第20話 静かな怒気にはタヌキも身を震わせる

 まるで少女のように可憐な振舞いながら、しかし花江先輩に「男」と呼ばれたことについて一切反応しないところを見ると、どうやら彼は本当に男——少年であるらしい。


 すると不思議なことに突然、それまで気にならなかった彼の、男子にしては髪が少しばかり長いこと、特に襟足が首元まで伸びているのに違和感を覚えるようになった。


 少し大きめの白衣の袖に手首が隠れている様子からも、やはり「女子」とする方が納得できそうなものだ。しかし花江先輩も彼も、そんな私の思いをさておいて話を続けた。


「お互いに得だと思うよ? ああほら! キミたちは自分のことをよく知りたいと思わないのかい?」彼は手のひらをぽんと叩いて提案した。


「思わないよぉ。いくら説得しても無駄だからぁ、早いところ解放してほしいなぁ。今ならまだ穏便に済ませてあげるよぉ」


 花江先輩の語気が若干強まる。いやおそらくそれは気のせいであるのだろう。


 花江先輩の足ゆすりが先ほどよりも格段に強まっているからそういう勘違いを起こす。


 花江先輩は怒りを言葉でなく態度で表す方なのだと確信した私は少しだけ花江先輩に親近感を覚えた。


 苛立たしいときや頭に血がのぼったとき、何と言ってもかんしゃくを起こすときには決まって今の花江先輩のように足を激しくゆすっていたのだ。


 私のそれはただの癖であったし今は関係ないと思いたいのだが、しかし花江先輩の態度はなぜか私の胸をざわつかせた。


 このままだと、花江先輩は怒りのままに暴れだすのではあるまいか。


 ふと横を見ると、リコが身をすくめて小さくぷるぷると全身を震わせていた。きっと私と同じく、張り詰めた空気感を感じているのだろう。


「解放? それはできないなあ。だって、キミたちはボクにとっての研究対象モルモットなんだから! モルモットを研究室から逃がすドクターだなんて、余程の動物愛護者か大マヌケかのどちらかだろう?」


 少年に話し合いの余地がまるでないことがわかり、花江先輩の何かがぷつんと音を立ててキレたようだった。


「へえぇ、そういうつもりなんだぁ」


 ゆっくりと、花江先輩が席を立つ。テーブルをひっくり返したりせず、あくまで見た目だけは優雅にしているのが逆に恐ろしい。これが嵐の前の静けさというやつか。


「おっと、暴力に訴えるのは止めた方が良いなあ! あの男がどうなっても良いっていうなら、話は別だけどね!」


 彼の言葉で、花江先輩の動きが止まった。


「……どういうことぉ?」あくまでも笑顔を保ったまま、花江先輩が尋ねる。


「わからない? 催眠ガスでキミたちを眠らせたのもボクたち。ここまで運んできたのもボクたち。そのボクたちが、他の奴らを、人質にするために別室で拘束できない道理はないだろう? ボクを殴ってもいいけれど、そうしたら着物の彼がどうなるか——美人で聡明な鬼さんだったらわかるよね?」


 少年はかわいらしく、屈託のない笑顔で答えた。

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