成就

第七話 真面目女子の悩ましいお願い


 我が姉に対して丁度いい所に邪魔しやがってと思ったら、警護団の団員が事情聴取に来ているとのことだった。事件に巻き込まれた者が一人ずつ彼らに呼ばれて色々質問をされた。


 昨晩も現場に来た団員にきつく言い聞かせたが、この事件は決して公にするわけにはいかない。後で警護団の上層部にもしっかりと圧力を掛けておくことにする。


 クロエ号はしばらくの間、警護団が証拠品として預かっているため、今朝は辻馬車を呼んでクロエを送って行くことにした。クロエを先に乗せたらさっさと下座に着くので、僕の隣に引き寄せた。もう恋人同士なのだから隣に座るのが普通じゃないか。昨晩のように僕の膝の上でもいい。


「テネーブルさまは午後から出勤されるのですか?」


 普段からクロエはこんな感じだが、彼女の雰囲気はどうも固い。


「うん、そうするつもり。こんな事になるなら日頃から仕事を溜めないようにするべきだったよ」


 付き合い始めたばかりの恋人が馬車の中で二人きりになったらもっと密着してベタベタイチャイチャとすることは決まっているだろう。僕は颯爽と現れて彼女の危機を救ったカッコいい彼氏と認識されているのだろうか……不安になってきた。


「やっと完全に二人きりになれたね、クロエ。ところで短期的なものから長期的なもの、君に幾つかお願いがあるのだけど」


「あ、はい。何でしょうか?」


 この至近距離での上目遣い、イイよな。


「君に口付けても良い?」


「えっ?」


 女にキスさせてくれと頼むなんてこのフランソワ・テネーブル様にとっては初めてのことだ。しかも何だ、この驚愕の反応は……凹むぞ。


「だからそんなに驚かなくても……」


「けれどテネーブルさまは昨夜から私に口付けていますよね? どうして今更お願いだなんて……」


 ということは彼女に聞かずともその可愛らしい唇を奪ってしまっても良かったということなのだろうか?


「いや、だからね、クロエ。僕が意味するのは家族や友人同士のキスではなくて、唇にする大人の口付けなの」


 それでも一応確認しておくことにした。何だか僕はクロエを目の前にすると弱気になってしまう。


「あ、そうでしたか。えっと、その、どうぞお好きなだけ何処にでも」


「は? ど、ドコにでも?」


 クロエは首を傾げて不思議そうにしている。


『折角二人きりになれたのだから、唇だけとは言わずドレスを脱がせてアンナトコやコンナトコ、恥ずかしいトコロも含む体中にキスしてぇ、早く、フランソワ』


 僕の聞き間違いでなければ、彼女が今言ったことはそういう意味、だよな……実は大胆なクロエに僕は赤面してしまった。


「だったら早速、と、とりあえず唇だけは君の気が変わらないうちに……」


(いっただきまーす)


 片手でクロエのあごを持ち上げ、僕は顔を近付けた……のだがこの馬車内では結局初めてのチューは叶わなかったのだった。


「ヒヒーン!」


「キャッ!」


 まず馬が驚いて急停止したのでクロエが座席から転がり落ちそうになった。辛うじて彼女を抱きとめられたのは良かった。さて、気を取り直して再び走り出した馬車の中で再び彼女の顎を持ち上げた。


「クロエ……」


 ところが今度は馬車が舗装もろくにされていない道に入ってガタゴトと揺れが激しくなったのである。口付けどころではなかった。


 そして、こともあろうにその馬車は車輪が壊れて故障したのである。御者もすまなそうにしていて、すぐに代車を捕まえて来てくれた。


 その二台目の馬車にクロエを乗せてから御者に命じる。


「郊外の方まで遠回りをして、半時くらい適当に流してくれないか。それからなるべく舗装された道を通ってくれ、また馬車が故障しても困る。バ・ラシーヌの指定の住所で彼女を降ろした後は王宮正門へ向かってくれ」


