第十四話 騒ぎが落ち着くまで
求婚の話が宙に浮いたままの状態の時に僕は厄介な事件に巻き込まれそうになったのだった。今から考えてもはらわたが煮えくり返る思いだ。しかも大事になる前に知らせてくれたのはクロエ自身だった。
もし彼女の信用を失ってしまっていたら、陰謀を企んだM家は領地没収の上お家断絶に科しても僕の怒りは収まらなかっただろう。
ある夜、プロポーズ保留中のクロエが我が家を訪れた。約束もないのに彼女が突然来るなんて初めてのことだった。彼女の来訪を伝えに来た使用人によると彼女は一人ではなく、連れが二人いるとのことだった。
僕はそれでもいそいそと彼女が通された客間に向かった。なんと彼女の連れはあの
悪い知らせには違いなかったが僕の予想の斜め上を行く事態だった。どこのM家か知らないが、記事が公になって貴族社会に噂が広まると僕の立場は微妙なものになる。
何の後ろ盾もないクロエと結婚するのに大きな邪魔になる。そもそも僕は彼女に見限られて求婚を断られるに違いない。何としてでも記事が出るのを阻止しなければならなかった。
エレインの同僚であるその記者が僕とMの逢い引きを見たという夜、僕は丁度クロエとうちの離れで過ごしていた。
「とにかく……もしもその記者の方が貴方を目撃したという日時に、貴方が私と一緒でなかったとしても私には分かります。貴方さまは私にあのような提案をしていながら、他の女性とも連れ込み宿に行くような、そこまで節操のない人ではありませんよね。最低限の良識は備えておいでです」
僕にアリバイがなくてもクロエは僕を信じてくれると言っているのだが、何だか微妙だ。
「もちろんじゃないか、ってクロエ……何気に僕のこと
とにかく、クロエに信じてもらえているということに僕は力をもらった。この事態からもすぐに脱却できるはずだ。
エレインとウィリアムが帰った後、クロエを送って行こうとしたら大丈夫だと言う。
「フランソワ……記事の件で早急に動く必要がおありでしょう、私は一人で帰りますわ」
確かにクロエの言う通り、今は一刻も無駄にしたくない。クロエを見送る前に、姉と馬丁のリシャールを呼ぶように執事に頼んだ。
「先程君が訪ねてきた時には求婚の返事を貰えるのかと思ったよ。けれど友達と一緒だったから何事かと……それでも、僕の無実を信じてくれて、真っ先に知らせに来てくれたということは僕にはまだ望みがあるのかな」
僕は
「それは……」
「考える時間が必要だと言ったね。君の気持ちを尊重するよ。それに今は自分の身辺整理が最優先だ。でも、この件が片付いたらもう待てないからね」
「ありがとうございます、フランソワ」
クロエは僕に深く頭を下げた。僕が返事を待つことに対してのありがとうなのだろうか。
「送って行けなくてごめんね。気を付けてお帰り」
「フランソワ、あまり無理をなさらないで下さいね……記事が取り下げられることを祈っています」
別れ際にクロエは少し背伸びをして珍しく自分から僕に軽く口付けてきた。
「クロエ……」
彼女の気持ちにまだ
クロエを一人で帰してから書斎に集まっていた面々に手短に事情を話し、それぞれに頼み事をした。
「こんな夜遅くに呼び出して申し訳ない。どうしても皆の協力が必要なのだよ」
馬丁のリシャールは以前、王都警護団に勤めていたので、エレインの同僚である記者を見張らせることにした。
姉には魔法でも何でも使ってその記者が記事を書けないようにしてくれるように頼んだ。もちろん、法に触れない程度にだが、異世界に転移転生でもして送りつけて欲しかった。ついでにあのストーカー野郎も道連れにしてくれるとありがたい。
執事には貴族令嬢M・Mの候補を挙げるようにと命じた。
リシャールと執事はすぐに退室し、二人きりになると姉に聞かれた。
「フランソワ、クロエさんはその記事のことをご存知なのですか?」
