公爵家の御者マルタン(二)


 誘拐事件から数日後、クロエ様が熱を出して寝込まれたそうで、私はお坊ちゃまからのお見舞いの品を届けることになりました。それは立派な果物籠でした。


 その翌日に今度はお坊ちゃま自身を乗せてクロエ様のお宅に参ることになりました。ところが、お見舞いに訪れたというのに、お坊ちゃまは借家の少し手前に馬車を止めさせて、扉も叩かず、馬車から降りて様子をうかがっているだけなのです。


「あの、お坊ちゃま、お寒いでしょう。馬車の中でお待ちになられてはどうですか? 私がクロエ様のご様子をお聞きしてきましょうか?」


「いや、いい。実は見舞いには来ないでくれと果物籠のお礼に書かれていたから……迷惑だったらと思うと……」


 次期公爵ともあろう方が、庶民の住宅街を訪れるために『クロエ号』で乗り付け、質素な上着を着て、しかも迷惑かもしれないからと、うじうじと家の前で張り込んでいるだけなのです。


 きっとこういうのを『へたれ』と言うに違いありません。身分の高い男性に病気で寝込んでいる姿を見られたくないというクロエ様の気持ちも良く分かります。勝手に押し掛けたお坊ちゃまが悪いのです。


 御者の私はしっかりと着こんでいますから大丈夫ですが、お坊ちゃまはそろそろ体も冷え切ってしまっていることでしょう。




「もしかしてフランソワ・テネーブルさまでいらっしゃいますか?」


 そこに若い女性が通りがかり、お坊ちゃまに声を掛けていました。


「えっ、えっと? そうだけれども……」


「我が家に何かご用ですか?」


「もしかして、君はクロエさんの妹さん?」


「はい。ダフネと申します。貴方は姉をストーキングされているのですか?」


「はい? いや、僕は断じて違うから! 本物の最低ストーカー野郎はこの間捕らえられてもう王都から追放になったし! ただ僕はクロエを見舞いたいだけで、でも彼女はわざわざ来なくても大丈夫って言うから……それでもやっぱり心配で……あの、彼女の具合はどう? 少しは良くなったの?」


 例によって最近の若者の使う言葉は私にはチンプンカンプンですが、どうやらお坊ちゃまは『へたれ』の上に『すとうキング』で『すとう家』のようです。


 ダフネ様は家に入り、すぐに戻って来られました。


「どうぞお入りになって、姉を元気づけて下さいませ」


 ダフネ様のお陰で、ここでお坊ちゃまと二人凍えることをまぬかれました。


 病人の部屋に長居することなく、お坊ちゃまはご機嫌な様子で出てこられました。馬車に乗る前にお約束の投げキッスももちろんお忘れではありません。私もホッといたしました。




 お二人が順調に愛を育んでいかれることを屋敷の使用人全員が陰ながら応援しておりました。


 次の年の春頃でしょうか、私は何度かお坊ちゃまとクロエ様をテネーブル家の離れの前で降ろすことがありました。二人きりで夜を過ごされるようでした。


 いよいよご婚約が間近なのだろうという予感がしておりましたが、もちろん私は誰にも言っておりません。侍女のグレタも私と同じことを察していたようでした。




 そして王都は初夏を迎え、お坊ちゃまがあちこち一人で外出されることが多くなりました。しかも、お仕事の合間を縫ってとても忙しそうにされています。髭も剃らず、お疲れの様子でした。そして時々厳しそうな顔で考え事をされているのです。


 そんなことが二週間ほど続いたある夕方のことでした。お坊ちゃまはある貴族の御屋敷に向かわれました。その後は真っ直ぐ帰宅されるのではなく、いつになく晴れ晴れとしたお顔で私におっしゃいました。


「ああ、やっとこの日が来た。マルタン、クロエの家にやってくれ」


「は、はい、かしこまりました」


 そう言えばお坊ちゃまがクロエ様のお宅に向かうのも久しぶりです。ところがその夜、クロエ様は不在でした。入れ違いに外出されたそうです。


「マルタン、急いでうちに向かってくれ! 向こうは辻馬車だから多分途中で追いつけると思う」


「はいっ」


 言われた通りに馬を急がせていたところ、辻馬車が一台、ラシーヌ川の橋を渡っているのが前方に見えました。


「きっとあの馬車だ、クロエを乗せているのは」


 馬には後でしっかり水と餌を与えることにして、もうひと踏ん張りしてもらうことにしました。辻馬車の方は私が後ろからすごい勢いで近付いてくるので脇に寄って道を譲ってくれました。


 そして橋の中央で私が追い抜き、辻馬車の前に立ちはだかるように馬車を止めました。向こうの御者が叫んでいます。


「よう、何なんだ? ちゃんと道は開けてやっただろーが!」


 その気持ちも分かります。お坊ちゃまは私が扉を開ける前に既に馬車から飛び降りて駆けだしていました。


「クロエェー!」


 彼が辻馬車の扉を開け、クロエ様の手を取って降ろしていました。そして二人は橋の真ん中で向かい合い、何か二言三言交わした後に抱き合っているのを見届けました。


 私は橋を渡りきったところで若い二人を待つことにしました。辻馬車も私についてきていました。


「まあお互いに夢中で周りなんて目にお入りではないでしょうが、恋人達の邪魔をしないように、念のため他の橋を渡って帰ってもらえますか」


「そりゃもちろんさ。いやあ悪いね」


 私の判断で辻馬車の御者に運賃と心付けを多めに渡すと機嫌良く帰って行きました。




 しばらくしてお坊ちゃまがクロエ様の手を引いて馬車の方へ歩いてこられました。クロエ様は真っ赤な顔で辻馬車の料金を立て替えた私に頭を下げられました。しかも私が辻馬車に払った額より随分と多い金額を返してくださいます。


「クロエ様、多すぎます。私、細かいのを持っておりませんし」


「よろしいのです……ご迷惑をおかけしましたので」


「マルタンのお陰でクロエに追いついて、やっと彼女が僕の求婚を受け入れてくれたから」


「それはそれは、おめでとうございます!」


「じゃあマルタン、今度はうちの離れに直行して。もう結婚するって決まったのだから母屋の僕の部屋でもいいけれど、両親を始め野次馬が多いから。誰もいない離れだったらすぐに二人きりになれるもんね、クロエ」


「フランソワ! な、何をおっしゃるのですか、マルタンの前です!」


 私も嬉しくなってしまうではありませんか。馬を再び急がせ、テネーブル家の門をくぐり、離れに馬車をつけました。お坊ちゃまはいつものようにクロエ様を横抱きにして入っていかれました。


 このお二人ならこれから幸せな家庭を築いていけるだろうと私は確信しております。


 それにしてもご交際中からお二人の力関係は明らかでした。結婚されてからももちろんそれは変わることはありません。


 使用人一同もクロエ新公爵夫人の方がお坊ちゃまよりも威厳があると口に出しては言わないものの、皆同じ気持ちなのです。ですから私は『つんでれ』とはかかあ天下という意味だとずっと間違って解釈していたのでした。




 ――― 御者マルタン 完 ―――




***ひとこと***

若者言葉を分かろうと努力する御者のマルタンさん、当たらずとも遠からずといったところでしょうか……

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