料理の鉄人ダフネ・ジルベール(二)
テネーブルさまがどう動くのか、ドキドキわくわくしながら待っていた私ですがしばらくの間は何の進展もなかったようでした。そうこうしているうちに一年が終わろうとしていました。
そんな時に姉が誘拐されるという何とも恐ろしい事件が起こってしまったのです。私と母は無事に救出された姉から事件の翌日にその話を聞きました。
というのも、
私もその豪華なドレスを見せてもらいました。人のお古などではなく、エレインさんの仕立屋で姉のために縫われたものだと、私にもすぐに分かりました。もちろんエレインさんにはテネーブルさまが仕立屋を訪れたことは口止めされていました。
「このドレス、少し手直ししたら貴女が着られると思うのよ。学院の卒業式という晴れの舞台に相応しい装いではなくて?」
姉はそんなことを言うのです。非常にまずいです、折角のドレスを私が着たりしたらテネーブルさまやエレインさんに一生恨まれてしまいます。
「何をおっしゃるのですか、お姉さま。卒業の時には自分でなんとかしますわ。粗末でも自分のお小遣いをやりくりして自分の好きなデザインのドレスを着たいですし、もしかしたら卒業式には級友たちも皆、調理師の制服で参加するかもしれませんもの」
理由は何とでもつけて全力で阻止しました。
「そう……」
「ええ、そのドレスはお姉さまが頂いたものでしょう」
その後エレインさんが姉とテネーブルさまの最新の動きを教えてくれました。
「ダフネ、クロエが今度は女子力アップするのだってやたら張り切っているのよ。どうやら彼女にもやっと処女喪失の機会が訪れそうでね。あの子があまり変な方向に突っ走り過ぎないようにアドバイスしてあげて。今頃は『淑女と紳士』の本を丸暗記する勢いで読んでいると思うわ」
目を白黒させながらあの指南本を見ている姉があまりに容易に想像でき、思わず吹き出してしまいました。
ところが姉はその数日後に高熱を出してしまいました。
どうやらそれはテネーブルさまとデートの日だったようです。仕事も休まざるを得ず、家で安静にしていないといけないのに、姉は机に向かって必死に書き物をしているのです。しかも書いては紙を丸めて捨て、再び筆を執っては頭を抱えていました。
「お姉さま、何をなさっているのです? 熱もまだほら、こんなに高いのに! さあ、寝台に入って下さい」
「ダフネ、お願いよ。とても大事な約束があったのに熱のせいで行けなくなったから、どうしても連絡しないといけないの……」
「でしたら余計、早く治さないといけませんよね。文を書いていてまた熱が上がってもいけませんわよ」
「い、今書き上げるから……とても重要な文だから、お願いよ、ちゃんと出してくれる?」
姉が泣きながらそう訴えるものだから私も驚いてしまいました。
姉の文にはその日の夕方にすぐに返事が来ました。何と立派な果物籠まで一緒に届いたのです。そしてその次の日にはテネーブルさまご本人が見舞いに来られました。
私は帰宅した時、彼にばったり出くわしました。こんなボロ借家の姉を訪ねるために彼はいつも質素な身なりで、馬車も庶民仕様なのです。それでも怪しさ全開で、不審人物に見えます。
「もしかしてフランソワ・テネーブルさまでいらっしゃいますか?」
「えっ、えっと? そうだけれども……」
私がいきなり話し掛けたので驚いておいででした。
「我が家に何かご用ですか?」
「もしかして、君はクロエさんの妹さん?」
「はい。ダフネと申します。貴方は姉をストーキングされているのですか?」
「はい? いや、僕は断じて違うから! 本物の最低ストーカー野郎はこの間捕らえられてもう王都から追放になったし! ただ僕はクロエを見舞いたいだけで、でも彼女はわざわざ来なくても大丈夫って言うから……それでもやっぱり心配で……あの、彼女の具合はどう? 少しは良くなったの?」
どうやら姉はテネーブルさまのお見舞いを丁重にお断りしたようです。ですから彼も我が家の扉を叩くのは
年上の男性に対して失礼かもしれませんが、話してみると中々可愛らしい方です。貴族のお坊ちゃまがこんな寒空の下、どのくらい待っていたのか知りませんが、気の毒になってきました。
「きっと姉は寝込んでいる姿を貴方に見られたくないのかもしれません。ちょっと今聞いてみます。もう少々お待ちください」
家に入って姉の様子を見てみました。熱もほぼ下がって体を寝台に起こしていました。テネーブルさまが家の前までいらしていることを知らせたところ慌てていました。
「まあ、大変、フランソワ……」
そして弱り切った体でふらふらと寝台から抜け出して窓から彼の馬車を確認し、上着を掴んだのはいいのですが、そのまま転んでしまいました。
姉は彼のような高貴な方がいきなり我が家を訪れると私と母に迷惑がかかると思って見舞いを断ったようなのです。
「我が家の前に馬車をつけられて何時間も待機される方が迷惑ですわ! はい、これでお顔とお体を拭いて、寝衣も着替えますか、髪も梳かしましょう」
「ダフネ、これ以上彼をお待たせするのは良くないわ。あの、フランソワが良ければ上がってもらって……私は自分で身繕いできるから」
病で寝込んでいる姿を愛しい人に見られるのは恋する乙女としては恥ずかしいでしょうが、寒い中にいつまでも待たせる方が気の毒なようです。そんな気持ちは良く分かります。
私はテネーブルさまを家に招き入れました。そしてしばらくはそっと姉と二人きりにして差し上げました。
その間に帰宅した母も何事かとびっくりしていました。テネーブルさまは高級な焼き菓子を持ってきて下さったのに、お茶を入れるという母の勧めも断り、急に押し掛けたことを謝ってすぐに帰っていかれました。
「テネーブルさまは親切な方ね。あの子にここまでして下さるなんて」
「二人を見ていると想い合っているのは確かなのに、何だかまだぎこちない感じがします」
「小さかった私の娘も恋をして大人になっていくものね。家族三人で新年を迎えられるのもあと何回もないかもしれないわ……」
「まあお母さまったら気が早いですわよ」
テネーブルさまが去った後、私と母は台所で二人しみじみと話していました。母のことを気が早いと言った私ですが、実は私自身も姉はいずれテネーブルさまに嫁ぐのだろうなという予感がありました。
年越しまでは姉の身に特に何も変わったことはなかったようでした。病気をして休んだ分を取り返そうと、王宮とよろず屋の仕事に精を出していました。
新しい年を迎え、年明けから姉は希望の司法院に異動になり、ますます仕事にやる気を見出したようです。私の目には何だか張り切り過ぎているようにも映りました。
それもそのはず、姉は年が明けて初めての休みの前夜、ガブリエルさまのところに泊まることになったと言っていました。私も母もガブリエルさまではなくて弟の方と過ごすのだ、と分かりきっていました。
それからというもの、姉は時々テネーブルさまと出掛けては帰りに沢山お土産を抱えて帰ってくるようになりました。パンや魚介類、食べ物ばかりです。食いしん坊とは言いませんが、姉は食べることが好きなのです。
素敵な彼との交際も順調なようで私と母は安心していました。
(三)に続く
***ひとこと***
クロエよりもずっとおませさんのダフネちゃんです。次期公爵フランソワ君のことを不審人物扱いの上、ストーカー呼ばわりする
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