六月十五日
第1話 非凡でありたいという平凡な願い
◆
かんしゃくを起こす子ども時代を過ごしてきた。
当時の記憶は断片的に、しかし今でも鮮明に残っている。
バッティングセンターで上手く打ち返せないと打てるまでやらせろと駄々をこねる。
希望のテレビ番組を観れないとわあわあと泣きわめく。
私が次男坊の末っ子であったこともあってそれが許されてきてしまったのがたちの悪いところで、このかんしゃく癖は小学生時代の途中まで続いてしまった。
その反動であるのかはわからないが、かんしゃくを捨て去った後の私はまさに「良い子」の模範的児童として母校に名を響かせた。
まるまると健康的に太っていて愛嬌がある上に運動もそれなりにできる。なにより勉強がよくできて、先生の質問にはいつも的確な答えを返すことができた。
『大造じいさんとガン』の授業で「なぜガンを撃たなかったのでしょう」という問いに対して「きっとゴミが目に入って、そのせいで涙が出たので上手く狙えなかったのでしょう!」と元気いっぱいに答えていた頃の近江少年はもうどこを探しても見つかることはない。
周りから「近江くんはホントに良い子ねえ」、「近江って良い奴だよな!」と常に賛美されてすっかり良い気分になっていた私はその後中学受験にも成功し、地元では名実共に英雄のような扱いを受けて育った。
しかしそれから中学、高校は漫然と変わり映えの無い日々を過ごすことになる。
地元では何をやっても一番であったが、各地から集まった傑物の中ではそう上手くもいかず。自分などころころと丸いばかりのまんまるマンでしかないと悟ってからは自信というものをすっかり見失ってしまった。
部活でも勉強でも人並みであると思い知らされた私は、特に野望や目的など持たないままに大学に進学した。その間、多少の脂肪ときらびやかな青春を犠牲にして得たものといえば、多少の筋肉と高校卒業資格くらいのものだ。
それ故、私の人生はここに至るまで浮き沈みの無いほぼほぼ平坦な道のりであったと言わざるを得ない。
しかしそれがいけないことかと問われるとそうでもない。私の両親は「普通が一番」と言うし、七面倒くさい出来事に巻き込まれて割を食うぐらいならば平坦な人生も悪くはない。いやむしろ良い。
浮かばないが沈みもしない。地に足をつけて生きてきた人生を恥じることを私は決してしない。
だがしかし、そんなタテマエはひとまず置いておこう。地に足をつけず自由に飛び回ってみたいと願うのもまた自然なことである。
ふわふわと浮かんで自由気ままにあちらこちらと漂えたらどんなに気持ちが良いだろうと妄想することは平凡な人間にのみ許された特権であるが、私はこの特権を行使して妄想と憧れの世界にふけることが少なくなかった。
もう一度栄光をつかみたい。
多方面からちやほやされたい。
そんな夢や希望の類は中学高校の六年間でみるみる溜まっていき、巨大な風船がはちきれそうになるほど膨れ上がっていたので、あとは何かきっかけさえあればぷかぷかと浮かびあがるところである。
そんなわけで幸か不幸か、大学入学というきっかけによってついに私は平坦な地面からの決別を果たすことになるのだった。
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