プロ侍女グレタ


 読者の皆さま、テネーブル公爵家の侍女グレタにございます。前作「君に聞かせる子守唄」でも大活躍した私のことをお覚えでしょうか?


 今作にも再び登場し、テネーブル公爵家になくてはならない使用人としてその存在を大いに知らしめたことと思います。




 私が初めてクロエさまとお会いしたのは、彼女がガブリエルお嬢さまのお友達として時々公爵家に来られていた頃でした。ガブリエルさまは内気な性格の方ですから、お友達と言ってもお屋敷にまで招待する方は珍しかったのです。


 クロエさまはよくテネーブル家の皆さまと一緒にお食事までされることまでありました。ですからクロエさまは私たち使用人の目にフランソワお坊ちゃまの想い人と言うよりは、お嬢さまのご親友として映っておりました。ところが、彼女がお帰りの際には必ずと言っていいほど、お坊ちゃまが使用人の馬車で送って行かれるのです。


 そして、その本来の使用人の馬車はもっと立派なものに新調され、以前の使用人の馬車はお坊ちゃまの普段使いの車になりました。ご家族の皆さまがその馬車のことをクロエ専用の『クロエ号』と呼ぶようになり、御者や馬丁たちまでその癖がうつっておりました。




 年の瀬も近づいたある冬の夜のことでした。その日はガブリエルお嬢さまはおられず、旦那さまと奥さまとお坊ちゃまの三人で食事をされていました。


「今日ガブリエルはレオンさんの所へりんごを持って行くと言っていたが、その後ザカリーの所にも寄ったのかな?」


 レオンさんはザカリーさまの実父です。


「ええ、そう言っていましたわ」


 皆さまが夕食を終えられた頃に珍しい来客がありました。ザカリーさまと養父のルソー侯爵でした。その後が大変でした。お坊ちゃまがザカリーさまと慌てて馬車で出掛けられたのです。


 心配されている公爵夫妻と共にお屋敷で待つ以外、私には何も出来ませんでした。


「あのガブのことですから大丈夫ですわよね……」


 お嬢さまは王国一の攻撃魔法の使い手なのです。そして夜遅く、お嬢さまは瞬間移動で帰宅されました。ドレスは少し泥で汚れていましたが、別に怪我も負っていず、無事に帰られたことに屋敷中が安心しました。


 お嬢さまは帰宅早々私をお呼びになりました。


「グレタ、こんな夜更けに申し訳ないけれど、今晩クロエさんが離れにお泊りになるからその準備をして下さる? 私たち、ちょっとした事件に巻き込まれてしまって……彼女はもう少ししたらフランソワと帰ってきますから」


「かしこまりました、お嬢さま」


 私が離れの寝室を準備し終わる頃にお二人は帰って来られました。クロエさまのドレスは乱れていないものの泥で汚れ、お顔は真っ赤に泣きはらされており、何ともおいたわしい状態でした。お坊ちゃまはそんなクロエさまの手を引いて、二階にお連れになりました。


