マダム・サジェス(三)


 しばらくしてダフネから報告が上がってきました。どうやら私の親友の初エッチは上手くいったようでした。クロエは週に一度くらい彼とデートに出掛けるようになり、その度に遅くなったり泊まったりしているのでお母さまはあまり良い顔をされていないそうです。


「テネーブルさまが姉に持たせてくれるお土産はどれもこれも美味しいものばかりで、姉は食べ物に釣られているように思えなくもないのです」


「まあ良いのじゃない、本人たちがそれで幸せなら」


 ウィリアムの知り合いで王都警護団の上層部の人から私は情報を仕入れました。クロエの誘拐犯は牢獄で服役中で、二年ほど後に釈放された後は王都追放となっていました。貴族相手に平民が犯した犯罪とはいえ、誘拐にしては重罰でした。


 ということはテネーブルさまが警護団にかなりの圧力を掛けたということになります。しかも事件について、どの新聞社の記事にも上がっていないのです。彼は王都全ての新聞社に手を回したのです。確かにテネーブルさまのお姉さまも巻き込まれたとは言え、それはクロエが彼に愛されているからでしょう。




 その後ダフネによると二人は喧嘩でもしたのか、しばらく会っていないようでした。あのクロエが食欲をなくしたと聞いて流石に心配になりました。訪ねて行ってみると確かに酷い顔をしていました。本人は大丈夫だと言っていますが、到底見えません。こんなところは意地っ張りなのです。


「ありがとう、エレイン。でも、もういいの。あ、そうだわ。貴女に借りていた指南本をお返しするわね。色々参考になって助けられたのよ。本だけでは学べないことも多いと……分かったわ」


「あらあら……クロエ、何かあったらいつでも頼ってよね」


 切ない恋をして試練の真っ只中なのでしょう、クロエの雰囲気は少し大人びています。何もできない代わりに、帰り際に彼女をギュッと抱き締めました。




 そしてしばらくして、ダフネからは二人が仲直りしたらしく、再びイチャイチャラブラブカップルに戻ったことを聞きました。私が王都新聞社の同僚の記者たちの話を小耳に挟んだのはその頃でした。


「だからさ、これは大スクープなんだって」


「何がどう大スクープだよ。ただ貴族の独身男女がよろしくヤッてるだけだろーが。そんなこと記事に上げてもやれ名誉棄損だとか面倒なことになるに決まっているさ」


「貴族は貴族でも王族に次ぐほどの位だったらなあ、未婚の男女が一晩、いや一緒の部屋で二人きりになっただけで即効祭壇前まで行く羽目になんだぜ。片方に婚約者でも居てみろ、大醜聞さ」


 この記者はいつの時代の話をしているのでしょうか、あまりにも大袈裟です。


「お貴族様の考えは俺には分からんねー」


「高貴な人々の言動には下賤の者は理解に苦しむもんさ」


 そう言えばテネーブルさまは次期公爵で、貴族でも最高位を持つ家柄です。何となく気になったのでさりげなく彼らの話題に加わってみることにしました。


 私の勘は外れたことがなく、この時も例外ではありませんでした。


 同僚の記者は自分の手柄を周りに言いふらしたいのでしょう。下書きも見せてくれました。男の方のイニシャルはテネーブルさまと一致します。


 私は冷静なふりをして下書きを全て読みました。同僚にかまをかけても密会していたという男女の本名は教えてくれませんでした。私は急いで自分の席に戻り、たった今読んだことをなるべく全て書き留めました。


 その夜はウィリアムと会う約束をしていましたが、それどころではありません。我が家に寄って、迎えに来てくれるウィリアムに伝言を残すと、すぐにクロエの家を訪ねました。クロエは丁度帰宅していました。私もこんな役はご免でしたが、一刻でも早く知らせる必要があると思いました。


 クロエに同僚から聞いたことを全て話すと、顔を真っ青にしていましたが、流石高級文官のクロエは冷静に考えて行動できる人でした。


 その後ウィリアムも一緒にテネーブルさまの所へ向かって話し合ったことは読者の皆さまもご存知の通りです。




 クロエの誘拐事件の時と同じように、テネーブルさまの動きは素早いものでした。まず、警護団の上層部に直接働きかけて高級連れ込み宿が建ち並ぶ地区に見回り人員を増やしてもらいました。


 それからウィリアムがつてで王都宿泊施設組合の幹部の方を紹介しました。私の同僚の記者は記事を書き上げる前に、どこかの宿の敷地内で不法侵入罪の現行犯で捕らえられたそうでした。


 彼の面会に行ったある同僚によると、警護団の牢でテネーブルさまの記事を書こうにもネタ帳が紛失したと彼は騒いでいたようなのです。証拠品として没収されたわけでもありませんでした。新聞記者にとって手帳は命の次に大事なものです。


 私もいくらなんでもそんな大事なものを無くすとは考えられません。同僚が記憶を辿って書けばいいじゃないかと慰めたところ、その記憶も曖昧で何度筆を執っても文章が書けないということでした。


 テネーブルさまがどんな手を使ったのか、大いに気になるところです。あれから再びテネーブルさまに会ったウィリアムによると、新聞記者を使って記事を書かせようとしたM家の方もすぐに片が付きそうだとのことでした。


 ということはクロエとテネーブルさまの間には何の障害もないのです。だというのに、クロエは彼の求婚をお受けすることにまだ躊躇ためらいがあるようでした。その理由は身分差と金銭感覚の違いだけかと思っていたら、なんとペチャパイコンプレックスまで引きずっているのには呆れました。


「だって、私はどう頑張っても、その……男性器を挟んで差し上げる行為が出来ないのよ」


 そう言って私の前で胸を両手で寄せて上げている親友の姿に笑いを堪えるのに苦労しました。


「はぁ? ちょっとクロエ、真面目な顔で何言っているの! 今はどうして結婚に踏み切れないのか、という話じゃなかったの?」


 こんなクロエは全然変わっていませんでした。私は思い切って彼女の背中を押しました。


 クロエはやっと決心がついたようで、辻馬車で彼の屋敷に行くという彼女をダフネとお母さまと送り出しました。


 その後女三人でお喋りをしていたところ、誰かが扉を叩いたのです。なんとそれはテネーブルさまでした。お疲れのようで、髭も伸び放題でしたが、事件が解決したからか晴れ晴れとした表情をしていらっしゃいます。


「夜遅くに申し訳ありません。クロエさんはいらっしゃいますか?」


 クロエと入れ違いになったことを伝えると慌てて追いかけて行かれました。


「おめでとうございます、もう遅いですから、姉を帰すのは明日の朝にして下さいね!」


 ダフネがテネーブルさまの背中に向かって叫んでいます。彼は手を挙げて答えていました。これで一安心です。私たちの結婚式で付添人を務めるのはクロエとテネーブルさま以外には考えられません。王都新聞の事件のお陰でテネーブルさまとウィリアムも男同士の友情を築くことができたのです。


 そしてその年の秋、私とウィリアムは結婚式の日を迎えました。私の愛する旦那さまの手を取り、親友である付添人の二人に家族、友人たちに祝ってもらえた最高の日でした。


「次は貴方たちの番ですからね」


 そう言った私にクロエは幸せそうに微笑んで、少し涙ぐんでいたようにも見えました。




 ――― マダム・サジェス 完 ―――




***ひとこと***

マダム・サジェスことエレインさんもお疲れさまでした。最後の最後まですったもんだを繰り返したクロエとフランソワ君もやっと落ち着きました。


さて、次回の証人はどなたでしょうか?

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