第81話 世界はだれかを待ってはくれない

「……リコが消えてしまうこと……死んでしまうこと……それが唯一の方法です……」


 そう聞いてからどのくらい言葉を失っていただろう。足元が変に浮ついて、何の音も聞こえず、何もかも考えることが出来ない。リコの言葉が何度も何度も身体の中で跳ね返り、その反射の度にじわりじわりと痛んでいく。随分と長い時間だったかもしれないし、もしかするとほんの一瞬だったかもしれない。この場所ではそもそも時間というものが曖昧であるらしいから、そういう事柄については考えるだけ損であるのだけれど……。


「……だめだ…………」


 私はやっとの思いで言葉を絞り出した。そうでもしないと今すぐにでもリコがどこかにいなくなってしまいそうだったから。リコは何も言わず静かに首を横に振る。


「……だめだ、リコ。それはだめだ……それだけは……。死んでしまったら…………。そんなの……そんなのあんまりじゃないか……。ひどすぎるじゃないか……。そうならないように……そんなことをさせないために私は…………」


 咽び、喘ぎ、話す音が言葉になっているかどうかも怪しい。そんな私はもう一度、今度は優しく抱きしめられた。


「……たのしかった」

 ぽつり、囁くリコの声は細く揺れていた。


「本当に、たのしかったんです。みんなと違う姿に生まれて、特別な扱いを受けながら育って……。生きている理由はぜんぶ多摩タヌキのため、この土地のため。……それで良いとも思ってたんです。リコを生んでくれた土地の意思に従うのは当然と言えば当然ですし……。

 ……そんな風に考えていたのに、あなたを見かけて興味本意で近づいてみたら……大変なことになっちゃいましたね。追いかけられたり、捕まっちゃったり、お散歩したり、一緒にご飯を食べたり……。本当に、本当にたのしかった。あなたの周りにはもちろん、リコの知らない中にもきっと素敵な人々がたくさんいるはずだから……だから、そんなにたのしい人々を滅ぼすだなんて間違ってると思って……リコ、がんばって抵抗してみたんです。あきらめずに、何度も何度も、あなたがそうしてきたように。……それでも敵わなくて結局、あなたに頼るしかなくって…………」


 泣きじゃくるのをこらえて、ごまかすようにリコは笑う。そのとき、リコの感触が僅かに薄れ、だんだんとおぼろげになっていくのに気がついた。見るとリコの身体から小さな小さな光の粒が溢れ、地面に、空に、草花に吸い込まれていた。


「……もうそろそろ、本当に、限界みたいです」

 リコが言った。正直、聞きたくなかった。受け入れたくなかった。……認めるしかなかった。……………………。……あんまりだ…………。

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