最終話 オ・ラシーヌでの幸せな結婚


― 王国歴1124年


― サンレオナール王都 テネーブル公爵家




 僕は今、結婚以来の危機に立たされている。


「フランソワ、この筒のようなものは何ですか? 筆入れにしては少々……」


 夫婦の寝室で何か探し物をしていたクロエの手には見慣れたブツがあった。


「ゲッ、クロホが何故……」


「くろほ?」


 交際前に散々お世話になっていた例のクロホだが、実はまだまだ持っている。クロエと気持ちが通じ合うまでよく使っていた思い出の品と言っても過言ではない。両想いになって付き合いだしてからも、そっけないクロエのせいで中々会えなかったり、喧嘩したりで手放せなかった。


 僕の自慢のムスコに合うサイズを特注していたくらいだ。結婚後もクロエが妊娠出産で体力をそちらに使い果たしていた時に、隠れてよく使っていた。


 ある日僕の不注意で僕の洋服箪笥の奥に転がっていたソレがクロエに見つかってしまう。僕は固まってしまった。


 変態扱いされてしまうだろうか、いや、男の生理現象だから胸を張って堂々としていればいい。他所の女と浮気をするよりはよっぽどましだ。正直に白状しよう。


「はい、これはクロホ、正式名称クロエホールというものでして……実はその、男としての性的欲求が溜まった時にそれを解放するための道具であります……私めが自分を慰めるために時折り使っており……はい、えっと……」


 僕はクロエにこっぴどく怒られることを覚悟し、恐る恐る言葉を繋いだ。


『何ですって? こんな道具に私は劣るとおっしゃるのですか、それにクロエホールだなんて何のひねりもない下品な名前を付けなくてもよろしいではないですか!』


 しかし、こんな叱責が聞こえてくるどころか、愛妻は何故かしゅんとして落ち込んでいる。


「フランソワ、申し訳ございません。私が至らなくてお手合わせが出来ない時に、貴方がこんな無機質な器具に頼らないといけなかっただなんて……」


 なんとクロエが泣きそうな顔になって僕に謝っているのだ。彼女のこんな表情など珍しい、一生に何度も見られるものではない。


「い、いや、そんな、クロエ……そんなことないって。このクロホってね、結構上手く出来ているのだよ。好みで潤滑ゼリーやオイルを使うと実物感も増して、手だけでは得られない意外なほどの快感を与えてくれる逸品で……」


 いや、それは今のこの会話の論点ではないのだ。


「このただの袋か筒に見えるものがそんなに具合がよろしいのですか? 私がご奉仕して差し上げるよりも?」


 い、いかん……何だか変な方向に向かっている。フォローだ、フォローに努めるのだ。僕はクロホの中を疑わしそうに覗き込んでいる愛妻を優しく抱き締めた。


「も、もちろん、そりゃあ本物のクロエの方が何十倍もイイに決まっているよ!」


「私がお相手を務めることが出来ない時は、貴方さまのようなお方なら外で欲求不満を解消されるのに不自由はなさらないのに……あの、貴方のことを信じていないわけではないのですが、私時々不安になることもあって……フランソワ、許してください」


 これはまた予想外の展開を見せているような……いや、僕だって時には誘惑に負けてしまいそうになる……余計後ろめたさを感じてしまう。だが、クロエが僕に謝るなんて珍しい事態に僕は少し調子に乗ってしまった。


「ひどいなぁ、僕はそんな不誠実な男ではないって分かっているでしょ。君に疑われるだなんてかなり落ち込むよ。クロエにはお仕置きが必要だなぁ……」


 そうするとクロエは何だか期待するように僕を見上げてこんなことを言いだした。


「フランソワ、本当に申し訳ございません。私、お仕置きも謹んでお受けいたします……それにしても世の中には便利なものがあるのですね。貴方さまがそこまで夢中になるこの『くろえほおる』とやらはどうやってお使いになるのですか? 実践して見せて下さいませんか?」


「は?」


 一人でシている所を見せろとな……一瞬、意地悪か冗談だと思ったが、クロエの表情がそうではないと言っている。真面目で勤勉な僕の妻は何事も勉強だと思っている節があり、好奇心旺盛なのだった。


「私、お手伝いします」


「え、いや、止めてぇ……あっ、クロエェ……そんな、ヤダァ……」




******




 結局、クロエに押し倒され、無理矢理クロホを装着され、僕は何とも言えない恥辱にまみれながらもひどく興奮してしまった。そしてその中に欲情をぶちまけようとしている羞恥プレイ中の僕を観察していたクロエも、まあその、火がついたようなのだ。


