黒魔術師ガブリエル・テネーブル(二)


 フランソワと二人きりで出掛けることにクロエさんは抵抗があるようでした。彼女と親しくお付き合いをするようになった私には何となく分かってきました。


 私の弟は公爵家の跡取りですから、貴族や富豪しか行かないような所ばかりに誘っているのです。歌劇や音楽会、会員制の交流会などでした。ただ食事に誘うにしても、クロエさんの金銭感覚とはかけ離れたような場所ばかりを選んでいては、彼女に尻込みされてしまうに決まっています。


 クロエさんはフランソワを嫌っているわけではなく、むしろその逆で、彼に好意を持っているのは分かります。好きな人に誘われて、二人きりで出掛けたくないわけがないのです。私も一応恋する女ですから痛いほど理解できます。


 私は少女の頃からザカリーの実家の皆さまとのお付き合いをしていました。彼らやクロエさんが住む地区の庶民の暮らしがどのようなものか、少しは知識を持っています。


 クロエさんは高級文官として働いている男爵令嬢とは言え、何か事情があるのでしょう。それに彼女がいつも身につけているものや言動から察するに、経済的にかなり切り詰めているようでした。フランソワが誘うような場所に相応しいドレスもきっと持っていないし、仕立てる予算もないと思われました。


 ですから私はさりげなくフランソワに助言したのです。


「フランソワ、クロエさんを誘うのだったらね、例えば新たに整備された都民公園とか、庶民の市での買い物とか、そんな所にしたらどうかしら?」


「そうでしょうか? それは姉上の行きたい所ですよね? 女性だったらそれよりももっと華やかな場に行く方が楽しいでしょうに」


「人によると思うわ。クロエさんは私と気が合う人だから、私のお誘いは断られないもの。貴方が提案するような貴族貴族した場所へ行くのは躊躇ためらわれるのですよ、きっと」


「僕がエスコートするのですから、彼女が遠慮する必要はどこにもないというのに?」


 女心が分からない、と言うよりも世間知らずのお坊ちゃまの考えです。クロエさんを送り迎えするためにクロエ号をわざわざ出しているというのに、こんなところが抜けているのです。


「クロエさんは貴方にはっきりと言わないでしょう。けれど、貴方が連れて行こうとする場所に相応しい装いができなくて貴方に恥をかかせることを懸念しているのではないかしら」


「でしたらドレスを何枚か仕立てさせましょう。姉上が使っている仕立屋にクロエを連れて行って下さいませんか?」


「そんなことは逆効果よ、フランソワ。クロエさんは自立した大人の女性なのですよ。貴方から理由もなく高価な贈り物を喜んで受け取ると思って?」


 公爵家に生まれたということでは私もフランソワと同じですが、私は庶民の生活に少し触れる機会がありました。ザカリーの存在を感じてからというもの、彼の実家に通い詰めていたからです。私は彼らを訪れる度にお菓子や果物、おもちゃ、本、思い付く限りの贈り物を持参していました。


 ある日ザカリーのお父さまレオンさんにはっきりと言われたのです。


『公爵令嬢のお嬢さまよ、俺ら庶民は貧しくても自分の収入でやりくりしてそれなりに幸せに暮らしているんだ。施しを受けるほど落ちぶれてはいないんだよ』


 すぐにお母さまのポーレットさんにはたしなめられていたレオンさんでしたが、私は恥ずかしさで消え入りたい気分でした。


 彼らだって庶民としての誇りを持って生きているのです。それを私は分かっていず、踏みにじっていたのでした。


「そういうものでしょうか」


 フランソワはそのまま考え込んでしまいました。




 それからしばらくして、フランソワが素敵な桃色のドレスを見せてくれました。


「姉上、このドレスはクロエの為に仕立てさせたのです。彼女に着せるために口裏を合わせて協力して下さいますよね」


 フランソワの手の込んだ作戦には私も少々呆れました。しかし、折角彼が練った『クロエに桃色のドレスを着せてデートをする企画』は中々実行に移される機会が訪れませんでした。




 そんなある日、クロエさんと私はあの恐ろしい事件に巻き込まれたのです。その日は私がザカリーの実家に領地で採れたりんごを持って行くためにクロエ号を使っていました。丁度仕事の後に私の執務室を訪れたクロエさんも送って行くことにしました。


 クロエ号が先にザカリーの実家に寄り、クロエさんの家に向かっていたところでした。私は情けないことに、いきなり乗り込んできたその誘拐犯に真っ先に倒されて気を失ってしまったのです。


 王国一の攻撃魔法の使い手と言われる私ですが、運動神経は鈍いのです。私がようやく気が付いた時には状況を理解できるまでにしばらくかかりました。


 私の意識は朦朧もうろうとしていました。視界にはかび臭い床に、積み上げられた大きな木箱が入ってきました。体も手足もまだ動きませんでした。知らない男の人とクロエさんの声がすぐ側から聞こえてきました。


「だ、誰か来て……火事よ!」


「助けを呼ぼうとしても無駄だ。こんなところ、夜中に人が来るはずもねぇし。お前の連れと御者には興味はないが、お前が大人しく言う事を聞かなければ、奴らを痛めつけてもいいんだぜ」


 クロエさんの切羽詰まった声に、意識が少しずつはっきりしてきました。


 それと同時にザカリーが近くまで来ていることが分かりました。私たちは離れていてもお互いの魔力を感じることができるのです。私の危機をザカリーが察知してくれたのでしょう。


 私はまだ頭がぼんやりして体も動きませんでした。男は私の体が視界にないのか、幸いなことに私が目を覚ましたことにまだ気付いていないようでした。


『ガブ、フランソワさんと一緒に今行くからね!』


 愛しいザカリーの声が私の耳に聞こえてきました。


「さて、その可愛い顔に火傷を追わせて他の男には見向きもされない容姿にしてやるかな、それとも先に美味しく頂いてもいいよなぁ」


 そんな男のおぞましい言葉にやっと少しずつ目が覚めてきました。けれど体がまだ自由に動きません。私の目の前で、大切な友人のクロエさんが男に危害を加えられそうになっているのです。


「ど、どうぞご自由に。私の体や顔を傷つけても、心までは奪えないわよ! それにフランソワは私の見た目ではなくて内面を好きになってくれたのだから。私が二度と見られないような無様ぶざまな容姿になったとしても彼の愛は変わらないって断言できるわ!」


 卑劣な男の言動にも屈することなく、毅然と返しているクロエさんでした。その勇気には感銘を受けました。けれど彼女も本当は恐怖に怯えているに違いありません。


『クロエさん、大丈夫よ。助けが、フランソワがすぐそこまで来ているわ』


 クロエさんに魔法で呼びかけ、私は重い体を何とか起こします。私の視界はまだもやがかかっているようにぼやけています。


 私の足元に我が家の御者マルタンも手足を縛られて転がされているのが見えてきました。男をやっつけないといけないと気ばかりが焦っていました。


「お前のそんな生意気なところがいいよな、ゾクゾクしてきたぜ。夜は長いんだ、お互い楽しもうぜ」


 ザカリーがこの建物のすぐ前まで来ているのを感じました。危機一髪で助けが間に合いそうでした。




(三)に続く




***ひとこと***

桃色のドレスが仕立てられることになったのはガブリエルさまの入れ知恵があったのでした。『メーキングオブあのドレス』はまだまだ続く……

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