六月十七日

第14話 振り回されている内はロクなことにならない

「た、多摩タヌキだと!」


 目下私のことを悩ませている単語を突然に言われ、私は狼狽した。


「フン。その言葉だけは知っているみたいだな」と豆タヌキが鼻を鳴らす。


「知っているも何も……。まて、するとその、キュウコンというのは私とそこにいる『リコ』が——んが?!」

 言い終える前に、素早く私の口をリコが塞いだ。


 なんだか熱っぽい手だ。


 あんまり強く抑えるので口を開くことはおろか呼吸さえままならなかった。私が必死に豆タヌキへ目配せして助けを求めると、やれやれと溜息をついた豆タヌキがリコの尻尾をくいと引いてくれた。


 すると我に返ったリコは慌てて私の口元から手を放し、申し訳なさそうに頭を下げた。


「リコ、オメエてんでダメダメじゃねえか。そんなんじゃ上手くいくものも失敗しちまう。今日のところは引き上げるぞ」


 豆タヌキの叱責にすっかり意気消沈してしまった様子のリコは、「キュウ……」と寂し気な声を漏らしてそれに従った。豆タヌキはリコの背中を押しながら窓から出ていくときに「また来るぜ」と言い残したが、「二度と来るな!」とは言い返すことが私にはできなかった。



  ◆

 次にリコと豆タヌキに会うのには存外時間がかかることもなかった。


 ただし場所は私の家ではないし、お互いに本意な姿でもない。豆タヌキは暴れないように網にかけられて吊るされており、私は私で身動きのとれない状況であった。リコはというと、吊るされてはいないものの苦しそうな表情を浮かべている。


 狭苦しい室内に「クカカカカ!」という笑い声が不気味に響いた。


 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。


 ことの発端は細波が突然訪ねて来たことである。


「まずいことになった」


 細波の言葉に私はどきりとした。この男がそんな風に顔をしかめるときはいつも私の思っているより悪い状況に身を置いていたし、また過去に細波が私にそう告げた事柄で、その「まずいこと」に私が関係していないということは無かったからだ。


「なんだかここのところいつもお前の顔を見ている気がするな」私は肩を落としながら疫病神でも見るような目つきで悪態をついた。


「水臭いこと言うなよ。親友だろ」細波はいつものようにケラケラと笑っている。かと思うと急に真面目くさった顔つきになった。


「笑ってばかりもいられんのだ。いいか良く聞け。多摩タヌキが『ボス』に捕まった」


 細波の神妙な面持ちを見て、冗談や狂言の類ではないことを知る。私の脳裏には赤らめた顔ではつらつとした少女の姿が浮かんだ。


「大変じゃないか! リコが鍋にされてしまう!」私の言葉が意図せず荒くなる。


 すると細波は「落ち着け。太郎坊の旦那とはまた別の話だ」と言って私をなだめた。


「一体どういうことだ」


 目を丸くして首を傾げる私に細波はこう答えた。


「時間がない。詳しいことはお前を連行しながら話す。いいか、くれぐれも俺のことを疑うなよ。どんなに理解できないことがあっても、俺は誓ってお前だけの味方だ」


 これまでの付き合いの中ではじめて見せられた細波の真剣なまなざしに頷かされた私は、玄関口に急ぎサンダルを履いた細波に尋ねた。「連行って、どこに行くと言うんだ」


「『ボス』のアジト。あの狭苦しいボロアパートの二○二号室さ」

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