第二話 お金で買えないものもある


 僕はクロエを送って行くために綿密な作戦を練った。公爵家の紋入り馬車でなく使用人の馬車を借り、姉までだしに使ってみることにした。クロエは大魔術師である姉に会えて純粋に嬉しそうにしていた。


 姉も同席していたとはいえ、僕は彼女と一緒に馬車に乗り、自宅まで送ることに成功したのだ。本人も言っていたように、クロエはかなり古くて狭そうな長屋に住んでいた。うちのうまやの方が立派なのじゃないかというレベルだ。


 貴族学院ではなく平民の行く学院を出ていることからも何か事情があるというのは知っていた。男爵である父親を小さい頃に亡くしていることが原因なのだろう。




 その後、姉の方がクロエと急速に仲良くなった。姉はクロエを時々屋敷に呼んだり一緒に出掛けたりしていた。彼女はうちの両親とも何だか気が合って、大層気に入られていたようだ。


 将を射んとする者はまず馬を射よという言葉があるが、クロエの場合は馬は皆手懐けて将には全然興味なしと言った感じだったのだ。自分で自分が情けなくて泣ける。


 さて、例の使用人の馬車は僕が時々クロエを送り迎えするために使うことにし、使用人にはもっと良い馬車を新調した。そして面白がった両親が勝手にその馬車に『クロエ号』と名前を付け、屋敷中の人間がそう呼ぶようになっていた。


「フランソワも恋を知ったのね」


 ある日姉が僕に言ったその言葉は心に染みた。ああ、これが恋というものなのか、と。そして姉はクロエと僕に魔法石でお揃いの首飾りを作ってくれた。お互いの瞳の色の魔法石で、僕のものは薄茶色だ。


「クロエさんはこれが貴方とお揃いだとは知らないの。ほら、お互いの瞳の色と同じ色の石なのよ。でも本当に喜んでくれて、いつも肌身離さず付けています、って言ってくれたわ」


「どんな魔力があるのですか?」


「残念ながら惚れ薬や媚薬のような効果はないわよ。ちょっとしたお守りのようなものね」


 僕の考えが盛大にバレている。


「そんなことは分かっていますよ!」




 僕の恋の行く先は前途多難だった。僕の立ち位置は職場の先輩から親友の弟に昇格したのだが、全くその先が見えないのだ。


 クロエは姉と二人きりで出掛けることはしょっちゅうある。先日、うちの両親が騎士道大会の入場券があるからと誘った時も大層喜んでいて、是非行きたいです、と答えていた。


 ある日、僕は騎士団が入っている東宮に友人の一人を訪ねて行った。前回飲みに行った時に手持ちがなく、飲み代を立て替えてもらっていたのだ。


 相変わらず騎士団の稽古場は大勢の女共が群がっていて、騎士たちに黄色い声を上げていた。どこから湧いてくるのか、真っ昼間から暇な人間も居るものだ。騎士達のムキムキの筋肉に女共が奇声嬌声を上げている。


 奴らもそれを分かっていて、わざとシャツを脱いで上半身裸になるのだ。嫌味で自意識過剰だろ。とにかく稽古場は異様な熱気に包まれていた。


「ああ、至福の時よね、目の肥やしよ……ジュリエンさま素敵ぃ……あの逞しい胸板や腹筋を見ていると濡れちゃうわ、私」


「私は断然デニ担よぉ。引き締まった上腕三頭筋に抱かれて、剣だこのあるごつごつした手での愛撫を想像するだけでご飯三杯は余裕でイケるの」


「あの白い稽古着の方、ズボンの上からでもアソコのサイズが中々のものだって分かるわ。やっぱり彼氏に求めるのは精力的で激しいエッチよね」


 オイそこの女、ブツの大きさと長持ち度とテクが全て比例関係にあると考えるのは単純すぎるだろ。よだれを垂らしながらお目当ての騎士をオカズに下品な妄想をしている女共には悪寒がして鳥肌がたった。やんごとなき令嬢が聞いて呆れる。


