第13話 喋るタヌキに喋らぬタヌキ?

 タヌキが二匹ころころと我が家を訪ねて来たのは、太郎坊と細波が帰ってすぐのことであったので、「タヌキ鍋」のことを思い出してどきりとした。


 一匹は右目の周りだけ黒くて後は深い茶の毛をした、いかにもタヌキという風貌のタヌキだったが、もう一匹はおよそタヌキとは呼び難い姿かたちをしていた。二匹のタヌキが訪ねて来たと言うよりも、件の獣少女が今度はタヌキを引き連れて来たといった感じだ。


 そういう意味では「二匹」ではなく「一人と一匹」なのだが、どうも「二匹」の方が腑に落ちる。


「また来たのか。そのかわいらしい風貌で今日もハムとチーズをせしめようという魂胆だな!」私は呆れ顔で両手の手のひらを上に向ける仕草を二匹に向かって見せた。


「キュウ……」獣少女は昨日と違い妙なしょぼくれ方を見せた。


 私にちらちらと視線を送っては、私がそれに気づくとすぐにそっぽを向いてしまう。しかしどうやら拒絶されているわけではないらしく、その証拠に獣少女はさっきから少しずつ物理的に距離を縮めようとすり寄ってきている。そもそも私のことを良く思っていないのならばここには来ていないだろう。


「な、なんだ。生憎だが冷蔵庫の中には何も入っていないぞ。き、昨日やった分ですっからかんだ」獣少女があまりにいじらしく見えて少し動揺し、どもってしまう。


 獣少女は静かにふるふると首を横に振ると、意を決したように私の腕に抱きついた。


「キュ!」獣少女はそのまま私の腕に顔を擦り付けた。ついでにおっぱいも擦り付けられた。決して大きくないながらも柔らかなその感触は私を狼狽えさせるのに十分効果的であった。


「な! や、や、やめてえ!」なんとも情けない声と共に獣少女を突き放すが、もう遅い。獣少女が私の腕に残した温もりまでも振り払うことは叶わず、私の脳内は依然パニック状態のままであった。


「コラア! なんてことしてんだこのヤロウ!」


突然の怒声に面食らう。怒声と言ってもかわいらしく高めの、七つか八つくらいの子どものような声であったので恐れるには値しないどころか少々愛らしくすらある。


 私は反射的に獣少女を確認したが、獣少女は悲しそうに「キュウ……」と鳴いて私の罪悪感を揺さぶるのみである。声は獣少女よりももっと下から——というより足元から——褐色のタヌキから発せられたものであった。


 喋るタヌキとタヌキのような少女の組み合わせに、混乱はますます深まっていった。


「オイ! 聞いてんのか!」褐色のタヌキはかわいらしい声と体当たりでその怒りを示していた。

「い、いや聞いているが……。お前、人間の言葉がわかるのか」

「そんなことはどうだって良いだろう! この女タラシのダボが!」


 怒髪天に達する勢いの褐色豆タヌキを、獣少女が必死になだめていた。まるで痴話喧嘩だ、とあまりの現実味の無さからむしろ少し冷静さを取り戻した私は「すまん、悪かった」と両タヌキに頭を下げた。


 豆タヌキはそれを見てようやく「フン」と鼻を鳴らし、怒りを治めてくれたようだった。


「それで……できれば今何が起こっているのか説明して欲しいのだが。どうも昨日から何かとわけのわからないことばかりで、いい加減振り回されるのにも疲れてきた」私はどちらにでもなくそう漏らした。


 獣少女は相変わらず、いじらしくもじもじとしていた。そもそも彼女に説明を期待するのが愚かなのかもしれない。となれば必然、私の視線は口の悪い豆タヌキの方へ寄せられた。


「カッ。なんだい、情けねえ目でこっちを見てくれやがって。オメエも男だったらこの反応を見て察してやるくらいできねえのかよ」豆タヌキはまたもやかわいらしく凄んで見せた。


 しかし、ハテ、察すると言われても何を察すれば良いのかと頭を悩ませていると、今度は獣少女の方が「グウウウウウ!」と豆タヌキを睨みつけていた。その顔は見てすぐにわかるくらい耳まで真っ赤に染まっていた。


「な、なんだよ。リコ。そんなに怒るなよ」豆タヌキは焦ったように前足を獣少女の方へ向けた。「キュウウウウウウ!」と唸るその鳴き声から、獣少女がさらに慌てているとわかった。


「その娘はリコというのか」

私は不憫な豆タヌキに助け舟を出してやった。すると豆タヌキの方は大層驚いたそぶりを見せた。


「お前、まだ名前も明かしてなかったのか! ……そうか、まだ喋れないんだもんな。ウーム……よし。おいお前!」豆タヌキはぴっと前足を私に突き付けた。


「な、なんだ」突然のことで私は少し面食らった。

「名は何という」豆タヌキが言う。

「何でそんなこと……」私が言う。


「良いから、言え」豆タヌキはこちらに有無を言わせないつもりのようであった。私の方も、タヌキに対して名乗りを渋る理由は無い。


「お、近江だ」私は気持ち胸を張って答えた。


「名乗るときは姓だけでなく名も名乗れ」豆タヌキは呆れ顔でそう言った。


「近江……ニクウだ」私がためらいがちに答えたのは、自分の名前を言うと必ず聞き返されるのがわかって億劫だったからである。しかし豆タヌキが「フン、仏教語か。小癪だが良い名だ」と事もなげに受け入れたので拍子抜けしてしまった。


「聞け、二空。オレとしては不本意だが、お前の質問に答えてやるよ。この娘の名はポメリコ・ポンポコリーナ。親しい奴らからは『リコ』って呼ばれてる」豆タヌキはここで大きく咳払いをした。


「で、だ。リコはお前になあ。その、きゅ……きゅ……求愛をしに……来たんだ……」


 豆タヌキが途中から明らかに声を震わしていたことと、獣少女の慌てようがここに来て最高潮に達したことを考えると、どうやら今の豆タヌキの言葉に嘘偽りは無いようである。


「ポメリコ……ポンポコ……キュウコン……?」私は豆タヌキの言葉を意味のわからぬまま反芻した。


「ポンポコリーナだぞ! まさか知らねえのか」豆タヌキが目を丸くする。

「知らない」私は正直に答えた。

「チッ。ポンポコリーナはなあ、この多摩の地に古くから伝わるタヌキの一族だ」豆タヌキは舌打ち交じりに説明してくれた。


「すると、リコはやはりタヌキなのか」

「ああそうだ、世にも珍しい人化のタヌキ。俗な言い方をすると『多摩タヌキ』ってやつさ」

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