「お風呂に入ってゆっくりと温まったらいいよ」


「ええ、そうさせていただきます」


「お嬢さまがこれからご入浴なさるのでしたら、お坊ちゃまはお引き取り下さいませ」


 まさか一晩ここでご一緒なさるわけではないだろうと思い、それでも少々出過ぎた発言だったかもしれませんが、言わずにはいられませんでした。


 クロエさまも未婚の貴族令嬢です。それに私の直属の主人はお坊ちゃまではなく、現在の公爵夫妻です。屋敷内の風紀に規律を守るのは侍女の務めでした。


 お坊ちゃまは渋々と母屋にお戻りでした。それでも去り際にはちゃっかりクロエさまの額に口付けされております。




 さて、クロエさまがご入浴中、軽食を準備するためにに母屋の厨房に急いでいた私はお坊ちゃまに捕まりました。


「あのね、グレタ。クロエの前でお坊ちゃまって呼ぶのはやめてよ。もう子供じゃないのだし」


「失礼致しました。では、若旦那さまとお呼びすればよろしいでしょうか?」


「うん、いいね。その方がよっぽどカッコよく聞こえる」


 呼び方だけで中身は同じでしょうが、本人がそれで満足なら良いのでしょう。


「それはよろしゅうございました」


「それからもう一つ頼みがある。明日の朝のことなのだけど、かくかくしかじか……」


 ということで翌朝私がクロエさまに桃色のドレスを持って行ってお着せすることになったのです。口裏合わせまでして、何とも手の込んだやり方でしたが、クロエさまの気持ちも分かりますし、お坊ちゃまも苦肉の策に出たのでしょう。


 朝食もお召し上がりにならずに帰宅されるとクロエさまを引き止め、そのドレスをお見せすると彼女は困惑気味でいらっしゃいました。


「グレタさん、とても素敵なドレスですけれども……私が他の方のドレスを着るわけにもいきませんし、朝食も折角用意して下さったのに申し訳ありません」


「いえ、それは困りますわ! みすみすクロエお嬢さまをこのまま帰宅させたとなれば私が若旦那さまにとがめられて重い罰を与えられてしまいます! どうか彼と朝食をおとりになって下さいませ。それに若旦那さまご自身が今にでもこの離れに乗り込んで来られる前に、早くこちらのドレスにお着替え下さい。お手伝い致しますから」


 必死で引き止める私を憐れに思って下さったのか、クロエさまはここに留まってその特別なドレスを着て下さるようでした。


「……テネーブルさまと食事を頂くのに、昨晩の汚れたドレスを着るわけにもいきませんし、この寝衣のままも失礼に当たりますわね……」


「確かにクロエさまがこの寝衣姿のままの方が若旦那さまはお喜びでしょう。しかし、そこまでご褒美を差し上げて甘やかすのはまだ早すぎます。ドレスに合う靴下もお持ちしました。お召し下さいませ」


 思わず本音が出てしまいました。クロエさまがお召しの寝衣は身頃を合わせて腰紐で結ぶだけで布地も薄く、丈はふくらはぎの上という何とも悩ましいものです。


 私のことを古い人間と言う方も多いと思われます。しかし、未婚のお嬢さまが殿方の前に出て行くにはあまりにも相応しくない装いでありました。


「それにしてもこのドレス、新品同然ですわね」


 クロエさまがそう思われるのも当然でした。このドレスは本当にクロエさまのためにお坊ちゃまが仕立てさせた特別なものなのです。


「テネーブル公爵の若い従妹に当たるお方のもので、ほんの一度か二度お召しになっただけと思われます」




 クロエさまの準備が出来た頃にお坊ちゃまが離れにいらっしゃいました。


「ああ、クロエ。本当に良く似合っているよ。言葉にできないくらい綺麗だ」


 お坊ちゃまは大袈裟なくらい感動され、クロエさまの手を取り、その手や彼女の頬に口付けをされています。


 そして大層機嫌が良いお坊ちゃまに導かれ、クロエさまは階下の食堂へ向かわれました。桃色ドレス大作戦は成功したようです。




 それから年が明け冬もそろそろ終わる頃、私は離れの掃除をすることが多くなりました。お坊ちゃまが時々クロエさまと過ごされているようでした。


 私は昔気質の人間ですから結婚前の男女が一夜を共にするという事にはまだ抵抗がございます。それでも私も伊達にテネーブル家に何十年も仕えておりません。


 お坊ちゃまはそれこそ生まれた時からお世話しているのです。彼が未婚女性を離れとは言え、お屋敷に連れ込んでいるということは将来のことをきちんとお考えになっているに決まっています。クロエさまを新公爵夫人としてこのお屋敷にお迎えする日が待ち遠しいものです。




***ひとこと***

『呼び方だけで中身は同じ』とか『そこまでご褒美を差し上げて甘やかすのはまだ早すぎ』とか、かなり辛辣なプロ侍女グレタさんでした。

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