 文官の自分のひがみでは決してない。さっさと用事を済ませて退散するに限る。




 さて、騎士道大会など興味はなかった僕だったが、クロエが来るので家族と一緒に観に行った。彼女を自宅に送り迎えする役はもちろん僕が買って出た。


「私、騎士道大会は初めてです。こんな大規模な会だとは思ってもいませんでした。皆さま今日のこの日に備えて日々鍛錬されているのですね」


 クロエがはしゃいでいるのは珍しい。騎士道大会と言ったら聞こえがいいが、要は野蛮人の決闘だろう。彼女がここまで興味津々だとは思ってもいなかった。


「楽しんでいるようで何よりだよ。誘った甲斐があった」


 まあ、クロエを誘ったのは僕ではなく両親だが。


「ああ、あの黒いかぶとの方が負けてしまわれました……流石年長者だけあって、動きに無駄がないなと思って応援していたのに……」


「残念だったね」


 おい、そこの黒兜、クロエの応援を一身に受けるとはラッキーな奴め。だというのにあっという間に負けるとは情けないぞ、鍛錬が足りんな、ハハハ……


「騎士の方々は日々の努力や才能がそのまますぐに成果に現れるのですね。それにしても、皆さん騎士道大会に出場されるだけあって、体つきが何と言うか全然違います。肩も胸板もがっちりしておいでで、お召し物の上からでも筋肉の盛り上がりがはっきりと分かりますね」


 決勝戦に勝ち残った騎士以外は最後の表彰式によろいかぶとも脱いで出てきていた。汗臭そうな奴らを見ながらクロエは恍惚とした表情をしている。


『やっぱり恋人にするならテストステロン分泌量の多そうな男臭いマッチョよね。アッチの方も絶倫でしょうし、ああ、女としての本能がうずくわ。私の周りに居る文官の男共はなよなよしていて頼りないったらありゃしない』


 要約するとそういう事なのだ。もしかしてクロエも騎士団の稽古場に行って脳みそまで筋肉の軍団に黄色い声を上げていたりするのだろうか。それは流石になかなか想像できないが、僕は大いなる危機感に駆られた。


 そこで運動があまり得意でない僕も、一念発起して体を鍛えることにした。騎士科の悪友に頭を下げて協力してもらうのはどうしても嫌だった。かと言って、僕一人で闇雲に鍛えても効果がないのは分かっていた。


 そんな時、屋敷に勤める馬丁の一人がやたら良い体つきをしているのがふと目に留まった。そんな経緯でその馬丁、リシャールを見込んで僕を鍛えてもらうことにしたのだった。


 僕がリシャールには最初とんでもない誤解をされてしまったのは、僕の頼み方が非常に紛らわしかったからだそうだ。はいはい、どうせ全て僕が悪いのですよ。




 とにかく、僕はリシャール鬼コーチの元、日々鍛錬を欠かさなかったが、いつになったら成果が現れ、クロエが僕の誘いを受け入れてくれるのか、出口の見えない辛い戦いの日が始まった。


「クロエェ、洗濯板ぁ……ハァハァ……」


 そう繰り返しつぶやきながら日々屋敷の裏庭で一人せっせと鍛錬をしている僕の姿には全テネーブル家が泣いた。


「こんな事続けてもいつまで経っても洗濯板にならないよぉー」


「そんなことはありませんよ。少しずつですが変化は見られます。そうですね、愛しい彼女にご褒美をおねだりしてみるのはどうでしょうか?」


 リシャールは全く他人事だと思っているから、苦しむ主人の僕を見て喜んでいるのだ。


「ご褒美……」


「腹筋が割れて洗濯板が現れたら希望のプレイをしてもらうという約束をするのはどうでしょう?」


 希望のプレイ……そんなことを言い出したら色々あり過ぎて困ってしまうじゃないか。


「……プレイどころかまだデートでさえも断られ続けているのに……」


 もし洗濯板が現れても、クロエの前で裸になってそれを見せる機会があるかどうかさえも怪しいのだ。もう泣きたい。


 これ以上リシャールと話していても惨めな気分になるだけだった。脳内煩悩の嵐を振り払うために僕は走り込みに出掛けた。




***ひとこと***

相変わらず罪作りなクロエさんでした。ところで全テネーブル家は泣いたのではなくて笑って呆れていたのだと、作者の私もリシャールさんも思っているのです。

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