第十二話 可愛さ余って憎さ百倍


 ある日クロエと一緒に食事をした時のことである。お手洗いに行ったクロエが先に会計を済ませてしまったという、何とも些細なことが口喧嘩に発展してしまった。


「クロエ、女の子は遠慮せずに御馳走してもらっていればいいの。僕の面子が丸潰れじゃない」


「けれど、フランソワにいつも出してもらっているので私は申し訳なくて……だって貴方に会計を任せて後で払おうとしても絶対に受け取ってもらえませんよね」


「もちろんだよ。女の子に払わせるなんてできないもん」


「二人で一緒に出掛けているのですから、私も時々は費用を出して当然だと思うのです」


「そんなこと言って、君の文官としての給与と副業収入はご家族のために使っているのでしょ。クロエはにっこり笑って『フランソワ、ありがとう』って言うだけでいいのに」


 君はあんなボロ家に住んでいて、経済的にも苦しいのだから、と口が滑りそうになっていた。


「確かに私と貴方の財布の中身は大きな格差があるのは分かっています。けれども……」


「だからもういいの、この話は終わりね。君はあんなことがあったのに相変わらずあの商店で休みの日も働いていて忙しくしているよね。副業があるから、女の子の日だからってデートも中々出来ないじゃない。僕としてはもっと会いたいのに」


 自分で言っていて、大幅に話がずれていたのは分かっていた。付き合いだしてから僕とクロエの間の温度差も気になり始めていたのだ。


 僕は友人達との付き合いを控えてクロエのために時間を割いているというのに、彼女は何だかんだと都合が良くないからとこの僕の誘いを断るのだ。あの憎きオタクストーカーが彼女を見初めたよろず屋の仕事を辞めずにまだ続けているのが僕にはまず信じられない。


 それから、クロエの頭の中では僕とのデートには必ずエッチありという図式があり、女の子の事情でねやに入れない時は一緒に出掛けるだけという選択肢はないのだ。


 僕は別にクロエに会って食事だけで解散でもいいし、本番なしでもそりゃあ出来れば手や……クロエに抵抗がなければ口でのご奉仕でもいいのだ。けれど何となくクロエにヒかれるかと思うと提案できないでいる。


「フランソワ、私が副業を続けているのは家計を助けるためです。客の一人に誘拐されそうになったからといって急に辞めるわけにもいきません。それから、定期的に月のものがあるのは健康な証拠ですし、その間はねやでのお手合わせはできませんもの。ない方が大変ですわ。避妊に失敗したのではないかと心配になりますよね。それにこの二点は今の私たちの会話に沿っていません」


