第九話 鬼の霍乱による空振り
僕の『嬉し恥ずかしクロエちゃん処女喪失計画』は下調べから着々と進んでいた。食べることが好きなクロエだから、部屋の内装や建物の豪華さよりは食事の質を喜ぶに違いない。僕は給仕やサービスの評判に重点を置き、食事が美味しいと定評のある連れ込み宿を選んだ。二人きりで静かに朝まで過ごせることも重要だった。
決戦の夜を三日後に控えた僕は精力を蓄えるためクロホを封印した。前日の夜はいつもより念入りに体を洗った。現地で行為の前に風呂に入るとしてもだ。当日着るものも侍女任せにせず、下着から全て自分で選び、準備万端だった。
そして当日の朝、張り切って出勤したのはいいのだが、その日クロエは何と欠勤していたのだ。もしかして気が変わったとか、それで僕と顔を合わせるのが気まずいからか、とも考えた。だが、あれだけ仕事熱心なクロエに限ってそんなことは絶対ないだろう。
その日の午前中は全然仕事にならなかった僕だった。普段だってろくにしていないだろう、と言っているのは誰だ。あっ、読者の皆さんほとんどですか、すみませんね。
昼休みにお局ポリーヌを待ち伏せし、それとなく聞いてみた。
「何でも高熱が出て寝込んでしまったそうなのです。先日も体調不良で休んでいたから、それがまだ完全に治っていなかったのではないかしら」
「そ、そう。早く元気になればいいね」
「ええ。仕事の鬼のクロエさんがこの年末の忙しい時に寝込んでしまうなんて、自身が一番気にしていると思うのです。それに何と言っても年明けからは……あっ、いえ何でもございません」
ポリーヌの言葉に引っかからなかったとは言えないが、僕は熱を出したクロエのことが心配で気になっていて、さっさと頭を下げて去って行くポリーヌを引き止められなかった。僕はまだクロエが来年から司法院に異動することを知らなかったのだ。
その日の昼過ぎ、王宮に居る僕にクロエから急ぎの文が届いた。今晩の約束に行けなくなったことを謝罪する文だった。非常に残念だがしょうがない。病に倒れたからと言って約束が流れることはないと信じたい。ただの延期だ。直ぐに返事を書き、一緒に果物籠を手配して送った。
今晩の連れ込み宿は泣く泣く予約を取り消した。体調が万全な時に臨むのが一番だ。何と言ってもクロエにとって初めての夜なのだから、良い思い出にしたいだろう。
翌日クロエから返事が来た。わざわざ見舞いに来てくださる必要はない、お気遣いありがとうございます、と書かれていた。ただの社交辞令ではなくて本当に彼女が心配で見舞いたいのだが迷惑ならしょうがない。
しかし居ても立ってもいられず、クロエ号で彼女の家の前まで来てしまった。約束もしていないのにいきなり押し掛ける勇気もなく、結局通りの角でうじうじと悩んでいた僕だった。
「もしかしてフランソワ・テネーブルさまでいらっしゃいますか?」
通りがかりの若い女の子に話し掛けられた。声がクロエにそっくりだから、彼女の妹に違いない。顔立ちはあまり似ていず、クロエよりも華やかな印象だった。
「もしかして、君はクロエさんの妹さん?」
「はい。ダフネと申します。貴方は姉をストーキングされているのですか?」
いきなりこの僕をストーカー呼ばわりする、なかなか手強そうな相手だ。まあ確かに僕も挙動不審だったのは認める。
「はい? いや、僕は断じて違うから! 本物の最低ストーカー野郎はこの間捕らえられてもう王都から追放になったし! ただ僕はクロエを見舞いたいだけで、でも彼女はわざわざ来なくても大丈夫って言うから……それでもやっぱり心配で……あの、彼女の具合はどう? 少しは良くなったの?」
結局、妹ダフネがクロエの様子を見に行ってくれて、すぐに家に招き入れてくれた。彼女によるとクロエは僕に病に臥せっている姿を見られたくなかったのだろうとのことだった。僕としてはそんなことは全然気にならないが、女の子的には駄目なのだろう。
寝間着姿のクロエはいつもと違い、髪も下ろして一つに結んでいる。何だかこんな姿は少し頼りなげに見える。それと同時に、彼女との距離が再び縮まったような気がしないでもない。
心配していた熱もやっと下がったようで安心した。初体験は中止ではなくて延期ということになったから、頑張って仕切り直すことにしよう。
クロエに最後に長いキスをして、一階に下りると彼女の母親らしき女性も帰宅していた。
畏まって自己紹介をした。お嬢様とお付き合いさせていただいていると言うべきかどうか迷って、結局職場の先輩ということにしておいた。クロエの母親だけあって淡々としていて、しかも目線が鋭いような気がする。確かにただの職場の先輩がお見舞いに来るなんて普通は考えられないだろう。
「まあ、わざわざクロエのお見舞いにいらして下さったのですか。先日の事件の折にはクロエを助けて下さったそうで改めてお礼のしようもございません」
身なりは平民のような質素なものだが、クロエよりも言葉遣いや口調が貴族のそれだった。誘拐事件の直後に彼女から届いた礼状の書体や文体からも、教養のある貴族の婦人だと分かっていた。
「いえ、私は大したことは出来ませんでした。クロエさんが無事で本当に良かったです」
「娘は一度に色々なことが起こったので疲れも溜まっていたのでしょう」
「ゆっくり休ませてあげて下さい」
「こんなところで大したおもてなしもできませんが、お茶を淹れましたのでよろしかったらどうぞこちらにお座り下さいませ。クロエの妹から聞きましたが、美味しそうな焼き菓子を持ってきて下さったそうですね。お気遣いありがとうございます」
母親も妹も、この僕に対して卑屈になるわけでも、へつらうわけでもないので楽だった。それでも長居も良くないだろうから結局すぐに帰ることにした。
職場で年明けからの人事異動が発表され、僕はそこにクロエ・ジルベールの名前を見つけて驚いた。司法院所属になるらしい。
お局ポリーヌにかまをかけてみたら、異動希望はずっと前に出していたらしい。親友の弟から最近彼氏に昇格した僕にも一言くらい相談してくれても良かったのではないか、と知らなかったことにショックを受けていた自分が居た。
確かにクロエはお喋りではないし、同僚の噂話もしないし、上司の悪口も絶対に言わない。彼女らしいと言ったらそれまでだが、僕は職場の先輩として恋人としてそんなに頼りなくて信頼されていないのかと思うと悔しかった。
さて、年末の休みは我が家に親戚が集まったり、僕達一家も領地で過ごしたりと家族の行事で忙しい。クロエも熱のせいで仕事を三日連続で休み、その後は引き継ぎで大変そうだった。彼女が副業をしているよろず屋も年末は人手不足で休めないようだった。結局クロエとの初エッチは年明けにずれ込んでしまった。
***ひとこと***
念入りに準備していた本番がまさかのお預け! すとう家になり、すとうキングと化したフランソワ君、来年こそは悲願成就のはず!
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