「フランソワ……貴方がお一人でお楽しみになっていると、私も、その……」


「ハァハァ、僕の恥ずかしい姿を見ていてその気になったのでしょ……あぁ、クロエ……おいで」


 その後は……まあ普段と全く違う始まり方のお陰で僕達は相当な盛り上がり方をしたのだった。


 コホン、失礼した。




『僕、愛しのクロホちゃんに慰めてもらうからいいもんねー』


 それからはクロエの機嫌を損ねる度に僕はそんなことを言って彼女の嫉妬心をあおったりしたものだった。これが案外と効果抜群なのだよ、グフフ。





 さて、真剣に本題に戻ろう。結婚後の話だったよな。


 クロエの堅実なお母さんは、男爵令嬢とは言え平民の街で育ったクロエがまさか高位の貴族と交際、結婚することになるとは思ってもいなかったらしい。それは僕も本人から直接言われた。


 貴族の男というものは軽薄ですぐに愛人をあちこちに作る人種だと御義母さんは散々クロエが幼い頃から吹き込んでいたくらいだ。けれど僕はクロエと御義母さんの貴族の男に対する先入観を大きくくつがえした……と思いたい。


 とにかく、クロエが僕に対する過度な期待を抱いていなかったのが良かったのか、僕は彼女の目に良き夫として映っているようで、少々複雑だ。


 僕達は結婚した翌年に長男フレデリック、その二年後に長女クリステルを授かった。子宝に恵まれ、夫婦仲も円満でラブラブ、妻とき遅れの姉の関係も良好、僕は幸せだった。




 二人の子供達はすくすくと成長していた。長男フレデリックは真面目で几帳面なところがクロエに良く似ている。金髪や僕の顔立ちを引き継いでいなかったら父親の遺伝子は完全に淘汰されてしまったのではないかと自分でも疑っていたところだ。


「将来のテネーブル公爵家は頼もしいフレデリックのお陰で安泰だね」


「フレデリックは母方の血を濃く引き継いでいるものね。それとも隔世遺伝かしら」


「いえ、彼の勤勉なところは伯母の私に似たのですわよ、お母さま」


 姉や両親は事ある毎に僕に対してこんな失礼ことばかり言うのだ。クロエに愚痴ると、そんなことはないと慌てて否定してくれるのがまたわざとらしい。


 長女クリステルは喋り出したのも早く、誰に似たのか幼い頃からしっかり者でませていた。


「お母さま、お父さまからぷろぽーずされたとき、かんどうしましたか?」


 何でも聞きたがる年頃になったクリステルは僕達が結婚することになった経緯に興味津々だった。


「そ、そうね、とても泣けたわ……」


 嘘はついていない、ついていないのだが……


「お父さまははくばにのってきたのですか? バラの花たばをもって? ひざまずいたのですか? おとぎばなしのシンデレラ姫のように?」


 僕達はこんな感じでいつもクリステルから質問攻めに遭っている。求婚した時、ツンデレラ姫は僕の間抜けな姿に大うけして笑い過ぎで涙を流していたのだ。


「それは内緒です。夫婦の秘密ですから」


 ホッ、父親の威厳は守れたようだ。


「えーっ、しりたいです! しょうらいはわたしもお父さまのような王子さまとけっこんしたいのです!」


 女子というものは全く早熟な生き物だ。四歳くらいから既にこれだ。それに比べると男の子の方がよっぽど純粋で子供らしいと言える。


 求婚に先走ってしまった僕はクロエに後々揶揄からかわれてばかりいる。それでもクロエは結婚した頃のことを懐かしく思い出す度に、僕という素晴らしい夫を持てた幸運を改めて噛みしめているのだ。


 要するに、その頃を回顧するとクロエは普段よりも僕に優しくなって、そして希少なデレデレ成分をたんまりと分泌して僕に甘えてくる。


『私と結婚できたなんて貴方は幸せ者ですわね』


 クロエはよく僕にそう言ったものだった。僕はその言葉を聞く度に自分が如何に幸福か改めて実感している。




     ――― 完 ―――




***ひとこと***

語るも涙、聞くも涙の苦悩と困難と煩悩との戦いの記録、遂に感動の最終回!


最後までお読みいただきありがとうございました。この後、恒例の座談会、重要でない登場人物紹介に後書きを更新いたします。




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