第80話 苦悩の末に決意あり

「……見られましたか」

 気がつくとまた以前のようにリコが上から私のことを除いていた。見上げる空の色も少し不安げなリコの顔つきも頭に感じる柔らかい感触も変わらないままであるが、ある点で今までとは決定的に違っている。

「……ソラさん?」

「ソラじゃない」ほとんど反射的に否定した。

「思い出したんだ……何もかも。自分がどういう存在で、今までに何をしてきたのか、全部、全部…………」


 混乱の最中で私は泣いていた。目の前にリコがいるのに。泣いている姿なんて見せたくないのに。みっともなくぼろぼろ大粒の涙が頬を伝う。何を言えば良いのかもわからない。ただ声を押し殺すのに必死だった。


「……今見てもらったのはこの土地の意思そのものです。意思とは言えそれは未来予知に近くて、悠久の時を経て記憶を蓄積させた自然にこそ導き出せるもので——言い換えると、厳密にはまだ起こっていないことを見ていたことになります」

「エッ……ほ、本当に……」


 私は目を潤ませながらも思わず身体を起こしてリコを見た。真っすぐこちらを見つめ返して頷く。名残惜しそうに瞬きしている。私が見た出来事はまだ起きていない。とんだオカルトだが、それでも今はその言葉に縋りつく他に心の平静を保つ術が無かった。私は急いで、それまで涙を流すのに使っていたエネルギーを脳に回して何とか細波たちが犠牲にならないような策を練ろうとした。うんざりするほどのどかな景色の中で懸命に、必死に。


 考えれば考えるほど私にはどうすることもできないということだけが明晰に浮かび上がってくる。どうしようもない。皆死んでしまう。何をしても無駄である……。自分の無力さ、自然に対して自分という存在の何と矮小わいしょうなことだろうか。しかし諦めるわけにはいかない。細波は決して諦めなかった。そんな風に何度も何度も自分を奮い立たせ、意地と絶望の間を往復する。そうしているとリコが突然に私の胸に飛び込んできた。少しきつく感じるほどにその身体全体で抱きしめられる。


「手だてはあるんです……」


 今にも途切れてしまいそうなほどか細い、耳元で囁くリコの声は私と同じように弱弱しく震えていた。もう一度私をきつく抱きしめてから少し離れる。エメラルドの瞳が濡れているのがわかった。リコの瞳がそんな色をしていることなんて知らなかった。それを見て私はようやくリコの苦悩、その理由を理解した。この場所でリコが度々していた表情。それはきっと細波の腹が抉られたときの私の表情なのだ。リコは何度も何度もあの光景を見ていた。もしかすると見せられていたのかもしれない。そう思うと無理にせき止めていた涙がまた溢れ、零れる。


 リコは何度も息を深く吸ったり、吐いたりしていた。その手だてを話してしまえばいよいよ後戻り出来ないのだろう。言わねばならぬのに言いたくない。それでもやっぱり言わねばならないことなので言う他に無い。そういう呼吸の仕方だった。……少し経ってから、リコはその手だてを口にした。


「……リコが消えてしまうこと……死んでしまうこと……それが唯一の方法です……」

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