黒魔術師ガブリエル・テネーブル(四)
フランソワはその後、誘拐事件の後始末として警護団にかなりの圧力を掛けたようでした。そのお陰で犯人は重い罰を与えられ、事件についてどの新聞にも雑誌にも書かれることはありませんでした。
普段はのらりくらりと文官の仕事をしているだけの気楽な御曹司に見える彼も、いざと言う時には素早い動きが取れるのです。
誘拐事件の後、恋する二人の仲は大進展を遂げたようでした。フランソワの顔を見ていれば分かりました。クロエさんの方も、年明けごろから彼女から受ける印象が大人っぽく少し柔らかくなったように感じられました。私や両親はこのまま二人の仲が続くことを願って止みませんでした。
それなのに、冬も終わりかけた頃でしょうか、フランソワが飲んだくれて帰宅することが続きました。その頃は私がクロエさんをお茶に誘っても断られてしまうのです。二人の間に亀裂が入ったのでしょうか、心配でしたが何と声を掛けていいか分かりませんでした。
そんなある日のことです。私はザカリーを連れて図書館に行き、その帰りにフランソワの馬車で迎えに来てもらいました。フランソワは最近飲みに行くこともなくなりましたが、元気が無いのは変わりませんでした。馬車に乗り込んだザカリーはフランソワの顔を見るなり言いました。
「フランソワさん、けんかしたらすぐにあやまらないとだめでしょう。男のプライドが、なんて言っているばあいではないです」
「はぁ?」
「たとえフランソワさんが悪くないと思っていても、お友達のクロエさんも同じように思っているかもしれないもん。そんなことで仲直りできなくなったら一生こうかいする、ってガブも学院の先生も言っています」
「何を子供が生意気に……でもそうだな、お前の言う通りだよね……」
フランソワは幼い子供に指摘されて不機嫌になることもなく、そのまま考え込んでいるようでした。ザカリーはフランソワの気持ちを読んだのです。
ザカリーは彼の持つ魔力で自分の意思に関係なく、時々人の考えていることが分かるのです。他人の前では軽々しく口にしないようにと私たちは言っています。
家族や親しい人の強い感情は分かり易いようでした。確かにここ数日のフランソワはあまりに大きい負の感情を背負っていたからでしょう、ザカリーには隠し事ができませんでした。
「ザックは素直なお利口さんですものね。だから貴方はお友達が沢山居るのよね」
「うん!」
私は愛しい男の子のそんな元気な返事に目を細め、彼の銀髪をそっと撫でました。
その後すぐにフランソワはクロエさんに謝りに行き、無事に仲直りができたのでしょう。と言うのも私はフランソワが彼女を離れに連れ込んでいるところを目撃したのです。
「あらあら、あのフランソワがそこまでするなんて……ということは、私が母屋を出る日も近いわね……」
それが実現するまで、若い二人はもう一つの試練を乗り越えないといけませんでした。フランソワがとある貴族令嬢と逢引を重ねているという嘘の記事が出そうになった事件でした。
その時のフランソワはその対処をするため、まるで人が変わったようでした。ある夜、私は書斎にフランソワに呼ばれたのです。私だけでなく、馬丁のリシャールと執事も居ました。何事かと思いました。
「こんな夜遅くに呼び出して申し訳ない。どうしても皆の協力が必要なのだよ」
フランソワが手短に事情を話して聞かせてくれました。
「リシャールはしばらくうちの仕事を休んで、その王都新聞社の記者を張ってくれ」
「かしこまりました。何か動きがあればすぐに警護団に通報します」
「ああ、連れ込み宿街の見回り人員を増やしてもらう要請も出すつもりだ」
「姉上にはその記者が記事を書けないようにして欲しいのです。私の言っている意味がお分かりでしょうか?」
「ええ。承知しました」
私利私欲のために魔法を濫用してはいけないのですが、嘘の記事をもみ潰すことは濫用とは言わないでしょう。フランソワは執事にその貴族令嬢M・Mの候補を挙げるようにと命じていました。
「私がその記者に吐かせてもいいわね。どこの貴族に言われてそんな記事を書くようにしたのか」
