第40話 迷惑男の青い春

  ◆

「ボクたちが今通っている大学にはいくつか附属の高校があるのは知っているかな? ボクがその高校に進学して、はじめに知り合ったのが『ボス』だった。当時はまだあんなに立派な髭をたくわえてなかったし、あんな呼び名なんて無くて桜小路と名乗っていたけれどね」


「ボクたちは出会った頃から奇妙にウマが合った。来る日も来る日も化学室で研究にふけるばかりだったボクの唯一の話し相手が桜小路クンその人だった。花江クンとも知り合いではあったけれど、彼女は化学みたいなチマチマとしたものがあまり好きでは無いから、よく二人で化学室に入り浸っていたものさ」


「『ボス』は当時から人望もあって、特に女の子によくモテていた。気だるげに日々を過ごしていたボクとは違ってはつらつとしていたし、話が面白い上に茶目っ気まであるから、好かれこそすれ彼のこと疎ましく思う者は皆無だったさ。何もかもがボクとは違った。そんな彼がボクと一緒に化学室で液薬を混ぜたり顕微鏡をのぞいたりしているのが不思議に思えてならなかった」


「それでボクはあるとき尋ねたのさ。例によって化学室でね。どうしてボクと一緒にいるのかってさ。そしたら『ボス』は顎髭をなでるようにまだ髭の生えてない顎に手を当てながら短く答えた。『それは君、私もこういうことをするのが好きだからね』ってさ。なんて素晴らしい人なんだろうと思ったよ。人望も厚くてユーモアもありながらきちんと自分の趣味嗜好に正直でいる信念も持っているなんてさ」


「『ボス』といるうちにボクも段々と周りから受け入れられはじめた。はじめはチビでひ弱な化学オタクでしかなかったのにいつの間にか教室の中心にいるようになった。今ボクに従ってくれている白衣たちとはこの頃からの付き合いになるね。人づきあいは少しばかり忙しくなったけれど、化学室で『ボス』と話す時間だけは変わらなかった。やっぱりボクにとって一番ウマが合うのは『ボス』だったのさ」


 細波との縁について思うところがある私にとっては、とても他人事とは思えない話である。ドクター・ニコルは当時を思い出すように、懐かしむように言葉を連ねていった。うっとりとした目尻を少しだけ潤ませていた。太郎坊も私も息をのみながら静かにそれを見ていた。


「けれどボクたちはこうして争うようになった。何もかもが順調だった日常に、多摩タヌキが入り込んできてしまったんだ」


 ドクター・ニコルはいまいましげにリコをちらりと見た。それからぽつりとこう付け加えた。


「研究対象としてはこんなに魅力的なものもないけれどさ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る