第14話 インシャラーとマーシャラー

 今日は朝から車でサフランボルへ移動。運転はアイテンさん。都市間を結ぶ長距離バスでの移動も提案したが、戯談じょうだんじゃない、の一言で却下された。


 ところがアンカラから出る幹線道路の工事にぶつかって、今は大渋滞に巻き込まれている。イスタンブルでは日常茶飯事の渋滞だが、アンカラでは珍しい。

 ひるまでに着くか、と訊ねると、アイテンさんは前を向いたまま

「インシャッラー」

 と答えた。



 トルコでは毎日幾度も耳にする言葉、インシャラー。

「神の御加護があるならば」ぐらいの意で、最強の返答の辞だ。

 用法は例えばこんな時。


「今度、家に遊びに来てよ」

「この仕事、明日までに頼む」

「また会えるといいね」

「明日、晴れるかな」


 いずれも返事は、インシャラー。

 出来るかも知れないし、出来ないかもしれない。全ては神の御心のままに。

 この世の出来事は何であれ神が定め予定したもうたものなのだから、仮令たとえ約束をたがえたとしても、それは自分の所為ではない――という意味が言外に籠められている。


 もう一つ、似た言葉に「マーシャラー」と云うのがあって、これも頻繁に使われる。意味は「神の御加護のお陰で」と云ったところか。何事も、神だ。



「どう? 体調はよくなった?」

 と丁度出てきた問いかけに、お陰様でマーシャラー、と答えた。つまり、こう使うのだ。


 この両語は、トルコに限らず、アラビア語圏あるいはイスラム文化圏で広く使われているらしい。



 車が流れ出すと、彼女の口吻くちぶりも滑らかになった。

 そこで、今日の仕事の再確認。

 今回は少し厄介らしいのだ。と云うのも、標的ターゲットは既に二度、自殺未遂を起こしている。当然、刑務所の看守達は再発を防ぐため厳重に監視しているだろう。


「ちょっと難しいけど、依頼者は組織の上顧客おとくいらしいの。しっかり成功させてね」

 インシャラー、と冷淡に答えると彼女は心配を隠そうともせず眉をひそめた。



 実は私は、今回の仕事には、どうしても気が乗らない。

 標的は自殺志願者。

 依頼者はその両親。息子の想いを遂げさせてやって欲しい、が理由だそうだ。


「気が楽でいいじゃない。死にたいってに手をしてやる丈なんだから」

 アイテンさんは呑気に笑うが、私の考えは違う。


 自殺は罪だ。

 そう呟いた私の言葉を、彼女がう受け止めたかは分からない。

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