「法に触れない程度にお願いしますよ、姉上。それにしても先日の誘拐事件の時も思いましたが、家族に魔術師が居てこれほど良かったと思ったことはありません」
フランソワはそう言ってふっと笑みをこぼしていました。
その後、フランソワと二人きりになった時に聞きました。
「フランソワ、クロエさんはその記事のことをご存知なのですか?」
「ご存知も何も、クロエ自身が先程知らせに来てくれたのですよ」
「まあ、こんな遅くにお客さまがあるとはどなたかと思いましたけれど、彼女だったのですか……それで、クロエさんはさぞショックを受けていらっしゃるでしょうね……」
「いや、僕のことを信用してくれているとは言っていましたが。その記者が逢引を目撃したと言う日時に、その、僕は彼女と一緒に居ましたしね。潔白は証明できたわけです」
離れにクロエさんを連れ込んでいたあの時のことかもしれません。これ以上何か言うのはやめました。
それから二週間ほどフランソワは嘘の記事をもみ消すためにあちこち奔走していました。無精髭は伸ばしっぱなしで睡眠もあまり取れていないようでした。我が弟ながらいざとなると別人のようになってしまうのです。クロエさんにもしばらく会っていないようでした。
リシャールと警護団の方々がその記者を不法侵入の罪で逮捕したので、私はすぐに動けました。詳しく話すことは避けますが、瞬間移動と記憶操作の魔法を少し使っただけです。
その記者と結託していた貴族Mも特定できました。そちらは父とフランソワが厳しく対処したようでした。
「フランソワもこんな厄介事に巻き込まれる前にさっさと婚約してしまえば良かったのに……」
ある日私は両親とお茶を飲みながら話していました。
「あら、あの子はもうクロエさんに求婚しているのよ」
「えっ、それは初耳ですわ」
「私達はもうフランソワに頼まれて婚姻許可申請書に署名したよ。確かクロエさんの御母上も既に署名済みだと思う」
「けれど未提出というわけですか?」
「どうもね、何をどう
「まあ、結婚前から主導権を握られているのですねぇ……フランソワらしいですわ」
「ガブ、お前なら何とか出来るのじゃないか? 惚れ薬や媚薬だって作れるだろう?」
「そうよ、思わず口が動いてハイと言わせる魔法をクロエさんに掛けちゃえばいいのよ!」
我が親ながら呆れました。
「それはよろしくないです……私たちは見守ることしかできませんわよ」
「えぇー、出来ないの?」
出来る出来ないの問題ではありません。周りが結婚に賛成でもクロエさん自身の決心がつかないのでしょう。何となく分かります。
私たちの心配も長くは続きませんでした。事件が解決してすぐ、クロエさんが求婚を受け入れ、二人の婚約が成立したのです。日々難しい顔をして奔走していたフランソワはやっと全てに片が付き、表情が
それにしてもその後何日経っても相変わらず無精髭を剃らないのです。母が注意していました。
「フランソワ、もうそのみっともない髭を剃りなさいな」
「上司にも言われました。けれどクロエがワイルドなフランソワも素敵♡と言うので剃れません」
「ブッ、ゴホゴホッ」
母は唖然として何も言えず、私は持っていたフォークを落とし、父はお茶を吹き出しそうになってむせていました。給仕をしていたグレタも一瞬固まっていたのを私は見逃しませんでした。
職場の室長にもフランソワは同じことを言ったらしく、部屋中が彼の発言に『どんびき』してしまったことは同僚の皆さんの間では有名だったそうです。
しばらくは婚約したてのラブラブな二人に、というか浮かれてしまっているフランソワに呆れ返っていた私たちでした。
――― 黒魔術師ガブリエル 完 ―――
***ひとこと***
フランソワがクロエとすぐに仲直りできたのはザカリー君のお陰だったのでした。しばらくは彼に頭が上がりそうにないですね。
「クロエ号」の名付け親、公爵家のご両親のお茶目ぶりは健在でした。
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