マダム・サジェス(一)


 エレイン・ロシュローと申します。二つ下の親友クロエとは幼い頃から仲良くしていました。


 クロエのお母さんがうちの仕立屋のお針子ということもあり、家族ぐるみで付き合いがあります。ですから私はジルベール家の事情も知っています。


 クロエは外交的ではありませんし、彼女自身もひっそりと目立たない方が心地良いみたいでした。彼女の級友たちには黙々と学業に励んでいる大人しい女の子という印象しかなかったのでしょう。


 それでも私には何も遠慮することなく、本音で話してくれるクロエでした。頭が良くて難しい言葉を沢山知っているクロエには子供の頃から刺激を受けていました。


 私より二つも年下なのに、私に色々な言葉を教えてくれ、私の作文や書き物を添削してくれるのです。私は漠然と物書きになることを夢見ていて、クロエはその夢を応援してくれていました。


 私が王都新聞社に派遣社員として採用された時、クロエは我がことのように喜んでくれました。もちろん最初は大きな記事を書かせてもらえるはずはありませんでした。


 ある日、ふとしたことで人気コラム『マダム・サジェスに聞く』を一度だけ担当させてもらえたことがありました。相談者が私と同じ世代の女性だったからです。その時私が書いた『マダム・サジェス』に感銘を受けた人々が多かったのか、それから子供や若い人からの人生相談が増え、私が回答を任されることが多くなったのです。


 家族や親しい人だけは私が時々マダム・サジェスになっていることを知っています。クロエは二人きりの時、私のことをマダム・サジェスと呼ぶのです。




 クロエは家計を助けるために休みの日には街のよろず屋で働いていました。もちろん彼女は学業も怠らず、なんと侍臣養成学院を優秀な成績で一年飛び級をして卒業したのです。しかも就職先は王宮本宮で、難関の高級文官試験を突破しての快挙でした。


 クロエのお母さんや妹のダフネは、あまりにクロエが家族のために頑張り過ぎているのが心配だったようでした。それは私も同じです。


 青春時代を勉学と仕事のためだけに費やしたクロエはろくに恋もしたこともなく、少々世間知らずなところもありました。就職すると色々な人と出会うのは良いことですが、悪い男に簡単に引っかかるのでは、なんてそんな懸念もありました。




 クロエが王宮に就職して間もないある日、彼女から聞かれました。


「ねえ、私も貴女みたいに目の周りにきちんとお化粧をしたらこのキツい顔が少しは柔らかな表情になるかしら?」


「へぇーえ」


 今までお化粧なんて興味を持ったことのないクロエでした。私には分かりました、彼女には好きな人もしくは気になる人が出来たのです。


 問い詰める私に顔を真っ赤にして否定しています。気になる人だなんて恐れ多い、と男爵令嬢である彼女が言いました。という事はその人はかなりの高位貴族だと私は確信しました。


 私はダフネに聞いてみました。


「ダフネ、最近のクロエ、何か変化ない? あの子も遂に色気づいたみたいなのよね」


「え、やっぱりですか? 今朝なんて私の焼いたクッキーを大量に持って行きましたわ。職場に気になる先輩がいるみたいなのです。個人的にその人に渡すのではなくて、職場の皆さん全員に食べてもらうって言っていましたけれどね」


「へぇー。どおりでね。先日クロエにお化粧の仕方の聞かれたのよ。あの子も遂に恋をしたのねぇ。ダフネ、私たちは影からそっと応援するわよ、いいわね」


「もちろんですわ!」




 しばらくしてクロエがうちの仕立屋にやって来た時は珍しく店に置いてある高級ドレスを凝視していました。


「エレイン、このくらいのドレスだったら布地も上等だし、公式の場に着て行けるかしら……」


 クロエは滅多にドレスを作りません。作るとしても実用性と予算重視のクロエでした。私の予感は当たったのです。クロエはため息をつきながら長い間ドレスを眺めていました。


「化粧の次はドレス? でもクロエ、女子力アップって言うのはね、化粧や服装、見た目のお洒落だけじゃないわよ」


 私も恋する親友の手助けは出来る限りしたいのです。彼女に頼まれたら格安でドレスを作れるように手配するつもりでした。




 ある日、私はダフネから貴重な目撃情報を仕入れました。


「エレインさん、最近の姉は度々超イケメンに送られて帰宅するようになったのです!」


「聞き捨てならないわね、やっぱり職場の人なの?」


「はい、本人はただの先輩だって否定していますけれど、彼の方がどうも姉にぞっこんみたいなのです!」


「あらまあ……」


「まだ交際しているわけではないようです。馬車が我が家の前に着きますよね、そこで彼が先に降りて姉の手を取って馬車から降ろすのです。姉はあまりによそよそしい態度で頭を下げて家に入るのですが、姉が背を向けた途端に彼は切なそうな顔で投げキッスを送っているのですよぉ、エレインさん。見ている私の方が身悶えしてしまいます!」


「私もその光景見てみたいわねぇ。クロエって何気にツンデレ?」


「何と言うか、彼の身分が高すぎるので気後れしているようなのですよね」


「貴族って言うだけでもピンキリなのね」


「ええ、母も心配しているのです。恋に免疫のない姉がただ遊ばれて捨てられるのではないかと……」


「そんなお方なら上手に遊ぶわよね、職場の女の子に手を出すほど飢えていないでしょうし」


「ですよねぇ。あの目立たない地味な姉にまとわりつく理由があるとしたら、本気で好きだからに決まっています! しかも顔に私は超お堅い処女ですって書いているようなあの姉ですよ、遊び人ならまず一番に避けますよね」


 身内ならではの毒舌が炸裂です。私は笑いが止まりませんでした。ダフネはただませているだけではなく、洞察力もあるのです。




 クロエはドレスを作ろうかどうか、かなり迷っていたようですが、その必要はありませんでした。


 ある日、私が店番をしている時に一人の男性が店に入ってきました。もうそろそろ閉めようとしていた夕刻のことでした。女性服専門店ですから、男性が一人で入店するのはとても珍しいのです。


「いらっしゃいませ」


「エレイン・ロシュローさんですか?」


 貴族であることはその人の装いからすぐに分かりました。名前を聞かれただけですが、その話し方からも高貴な人の匂いがします。


「はい、そうでございます。何かお探しでしょうか?」


「そうだと思いました。クチュリエ・ロシュローの看板娘と名高いそうですね」


 彼の見た目や言葉遣いからは不審者や強盗とは思えませんが、何だか嫌な予感がします。店のカウンターから出て扉の前に移動すべきか迷いました。結局私はカウンターの後ろに留まることにしました。もうすぐ婚約者のウィリアムが迎えに来てくれるはずでした。


「あの?」


「フランソワ・テネーブルと申します。貴女にお尋ねしたいことがあります」




(二)に続く




***ひとこと***

さて今度はマダム・サジェスことエレインの登場です。ダフネちゃんと二人、結構毒舌入っていますよね。


さて、フランソワ君が仕立屋までやってきましたよー。もちろん目的はあのためですね。

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