「分かりました」


 今度こそは初キッスを成功させるのだ。乗り込んですぐにクロエをしっかり抱き締めた。


「今度は馬車が止まろうが、事故を起こして破壊されようが絶対にやめないからね」


 お互いの吐息が混じり合い、遂に唇同士が触れ合った。軽くついばむようなキスから始めると、クロエの可憐な唇がもっと激しく奪ってくれと誘うので夢中で吸った。


 態度や言葉遣いは固い彼女も唇は甘く柔らかい。調子に乗って耳たぶや首筋も唇を這わせて味わっていると、自由になったクロエの口から熱い息が漏れた。


「あ、あぁ……」


「クロエ、そんな声出されたら僕もう……」


 僕の両手は辛うじて彼女の背中や脇腹を撫でるにとどまっていたが、今にも僕の意思に反してけしからん動きを始めそうである。


 キスの許可は貰ったが、お触りの方はどうだろうか……イケそうな気がしないでもないが、今日のところは頑張って大人しくしていることにした。


 クロエは僕の肩に頭を預け、背中にしっかりと腕を回している。そんな彼女にこれ以上ないほどの愛しさを感じた。


 そして僕は再び彼女の顎に手を掛けて僕の方を向かせ、唇を奪った。馬車が今どこを走っているかなんて気にしていなかった僕だが、流石にクロエの方が車窓の風景に気付いていた。


「テネーブルさま、私たち一体何処にいるのでしょう? 大変です、貴方さまは午後からお仕事ですのに!」


「心配しないで、クロエ。ちゃんと君をおうちに送り届けるから」


 そう言えば仕事のことはすっかり忘れていたが、どうせ午後から行くのだ、遅刻も何もない。


 やっぱりお前はろくに仕事していないな、とのお言葉は真摯に受け取っておこう。クロエと初めてのチューの方がよっぽど大事だ。


「テネーブルさま……」


「それからね、もう一つのお願いはね、苗字はやめて、フランソワって呼んで?」


 クロエらしいと言えばそれまでだが、何だかまだ距離を置かれているようで僕は寂しい。


「フ、フランソワさま……」


 彼女が恥ずかしがりながら僕の名前を発音する様子に身悶えしてしまう。


「呼び捨てにしてよ、クロエ。もう君と僕の仲じゃないか。それに敬語もやめてね」


「私と貴方さまの仲、ですか……」


 もう恋人同士なのだから遠慮しないでよ、と言おうとしたら彼女が先に口を開いた。


「あの、テネーブルさま、あ、フランソワ……さま。では私も一つお願いがございます」


「うん、何? 僕に出来ることなら何でもいいよ」


 クロエが僕に何かを頼むなんて珍しい。僕の腕の中に居るクロエは何だか覚悟を決めたように大きく深呼吸し、僕を見上げた。


「私、あの、お願いと言うのは……貴方に私の処女を奪って欲しいのです」


「ブッ……」


 思いもかけない爆弾発言に僕は変な声を出した後、一瞬固まってしまった。


「あ、あの、一度だけでいいので、と言うかもちろん処女喪失は二度も三度も出来ることではありませんけれども……初体験はどうしても貴方でないと嫌だと昨晩気付いたのです。私、別にその、貴方さまと一線を越えたとしても決して他言しませんから! 本当です、ねやに入る前に誓約書に署名します!」


 一気にまくし立てるクロエの言葉に、へぇ、やっぱり処女かぁ、僕の予想は当たったなんて感心している場合ではなかった。


 聞き間違いではない、よな。棚から牡丹餅か、それとも冗談? いや、クロエはそんな趣味の悪い冗談を言うような子ではない。




***ひとこと***

この辺りからでしょうか、二人それぞれ考えていることがますますズレてくるのでどうしてもお互いの視点で書きたかったのですよね。

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