料理の鉄人ダフネ・ジルベール(三)


 そしてしばらくして、ある日を境に姉の様子が変なことに気付きました。何を話し掛けても上の空でぼぅっと物思いにふけり、深刻な顔で切なくため息をついているのです。


 テネーブルさまと出掛けることもなくなったようでした。以前は度々遅くなったり朝帰りしたりしていて、母に注意されていたというのに、その頃は毎日夕方には帰宅していました。


 その上、食欲がないと言って食べる量が激減したのです。余程のことがない限り、姉はいつも私の作った料理を気持ち良いくらい平らげてくれるのです。


 私はテネーブルさまと喧嘩でもしたのだろうと軽く考えていましたが、母は無駄な心配までしていたようです。


「ダフネ、あのクロエの食が細るなんて、もしかして、子が出来てしまったとか……」


「お、お母さまったら、何ということをおっしゃるのですか!」


「ですから、その可能性は無きにしも非ずでしょう。ああ、我が娘とあろうものが……良くて認知の上で養育費の支払いのみ、それとも子供だけ取り上げられるか、最悪の場合、既成事実を否定され逆に名誉棄損で訴えられ、クロエは未婚の母として後ろ指を指されながらこれからいばらの道を歩んで行くことに……」


 私は思いっきり脱力してしまいました。


「お母さま! ご自分の娘が信じられないのですか? 恋愛偏差値だけは非常に低いとは言え、あのお姉さまですわ。哺乳類がどうやったら子が出来るかどうか、なんて生物学的に説明させたら四半時は語り続けますわよ。だからお姉さまに限って無計画な妊娠の末シンママだなんて……」


「恋は盲目と言います。過ちを起こしがちなのは恋が始まったばかりの頃ですよ。それにクロエはまだまだ若いですしね……」


「けれどお姉さまなら、性的同意が得られない場合や、避妊をろくにしない相手だったら延々と説教を始めるに決まっていますわ」


 私の予想では、そんなお姉さまだからこそテネーブルさまが手を焼いているのではないでしょうか。


「それもそうね。クロエならそれでお相手に愛想をつかされるという展開の方がありですわね」


 我が母ながら非常に手厳しい見解です。


「そうそう、お姉さまなら先週月のものがありましたから、テネーブルさまが避妊に失敗して公爵家の落胤おとしだね仕込んじゃった疑惑はありませんわ」


「ダフネ、それを先に言いなさいっ! それから何ですか、先ほどから俗語ばかりを並べ立てて!」


 母の方から言い出したのにどうして最後には私が怒られることになるのか、納得がいきません。


 しばらくしたある夜、連絡もせず姉は遅くにテネーブルさまに送られて帰ってきました。


 私がまた窓から覗いていると薄暗い表通りでデレデレのテネーブルさまは姉の背に向かって大袈裟なくらいに投げキッスをしているのです。姉の方もその朝とはうって変わって笑顔がたるんでいるのです。


 母も安心して小言を言うのをやめたようでした。


「仲直りできたみたいですね。ただのバカップルに成り下がっていませんか、二人共。私、心配して損しましたわ」


「ダフネ、何ですかその言葉遣いは……」


 私をたしなめる母も同感のようで、そう強い口調ではありませんでした。




 その数日後になんとテネーブルさまは正装で我が家に来られました。姉はその日、よろず屋の仕事でした。私が帰宅した時、姉が何故か家の扉に張り付いていました。


「お姉さま、何をなさっているのです?」


「ダフネ、静かにして……あのね、今フランソワがお母さまと大事なお話をしているの」


 姉の彼氏が母と二人で大事な話と言ったら決まっています。


「まあ……もしかして、そんなに話が進展しているのですか? お姉さま、おめでとうございます!」


「しぃーっ!」


 姉が慌てているところに扉が内側から開きました。


「二人共お帰り。そこに立っていないで中にお入りよ」


 テネーブルさまは普段姉を送ってくるために、貴族にしては質素ななりをされています。その日だけは黒の正装姿で、私の目にもまぶしく映るお姿です。そこで彼は食卓の上に置いていた見事な赤い薔薇の花束を掲げながら姉の前にひざまずきました。


