このエピソードを読む
2024年4月2日 06:24
久里 琳さまこんにちは。自分の手を汚すこともなく肉製品を貪る私たちより、目の前で生きた家畜の頸動脈を切り裂くのを見ている人たちのほうが、生の重さをしっかり受け止めているのだろうなと感じます。「苟くも人としてこの世に生きる、総ての者は知らずに何処かで誰かを犠牲に屠っていはしないか」この言葉に尽きますね。日々自分の行いを悔い改め清い存在であろうとしても、生きる以上、誰かの犠牲にせざるを得ません。自分が汚れた存在であることを自覚し、首を垂れる姿勢を決して失ってはいけないのではないでしょうか。
作者からの返信
応援ありがとうございます!かつては屠畜業を蔑視したり露骨に差別する文化も世界各地にありましたが、それでいながらお肉を頂くのでは、それこそ生命を軽視しているように思えてしまいますね。動物に限らず、他の人間を犠牲にして今の生活が成り立っていることを忘れない……感謝と、まさに「首を垂れる姿勢」ですよね!
2023年6月21日 11:50
逃げることのできない運命を覚り、諾諾と首を差し出す…食うことと喰われること。本来は一体であるはず行為から外れてしまった人間。よくよく、考えねばなりませんね。
応援ありがとうございます!本当に運命を悟って従うような、不思議な光景でした。食うことは命がけの行為だったんですよね。食われるものの死を間近に見るのも、時には大切なのかもしれませんね。
2022年6月23日 08:49
久里 琳様>総ての者は知らずに何処かで誰かを犠牲に屠っていはしないか 忘れがちですし、忘れていないと罪の意識に苛まれて生きていけなくなりそうですが、それでも忘れちゃいけないことですよね。 時々そっと思いかえすべきことだなと思いました。
応援ありがとうございます!生きている限り、誰かに何らかの影響を与えていますよね。そのすべてに責任を背負うなんてできませんが、自分が無辜ではないということを知っておくのに意味はあると思います。時々そっと、というスタンスがちょうど良さそうですね。
2021年6月8日 18:55
旅の最後をトルコ料理で〆るのさすがですね!
応援ありがとうございます!まだまだ魅惑のトルコ料理はあるのでした。次回、ここまで登場させられなかった料理をまとめて紹介します(^^)
2021年4月29日 14:00
>だがその罪は、果たして私や屠殺人だけが責を負うものなのか同感です。私も似たような趣旨のセリフを登場人物に言わせたのでおおっと思いました笑にしてもクリリンさんは言葉選びが美しくて楽しいです。
応援ありがとうございます!他人に罪をぜんぶ負わせて、自分だけは罪がないと思っている人が多いような気がしますね。私自身もつい忘れてしまいがちですが。。言葉選びをお褒めいただいてうれしいです! 印象に残る、読んで愉しい文章ができると、書いていても楽しいですよね。
2021年4月26日 01:50
「総ての者は知らずに何処かで誰かを犠牲に屠っていはしないか。」この文章がとても印象的です。その通りですね。
応援ありがとうございます!犠牲に関する考えに共感いただいて、うれしいです。この世で生きる限りそれを避けきることは難しいかもしれませんが、せめて、自分がだれかを踏みつけにして生きているかもしれないことは心にとどめたいと思います。
2021年2月6日 17:00
「たおやめ」という古語を初めて知りました。「ますらお」よりも、皇紀3千年ぶんぐらい尊い&みやびな響き!勉強になります
コメントありがとうございます!なにかしらお役に立てましたら幸いです♬「手弱女」という漢字を当てるとまた一段と雰囲気が出るかもしれません。皇紀3千年! そう言われるとますます美しい印象が深まりますね。
2020年9月22日 12:59
牛や羊の犠牲は、確かに…誰かがやってくれないと、なんですよね。殺し屋さんの仕事に繋がるかどうかはわかりませんが…。旦那様、ドイツの方で命拾い(?)しましたね(^^)もうすぐトルコ旅行終わりなんですね。美味しいトルコ料理をお待ちしてます♬
コメントありがとうございます!誰かが汚い仕事をしないと、世の中は回らないんですよね。殺し屋はいなくても回りそうですが(^_^;)トルコでは本当に、異性との接し方は気をつけないといけないようです。刃傷沙汰は言い過ぎにしても、旦那さんの気分を激しく害するぐらいはありそうです。次回、トルコらしい料理がたくさん出てきます♬
2020年9月22日 10:00
シリア、ダマスカスの通りで、道の真ん中を赤い筋が流れていました。歩いていくと、吊るされた牛の頸動脈から……。そんなの、思い出しました。
コメントありがとうございます!道の真ん中に、ですか……犠牲祭のタイミングだったのか、あるいは何かの祭りごとでもあったんでしょうか。でも、たしかに身近にこんなシーンがあるんですよね。ダマスカスにも、早く平和が戻るといいですね。
2020年9月22日 09:48
重い言葉が、殺し屋さんが語ったのだと思うとますます深く響きますね。次は晩餐ですか、やったー♪ 今度はどんな料理がでてくるのか、楽しみです!
コメントありがとうございます!生真面目な殺し屋だったらどんな風に考えるかなと想像しながら語らせました。次回は、トルコでよく見かける料理がたくさん出てきます。お楽しみに~!
久里 琳さま
こんにちは。
自分の手を汚すこともなく肉製品を貪る私たちより、目の前で生きた家畜の頸動脈を切り裂くのを見ている人たちのほうが、生の重さをしっかり受け止めているのだろうなと感じます。
「苟くも人としてこの世に生きる、総ての者は知らずに何処かで誰かを犠牲に屠っていはしないか」
この言葉に尽きますね。日々自分の行いを悔い改め清い存在であろうとしても、生きる以上、誰かの犠牲にせざるを得ません。自分が汚れた存在であることを自覚し、首を垂れる姿勢を決して失ってはいけないのではないでしょうか。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
かつては屠畜業を蔑視したり露骨に差別する文化も世界各地にありましたが、それでいながらお肉を頂くのでは、それこそ生命を軽視しているように思えてしまいますね。
動物に限らず、他の人間を犠牲にして今の生活が成り立っていることを忘れない……感謝と、まさに「首を垂れる姿勢」ですよね!