第82話 身勝手な未熟者たちの過ち

 リコはわずかに顔を上に向け、薄い首元を露わにした。その行為の意味するところが察せられてまた涙が出る。リコが消えてしまう前に早く動かなければいけないのにどうしても身体が動かない。リコを手にかけるなんて考えたくもない。人形のように固まっている私の両手が、リコに導かれてやっとその首元にたどりつく。本当に、最後の最後まで情けない。リコの肌から、まだ温もりを感じる。……………………。


「……きっと、」

 手に力をこめることができない私をなだめるように、リコの声が耳の中に入った。

「きっと、リコは……器は、また生まれます。リコの身体が死んで多摩タヌキがその力を発揮できなくなってもそれは一時的なものでしかないから。でも、それでも! ……リコは、絶対に、あなたを忘れません。生まれ変わっても、絶対に。また会って、そのときは、もっと良い方法があるはずです。……だから、今は。今だけは。お願い……。何もかも手遅れになる前に……」


 断れない。断れるわけがない。痛切なリコの叫びを、願いを、想いを……。もう何が良いことで、何が良くないことであるのかもわからなくなってしまった。リコの言葉を力に変えて、そのリコの首を絞める。必死だった。嫌な気分だった。世の中に存在するおぞましいことの全てが実は私の中から溢れていたのではないかと錯覚するほど黒々とした気分であった。……あるいは、それは錯覚ではないのかもしれない。


 私は今、私の都合のためだけにリコを殺そうとしている。リコの方もまた、身勝手な都合のためにその身体を殺させようとしている。私たちは共犯者だ。二人でリコを殺すのだ。そんな風に思ってしまう自分を、私は腹の底から軽蔑する。何度も何度も心の中で謝った。口にすることは出来なかった。無言で涙を流しながら力を強める。リコは一切抵抗しなかった。見ても苦しいのか、苦しくないのかわからない。せめて苦しんでいないように祈る他ない……。そうする他にどうしようもない。……私にはこれ以外に何もできない…………。


 やがてリコの身体から力が抜けていき、後に残ったのは私の掌に永劫残り続けるであろうリコの温もりのみとなった。


 リコは事切れる直前、その口を微かに動かした。何と言ったのか、音は聞こえない。しかしすぐにわかった。わからないはずがなかった。短く簡潔な言葉である。

雨が降っていた。強い、強い、豪雨。その豪雨は私の涙と混ざり、私の言葉を溶かし、そのまま流れていってしまった。そのまま何もかも洗い流して欲しかったが、どうやらそうもいかないらしい。


 もう一度呟いた。 ……流れていってしまった。

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