第16話 サフランボル、ピデとラフマジュン

 サフランボルはその名の通り、かつては香料サフランの集積地として栄えた街だった。

 近代に至って主要交通路から外れたこの街は、発展から取り残されたために古の町並みが現代に遺り、却って脚光を浴びて二十世紀末に世界遺産に登録されている。


 観光地として賑わうと云うほどでもなく、温かい木材と白い漆喰とで埋められた保存地区の通りは穏やかな表情を見せていた。


 サフランボルに限らず、アナトリアは歴史好きには垂涎の歴史的遺産の宝庫なのだがその多くは観光客で溢れることもなく、落ち着いて見て回ることができる。ヒッタイトの都ハットゥシャしかり、ミダス王(「王様の耳はロバの耳」の主人公)やアレキサンドロス大王にも縁あるゴルディオン然り。



 旧い町並みとこぢんまりした市場バザールに疎らな人影が心地よいサフランボルで、アイテンさんが連れて行ってくれたレストランはピデの店。ピデとは、トルコ風のピザのこと。舟型のピザ生地の上にたっぷりチーズを乗せ、窯で焼く。

 注文してから生地を整え始めて、ほんの三分も待てば出来上がり。実にシンプルだが、これが美味しい。


 もう一品、アイテンさんが注文していたのが、ラフマジュン。

 挽肉トッピングの薄焼きピザ、と云ったところか。これに野菜を乗せレモンをかけて、丸めて食べる。香辛料が独特の風味で、人に依っては抵抗があるかも知れないが、好きな者には癖になる。

 トルコ南東部、シリアとの国境近くの街ガジアンテップの名物料理だ。何故サフランボルでこの料理、と思わないでもない。ちなみにガジアンテップ名物と云えば、ピスタチオもその一つ。



 トルコはオスマン帝国の継承者で、ほぼ全国民がイスラム教徒。均一な文化、民族、人種と思われるかも知れないが、それは違う。

 そもそもオスマン朝は、多民族・多宗教を束ねる世界帝国だった。

 ガジアンテップを含めた南東部にはクルド人が多く、彼ら自身トルコ国民と思うことはあってもトルコ民族だとは思っていないだろう。近年ようやく武力闘争は下火になったものの陰に陽に対立は残って、未だに火種はなくならない。

 或いはアイテンさんの出自。エーゲ海沿い、イズミール出身の彼女は、人種的にはギリシア系。ムスリムであることは間違いないが、この地域の信仰は総じて開放的だ。彼女はスカーフをせず、人前で酒を飲み、豚肉さえも、少量ならば口にすることができる。


 そして、今回の殺しの標的ターゲットは、隣国アゼルバイジャンの出身者だ。

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