 高級文官のクロエはいつも正論を唱えるのだが、それが今日は僕の気に障った。そして僕の口からは言ってはいけないことが漏れてしまったのだ。


「流石、揚げ足取りが上手だね、司法院所属のクロエ・ジルベール女史は。だから一体何が不満なの、ただで僕とデート、美味しいものが食べられてエッチできて……」


「フランソワ・テネーブル次期公爵さまの得意の経済力に目がくらんで私が喜んで股を開いているとおっしゃりたいの? 一寸の虫にも五分の魂という言葉をご存知ですか?」


「ああぁ、国語の講義始めちゃったよ、クロエ先生が。そんなところが可愛げないし面倒臭いと思われているのが分からない?」


 お互い言いすぎて引っ込みがつかなくなっていた。


「でしたら、もう私のような面倒な女はどうか放っておいてください! 私、ここから別の車を拾って帰ります。すみません、馬車を止めて下さい、お願いします!」


 クロエの言葉に減速した辻馬車がまだ動いているのに、彼女はそこで飛び降りてしまった。


「おいっ、待てよクロエッ!」


 まさかクロエがそこまでするとは思っていなかった。こんな繁華街で行く当てもない若い女の子など、すぐに追いつけるだろうと高を括っていた。


 ところが、彼女は次の角を曲がったところで辻馬車を拾ってさっさと乗り込み、去って行ったのだった。


「私のことは放っておけって……それが出来たらとっくにそうしているよ! クソッ!」


 クロエが乗った馬車に向かってそう虚しく叫んでいた僕だった。




 最初は僕も楽観視していた。すぐに向こうから謝ってくるだろうから許してやって、濃厚な仲直りエッチに持ち込もうだなんて考えだった。


 ところが何日経ってもクロエからは音沙汰なしだった。彼女がもうそれでいいなら、僕も構わないと開き直った。しかし、何をしても気分は晴れなかった。


 友人達と飲みに行っても楽しくなく、酒に飲まれていた。飲んだくれて帰ってくる僕に対して姉は何も言ってこないが、何だかジト目で睨まれているような気がしないでもない。両親からは姉が最近クロエを誘っても断られてばかりだ、と聞いていた。




 ある夜、飲み屋であからさまに誘惑してくる女がいた。豊満な胸は魅力的でパイ〇リもしてもらえそうだ。以前の僕なら、こんなあと腐れのなさそうな一夜の関係は渡りに船だと即お持ち帰りでむしゃぶりついていたところだ。


 それでもクロエの顔がちらつくとどうも食指が動かない……早く帰宅して自室で一人、クロホに欲情をぶちまけるに限る。こんなことを考えている自分にショックを受けていた。僕は一体どうしてしまったのだろう。


 そして夜はクロエの夢ばかり見ていた。


『フランソワ、私が悪かったわ……何でもするから許して……』


『クロエ、分かればいいんだよ』


 夢の中のクロエは半裸か全裸で泣いて僕にすがってくるのだ。やたら従順で奉仕的なクロエを好きなようにするという淫らな夢を見ては目覚めた朝、虚しさにさいなまれることが何度もあった。


「ちきしょう、夢の中じゃ何でも思い通りなのに……しかもクロエの胸も実物より心なしか大きかったような……」




 職場では最近、新しく配属された後輩の女子がやたらと絡んでくるのがウザかった。


 胸元の開いたドレスに男共は喜んでいる。逆に女共の反感を買いまくっているに違いない。職場の人間関係は大事だ、誰か注意してやれ。


 先日も僕が残業していたら、簡単な書類を直してくれと頼まれた。配属されて日が浅いとは言え、このくらいもう全部自力で作成しろよ、と思わずにはいられない。


 下心が丸見えで、しかもわざとらしくデカパイを押し付けんばかりに接近してくるのだ。余計える。いくら巨乳でも同じ職場でつまみ食いなんて御免だ。相手は上手く選んで厄介事を避けるに限る。


 さっさと仕事を片付けて退散したら、帰りがけに王宮正門前で辻馬車に乗り込むクロエを見かけた。薄暗かったが、ちゃんと僕の目は彼女の後ろ姿を捉えた。彼女の後から文官らしき恰好の男が乗り込んでいた。


 このフランソワ・テネーブル様が巨乳ぶりっ子の胸押し付け攻撃も巧みにかわしているというのに、クロエはもう新しい男とデートしているかと思うと怒りと嫉妬と口惜しさの入り混じった醜い感情が湧き上がってきた。むしゃくしゃしてきたが飲みに行く気にもならず、そのまま帰宅した。


 結局クロエと喧嘩中、僕は心を無にして鍛錬に励むのが一番気を紛らわせることができた。そのお陰でやっと僕の腹筋は洗濯板らしき形状になってきたのだ。


 そもそもこの洗濯板はクロエがマッチョ好きで筋骨隆々の男に抱かれたいと言うから手に入れようとしたというのに……僕は底なしの虚しさにさいなまれていた。




***ひとこと***

人生山あり谷ありです、フランソワ君。今はひたすら我慢の時です。鍛錬を続けて洗濯板を完成させるときっと良いことがあるはず!?

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