第7話 仕事

「此処で待ってればいいのね?」

 アンカラ郊外、刑務所のすぐ横に車を止めて、アイテンさんが言った。


 私は頷いて、助手席で目を瞑った。レストランを出る時に飲んだ睡眠薬が効いて、すぐに眠りに落ちていく。音のない海の奥底へと沈んでいくような、深い眠りへ。




 やがて再び私の意識は、くらい海の底から泛び上がる。だが水面みなもと思って顔を出した処は、刑務所の独房だった。白い殺風景な壁に、さやけき月の光だけが差している。

 鏡のないその部屋で、私は自らの貌と頸とを手でなぞった。身に覚えのない貌の手触り。

 ――幸か不幸か、今回も憑依に成功したようだ。



 これが、エージェントの絶賛してまない私の特殊能力だ。私は他人に憑依することができる。

 但し、条件が三つ。


1.憑依する相手は、半径一キロメートル程度の範囲内にいる人間に限る。

2.憑依する相手は、人を殺したことのある人間に限る。

3.憑依する相手の、顔と名前を知っている必要がある。


 飽く迄、私の経験上から導き出した条件であって、何処かにルールブックがある訳ではない。この先ルールを覆す事態が出来しゅったいするかも知れないし、新たな条件が見つかるかも知れない。

 それと、重要な条件がもう一つ。憑依した相手の肉体が死を迎えた時初めて、憑依は終わる。

 



 さあ、手際よく仕事を済ませてしまおう。

 殺しの標的ターゲットは、他ならぬこの、私が憑依している人物。

 私が彼のからだを駆って自殺すれば彼は魂もろとも死を迎えて、依頼者の願いは成就し、私は元の躯へ戻れる訳だ。


 刑務所内での自殺は社会にとって不都合でもあると云うのか、みだりに自殺者が出ないよう努めてはいるようだが、その気ならば如何様いかようにもできるものだ。

 現に幾度も自殺を成功させてきた私が、生きた証拠だ。



 今回は周囲に手頃な物が見当たらなかったので、自身の爪を剥がして、尖った部分を頸動脈に当て、タイミングをとって、深く一気に掻き切った。



  ***



 憑依から帰還する時、目覚めはいつも最悪だ。

 頭が痛い。吐き気がする。体中が顫える。淡々と書いてはいるが、その苦痛たるや――いや、くどくど愚痴を述べるのは止そう。人を死に至らしめた代償として、これは甘受すべき苦悶なのだと思う。


 やがて声を出せる程度には落ち着くと、私はアイテンさんに合図して、ホテルまで送ってもらった。シャワーも浴びずに服を脱ぎ散らかしたままベッドへ倒れ込み、その後朝まで目覚めることはなかった。

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