「クロエ・ジルベール様、祭壇の前で貴女のお手を取る栄誉をどうかこの私にお与えください。私の全身全霊をかけて貴女を幸せにして差し上げると誓います」


 最近、私の中でテネーブルさまはただのヘタレストーカーだったのですが、ここに来て一気に王子様度が再度急上昇しました。


「キャーッ、素敵ぃ!」


 思わずそう叫んでしまい、母にたしなめられていました。ところが求婚された当の本人は少し考えさせてくださいと言って自室に駆け込んでしまったのです。ここは涙ぐみながら『フランソワ、嬉しい♡』と彼の差し出した花束を受け取るところでしょう。


 茫然自失のテネーブルさまを見ていられずに私は二階に駆けあがり、姉のこもっている部屋の扉をドンドンと叩きました。


「お姉さま! どうして?」


 中から鍵をかけてしまっていて扉も開きません。私が階下に戻ると、母が一人で薔薇を花瓶に活けていました。お気の毒なテネーブルさまは気落ちして帰っていかれたそうです。


「あんな高スペック超イケメンのプロポーズを足蹴にするなんて、ないわー」


「それは違うでしょう、クロエは少し考えさせて下さいと言っただけです。恋人としてお付き合いするのと、結婚してこれからの人生をずっと一緒に過ごしていくのは全く別のことですよ」


 確かにそうです。母だって若い時、父に恋をし、彼が浮気性で甲斐性なしだとは夢にも思わずに結婚してしまったのです。




 しばらくの間、姉はテネーブルさまに会っていないようでした。何かイライラそわそわしているような気もします。私と母は静かに見守るくらいしか出来ませんでした。


 ある夜、珍しいことにエレインさんと婚約者のウィリアムさんが訪ねて来ました。ウィリアムさんまで一緒に二人でというのは初めてかもしれません。


 先にウィリアムさんは帰っていかれ、エレインさんだけが残っていました。その後、姉が駆けだして行きました。


「急用ができたので出掛けてきますっ!」


「クロエ、今何時だと思っているのですか?」


 母が驚いています。


「おばさま、本当に急ぎの大事な用事ですわ。それにきっと今晩は外泊になると思いますけれど、晴れて婚約が成立するのですから、大目に見てやって下さい」


「まあ、お姉さまはやっとプロポーズに色よい返事をする決心がついたのですね! 良かったぁ。私テネーブルさまが気の毒でしょうがなかったのですから」


「ここ数日クロエはまたひどく落ち込んで、悩んでいたようだけれど、もう心配事は解消されたのですね。先程ちらりと見た限りでは全て吹っ切れて晴れ晴れとした顔をしていましたね」


 姉が出掛けた後、私たちはエレインさんから大まかな事情を話してもらっていました。


 その時、誰かが我が家の扉を叩いたのです。なんとそれはテネーブルさまでした。お疲れのようで、髭も伸び放題でしたが、事件が解決したからか嬉しそうな表情をしていらっしゃいます。


「夜遅くに申し訳ありません。クロエさんはいらっしゃいますか?」


 姉と入れ違いになったことを伝えると慌てて追いかけて行かれました。


「おめでとうございます、もう遅いですから、姉を帰すのは明日の朝にして下さいね!」


 テネーブルさまの背中に向かって叫ぶと彼は手を挙げて答えてくれました。


「ダフネ、夜中にそんな大声を上げてはしたない!」




「お母さまが先日おっしゃったことが本当になりましたわね」


「何のことですか、ダフネ?」


「もう家族三人で新年を迎えられることもあと何回もないって」


「案外年内に結婚してしまうかもしれませんわね」


「まさかぁー」


「それでも私の結婚の方が先ですわ。結婚式でクロエとテネーブルさまに付添人をしてもらう予定ですから」


「エレインもクロエもお嫁に行くと私たち親は寂しくなってしまいますわね」


 少々しんみりしながらも私たちは姉の幸せを心から喜んでいました。




 ――― 料理の鉄人ダフネ 完 ―――




***ひとこと***

しばらく二人が喧嘩していた時、お母さまはそんな心配までしていたのですね。フランソワ君『公爵家の落胤おとしだね仕込んじゃった疑惑』は晴れました。お母さま、孫の顔が見られるのはもう少し先になりそうですよ。

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