第19話 仕事2

 標的ターゲットの躯のなかで目覚めた途端、強烈な感情が流れ込んできた。これは初めての経験だ。


 躯は記憶を持っている。多くの殺人者たちに憑依してきてこれまで、彼らの犯した生々しい殺人の感覚がこの手に甦ることは度々あった。だが、魂の記憶――感情を私が感知することはついぞなかった。


 彼の殺人の事情を両親から聞いてしまったが故の、気の迷いなのか。

 食事をえ、車で刑務所の横まで移動し、そこで眠り――独房に時計はないが、標的の両親と別れてから恐らく二時間ほど経過している。




 この男は、幼馴染の親友がこれ以上罪を重ねるのを止めるには、自らの手で親友を殺す以外の手段が残されていないと、絶望の中で信じた。殺された側にも一分の理はあったろう。旧ソビエト連邦の崩壊以来――或いはその一世紀以上も前から――この地域が抱える矛盾の中で、正義と悪徳とはつねに紙一重の上にある。



 流れ込んできた彼の感情は、こうだ。

 死は彼の欲する処ではない。むしろ彼は生を希求する。全身全霊で。

 だが同時に彼にとって死は、神聖な義務なのだ。彼は純粋に過ぎた。親友に死を与えておいて、自身が生き残るのは醜く義に適わぬことと考えた。


 彼は生に焦がれて煩悶し、死を義務としながら逡巡し、熱病のような苦悩の末に、自らにも死を与えなければ済まないと結論した。

 何のために。

 正義を実現させ、美しい生を完成させるために。


 私にしてみれば生きることこそが第一義であって、その神秘の前に正義だ美だ真実だなどと――だが此処で私の考えを押しつけてもせん無い。




 自殺は罪であるとする私の考えは揺るがない。だが、もとより罪にまみれた私を引き合いに出すまでもなく、人は誰もが罪と共に生きて死ぬのだ。


 彼は生ある限り、迷い悩み続け、自身の思想に殉じて死を択び続けるのだろう。

 その両親は彼の選択を容認し、あまつさえ、その完遂の為に私を傭った。



 私も覚悟を決めよう。

 彼と両親との望みを叶えるべく、私は私の仕事を果たす。



 ……と思ったのだが、実はこれが簡単でない。


 自殺を防ぐために刑務所の取った措置は私の想定を超えていた。

 幸い、拘束衣は着せられていない。不要なのだ。なにしろ、体に力が入らないのだから。筋弛緩剤を打たれているらしい。

 これでは舌を噛み切ることや爪を剥がすことはおろか、もう少しましな物で血管を切ることさえ難しい。



 とは云え私もプロだ。

 如何に不自由な体であろうと、誠心誠意、自殺を遂げて呉れよう。

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