第8話 罪と罰

 朝目覚めると、昨日の苦しみの大半は既に去って、偏頭痛だけが残っていた。

 シャワーを浴び、朝食をとりに食堂へ。


 街で食べ歩きする腹を残すため、朝食は軽めと心掛ける。だが、蜂蜜が巣ごと木枠に架かっているのには誘惑された。黄金色の蜂蜜の巣ハニカムをナイフでり取って、パンに乗せる。

 蜂蜜は、黒海沿いの山間やまあいで育まれたものだそうだ。



 今日は一日オフにしてもらった。

 仕事の次の日は、体調のみならず心の調子も不安定になってしまうのだ。だがこれは、私がまだ真面まともな人間らしい心を保っている証拠のように思えて、却って私を安心させる。


 守秘義務があるのでくわしい事情は伏せるが、たしかに昨夜の男は、殺されてもむ無しと思わせる丈の罪を犯した。

 毎回仕事を受けるに当たって私の出す条件は、私が納得できる依頼理由を訊かせてもらうこと。とは云えその程度のことで、人を殺める罪の意識から遁れられる訳ではない。



 私に人を裁く資格があるのか、と問われれば、答えは否だ。だが、どの道その問いは無意味だ。

 嘗てある神が預言者を通じてのたまったのだと云う。「自ら復讐してはならぬ。復讐は我が仕事である。それは人の子の仕事ではない」と。

 世界がそのようであったなら、れほど良かったろうと私も思う。

「神は死んだ」と誰かがさかしらに叫ばなければ良かったのか。恐らくうではないだろう。


 神殺しの罰でも当ったのか最期は狂い死んだ哲学者の喝破を待つ迄もなく、うから人は、正義の為と称して神に成り代わり同族を殺してきた。それが人の本性ほんせいならば、誰かがその望みを遂げる役を負わねばならぬ。




 ――閑話休題。

 私は今、自ら罰するかのように、トルコ最恐のスイーツに対峙している。

 薄いパイ生地の間にクルミやピスタチオを挟んで幾層にも重ね焼いたお菓子、その名をバクラヴァ。これ丈聞けば普通に美味しそうなものだが、バクラヴァをバクラヴァめる最後の仕上げは、極甘のシロップ。

 シロップの海に漬かったバクラヴァを持ち上げると、その身からシロップが滴り落ちる。

 神に罪を懺悔して口に抛り込んだ。

 口中に広がる、味覚を麻痺させるほどの甘さ。噛む度にシロップが滲み出て、甘さの途切れることがない。それでも、稀にナッツとパイが極く控えめに味を主張するのを頼りに噛み締め続ける。


 あとは砂糖無しのチャイ二杯で喉の奥へと流し込んだ。

 みそぎ代わりの極甘スイーツで、幾分か精神の平衡が取り戻された気がした。

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