第24話 犠牲の羊

 道路脇で羊の群れが道を渡るタイミングを窺っている。田舎道ではお馴染みの光景だが、首都に近いこんな幹線道路であやういこと、と思ってよく見ると、群れの傍らに立つ男が白い布を掲げていた。布には大きく、「犠牲の羊」と書かれている。

 つまり、この羊は犠牲に供されるべく道端で買い手を待っている訳だ。そう云えば犠牲祭の日も近い。


 残酷だとされて最近では減ってきてはいるらしいが、トルコでは事あるごとに、犠牲が供される。例えば結婚式。あるいは息子の割礼。畑を拓く、会社を設立する、家を建てろ、村のモスクの改築だ――その都度犠牲がささげられる。

 豪気に牛をほふることもあるが、普通は羊。


 一度その場に立ち会ったことがある。

 直前まで落ち着かなかった羊たちが、いざその時が来ると催眠術にでも懸かったかのように大人しくなって、唯々いいとしてくびを差し出した。導師イマームが朗々と謳いあげることばを背に、屠殺者は易々とその頸動脈をねた。


 彼らを悼んだ私はいい気なものだ。

 私こそが、正義の神だか復讐の女神だか知らないが、何者かに羊を献じる司祭を以て自ら任じているのだから。

 だがその罪は、果たして私や屠殺人だけが責を負うものなのか。いやしくも人としてこの世に生きる、総ての者は知らずに何処かで誰かを犠牲に屠っていはしないか。

 大地に犠牲の血を吸わせるのが人のごうであるならば、私はその最前線にいる。




 黙り込んだ私をよそに、ドンドゥルマで充電されたアイテンさんは機嫌よく車を進めている。

 もうすぐアンカラ、エセンボア空港。無事私が飛行機に乗り込めば、彼女の仕事ミッションも完了だ。空港には彼女の旦那さんが迎えに来ているらしい。

 彼はドイツ人。

 如何にアイテンさんが開明的でも、妻が他の男と車内で長時間二人きりで過ごしたなどと、ムスリムの夫ならば到底許せることではないだろう。刃傷沙汰にもなりかねない大事だ。

 やましい点など寸毫もないとは云え、旦那さんがドイツ人と聞いて、私は胸を撫で下ろしたのだった。



 その金髪碧眼の旦那さんは、空港で会うなり全力の握手で迎えてくれた。妻の浮気など露ほども疑う様子がない。彼と私の容貌を見比べれば、それもむべなるかな、だ。

 ゲルマンの大丈夫ますらおくあるべし、と云う見本のような健康な美男子と、ギリシア悲劇から出たような美女たおやめとの間に挟まれると、私が彼らと同じ種族であることさえ疑わしく思えてしまう。


 さて、三人で最後の晩餐。

 旅の最後はやはりトルコ料理でしめたいものだ。

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