「ご存知も何も、クロエ自身が先程知らせに来てくれたのですよ」
「まあ、こんな遅くにお客さまがあるとはどなたかと思いましたけれど、彼女だったのですか……それで、クロエさんはさぞショックを受けていらっしゃるでしょうね……」
「いや、僕のことを信用してくれているとは言っていましたが。その記者が逢引を目撃したと言う日時に、その、僕は彼女と一緒に居ましたしね。潔白は証明できたわけです」
それから二週間ほどの間、僕は嘘の記事をもみ消すためにあちこち奔走していた。公爵である父のコネも最大限に利用させてもらい、商人ウィリアムの知り合いも紹介してもらった。
クロエにもしばらく会えず、髭は伸ばしっぱなしで睡眠もあまり取れなかった。リシャールと警護団がその記者を不法侵入の罪で逮捕してくれたお陰で事はすんなりと進んだ。姉が瞬間移動と記憶操作の魔法を使い、記事は闇に葬られ、その記者と結託していた貴族Mも特定できた。
僕は心強い協力者に恵まれていて、何とも有難いことだ。
M家にはテネーブル公爵家から圧力をかけ、もう二度と我が家に盾突くことがないように厳しく対処した。
全てに片が付いたその夜、僕はもう居ても立っても居られず、御者のマルタンにクロエの家に馬車を向かわせるように命じた。その日はクロエ号ではなく公爵家の馬車を使っていたが、彼女に会いたくてたまらず、そのまま行った。
ダフネと母親によるとクロエ留守でほんの少し前、僕の屋敷に向かったそうだった。クロエは近くで辻馬車を拾うと言っていたそうだ。
「おめでとうございます、もう遅いですから、姉を帰すのは明日の朝にして下さいね!」
おめでとうとは、偽記事もみ消しのことだろうか、それとも……彼女には手を挙げて答えた。これ以上入れ違いになりたくない。マルタンに馬車を急がせた。
「クロエ、愛している」
僕は魔法石を握りしめながらそう繰り返していた。ラシーヌ川に架かる橋に一台の辻馬車が見えてきたので馬車を更に加速させる。うちの御者マルタンは見事な手綱さばきで辻馬車を追い抜き、その馬車の前に立ち塞がって止めた。
「よう、何なんだ? ちゃんと道は開けてやっただろーが!」
急停車しなければならなかった向こうの御者は訳も分からず、そう叫んでいる。無理もない。
「クロエェー!」
僕はクロエが乗っていると確信していたので、自分の馬車から飛び降りて駆け付けて辻馬車の扉を開けた。
「やっぱり君だった。良かった、追いついた」
これだけ大袈裟にして、人違いでなくて本当に良かった。
「フランソワ……」
僕は愛しい女性に手を差し出し、馬車から降ろした。しばらく僕達は無言で見つめ合っていた。柔らかな外灯に照らされたクロエの顔は少し疲れているようにも見える。
「お嬢様、こんな夜更けにどちらまでいらっしゃるのですか?」
僕はもう一度
「カルティエ オ・ラシーヌに住む、愛しい男性の元へ参るのですわ」
「そ、それは、一夜の逢い引きの為?」
「いいえ。法律上婚姻関係を結んで、これからの人生を共に歩んで行きましょうと彼に告げるためです」
「……ああクロエ、君が結婚を了承してくれた……夢じゃないよね」
自分の頬をつねってみたら痛い。聞き間違いでもない……
「はいフランソワ、私も毎朝貴方と迎えたいです」
その瞬間、僕は彼女を自分の腕の中にしっかりと抱きとめると感激で涙があふれてきた。
「うう、やっと君にハイと言ってもらえて僕は幸せ者だ、良かったぁ……ううぅ」
こうして、哀れな僕が難攻不落のクロエの愛を勝ち取るまでの感動のストーリーは遂にめでたしめでたしの結末を迎えたのだった。
***ひとこと***
皆さま結末はお分かりだったでしょうが、これでひとまず安心ですね。フランソワ君もお疲れさまでした。
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