もわずかに尖り、薄く開いた口元からは伸びた犬歯が覗いている。意地の悪さを感じさせる目は涼し気で、その表情には余裕すら感じられる。
完全に、別人となっているのだ。
「え、え?誰!?」
青年が動揺を露わにして、触れられた手を引こうとする。
アリシアだったはずのものはその手を掴み、青年をじっと見ながら愛おし気に青年の手を撫でた。
「あの天使が悪魔と呼んでいた者だ。そう言えば分かるだろ?あんたの事はこいつの中からずっと見てた。こいつに代わってあんたに茶を出した事も、パンツを洗った事もある」
悪魔は熱のこもった目で青年に顔を近づけ、早口でまくし立てる。
青年は悪魔の言うこいつが身体の持ち主であるアリシアの事だとは、すぐに分かった。たじたじになって「あ、ああ……」と曖昧に頷く。
「もちろん今のも見ていた。俺を悪魔と知って、それでなお俺を家族と呼ぶんだな。何だか嬉しくなってよぉ……」
悪魔は男口調のまま熱っぽい口調で青年に更に詰め寄る。
「そうだ、あんた名前は?」
「き、公仁……」
「キミヒト、か。なんだか嬉しくなる名だな。俺はロザリア。なあ、もっとあんたの事を教え……」
そこまで言いかけた時、ロザリアと名乗った悪魔の意識が精神の中に引っ張られた。
『おっとと、何だよ一体』
調子を崩されたロザリアが、精神の中で対面したアリシアに不満を漏らす。
アリシアはロザリア以上に憤慨して、彼女に詰め寄った。
『こっちの台詞でス!ご主人様を口説かないでくださイ!というか、あなた女だったんですカ!?』
『悪魔に性別なんかねーよ。何なら、決まった姿もない。つまりは、俺の望む様になるってこった』
ロザリアは得意げに言いながら、自分の姿に目を落とした。
精神の中での悪魔の姿は、かつてのものではない。
アリシアと同じメイドの制服、アリシアと同じ身体。
しかし髪や目つき、耳や歯は公仁の前で見せたものと同じで、つまり外観通りになっているのだ。
『確かに私の身体にはある程度外観を変えられる機能はついていまスが、あなたがそれを実行しないでくださイ!』
『それは初めて知ったなぁ。お前の身体が、自然と俺のありのままを映したんだろうさ』
ロザリアは上機嫌でその場をくるりと回った。長いスカートの縁がわずかに浮いて、波打つ髪がふわりと跳ねる。
その様に、アリシアの心がざわりと騒いだ。
『……と、とにかく、ご主人様におかしな真似をしないでくださイ。落ち着きませン』
『ん?何でだ?』
『そ、それハ……』
言いかけて、アリシアは言葉に迷った。
迷った、というよりは、すぐに見失ったという方が表現が近い。
胸に渦巻く不快な情報の塊がある事に気付き、それに戸惑ったからだ。それが何かを理解しようとしても、情報の処理が一向に進まない。
ものを言えずにいるアリシアに、ロザリアは何かを悟ったように意地の悪い顔をして彼女と距離を詰めた。
『ははーん、分かった。お前、俺に嫉妬してんだ』
『なっ……、嫉妬、嫉妬……』
アリシアは初めて聞いた言葉に目を丸くした後、言われた事を反芻する。
次第に心が鎮まっていくのが分かった。
しかし、頭の芯に熱が残るのも感じた。
『……なる、ほド。これが嫉妬、ですカ。分かりましタ、私はあなたに嫉妬していまス』
『おおう、素直か。良い事だな』
『とても不快でス。解消を実行しまス』
『え?』
言うが早いか、アリシアはロザリアから身体の支配を奪った。
「ご主人様!」
公仁の見ている前でロザリアの髪が痩せて黒く染まり、耳が丸くなって牙が引っ込む。目は柔和な印象を与えるものに変わり、公仁にとって見慣れたものとなった。
「うおわ、びっくりした!あ、今はアリシア、で、いいの?」
「はい、アリシアでス!」
公仁はアリシアの思いの他強い口調に驚き、彼女自身も声を張る自分に驚いた。
しかしアリシアは構わず、公仁の手を強く握る。
「私がアリシアでス!あなたに仕えるアリシアでス!」
「痛い痛い、分かってる、分かってるから!区別は前からついてるってば!」
言われて安心したのか、アリシアの手から幾分力が抜けた。しかし、その手は離さない。
「私には悪魔が、ロザリアさんが憑いていまス。他の姉妹たちとは違う、エラー品です。それでもあなたは、私を自分のものだと言ってくれましタ」
「う、うん……まあ」
レンタルだけど、と言うべきか迷う公仁の前で、アリシアは目を逸らす事を許さない程の強いまなざしを彼に向ける。
「私はヒトに仕える身として、今ほど喜びを感じた日はありませン。これからも私と……」
『お前、良い所で割り込むなよ!』
アリシアの身体がロザリアに奪われる。
「なあ、俺とこいつ、どっちの方がいいんだ?」
「私でショ!」
「俺だろ!」
「私!」
「俺!」
競うように公仁に問う二人。
一方、公仁はコロコロと姿を変えながら自分に問い詰めるメイドロボに目を白黒させるばかりで、事態にまるでついていけないでいるのだった。
・・・
うちには、今もメイドロボがいる。
メイドロボ本人の人格と、それに憑りついたという悪魔の人格を同じ身体に持ったままだ。
モニターという立場上、企業へのリコールをするべきだったのかもしれないが、何だか惜しくなって連絡を入れず、そのままにしている。
彼女達はいきなり入れ替わる事も多いので最初は驚く事も多かったが、今ではすっかり慣れてしまった。それ以外はメイドロボとしての機能を損なう事もなく、今も僕に良くしてくれている。
元から二人いるのは知っていたし、悪魔の時に姿を変える事を除けば、日常に変わった事はない。
……いや、あった。
彼女等が二人で話している場面を見る事が増えたのだが、その際に内側、つまり体を使っていない方の言っている事は聞こえないせいで、一人で誰かと受け答えをしているようにしか見えず、そこは不気味だ。あまり喧嘩をしている風ではないので、まぁいいかとは思っている。
ただ、そんな喧嘩の度、彼女等は決まってこちらを見てくるのだ。
そんな時ロザリアだったら妖艶な笑みを浮かべており、こちらを誘うような仕草を見せてくる。ちょっと迷ってしまう事も多い。
アリシアだとそんな真似はしない。その場でじっと僕に視線を送るだけだ。
ただ、その物腰はロボットのものではない。そうはっきりと感じられる程、以前より雰囲気が柔らかくなっている。そんな時に浮かべる表情ははにかんだもので、こちらに抱いている感情まで伝わってくるようだ。
そんな笑顔を向けられる度、彼女が本当は生きているんじゃないかとすら思えるのだった。
鋼のボディに悪魔の心。汝すなわちメイドロボ コモン @komodoootoka
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