料理の鉄人ダフネ・ジルベール(一)


 読者の皆さまこんにちは。クロエの妹、ダフネです。


 姉は私と一つしか違わないのに、学院在学中から休みの日はよろず屋で働いて家計を助けてきました。その上、飛び級で学院を一年早く卒業し、天下の王宮になんと高級文官として就職するという快挙を成し遂げたのです。


 私は姉ほど勉強が得意ではありません。小さい頃から料理をするのが好きなので、学院では調理師になるために学んでいます。私は家事をほとんど受け持つことで、働き者の母と姉を助けているのです。


 姉は青春時代を勉学とよろず屋の仕事に費やしていました。家庭の事情とは言え、ろくに恋も知らず、おしゃれもせず、就職してからも休みの日によろず屋の副業を続けていました。


 私が出来ることと言ったら、一人前の調理師になって家計を助け、母と姉の負担を減らすことでした。出来れば王宮に調理師として就職したいのですが、もちろん人気の職業ですから門は狭く、そのためには私はまだまだ修行が足りません。




 そんな働きづめの姉にも就職して間もなく、少し変化が訪れました。


「ダフネ、昨日焼いてくれたクッキーね、職場の人にお裾分けしたら美味しいって言ってもらえたの。また作ってもらえる?」


「お姉さま、あんな失敗作を人に食べさせたのですか?」


 昨日は急いでいたのでクッキーの形もいびつなものが多く、しかも焦がしてしまったのです。


「本当は休憩時間に一人で食べようとしていたのよ。休憩室にいた先輩が私の前に座るから、思わず分けて差し上げたの。そうしたら本当に美味しそうに食べてくれて、もっとどうぞって勧めたのよ」


 姉の表情からこれはただの先輩以上に好意を寄せている相手だと、ピンときました。姉もやっと恋をしたのです。妹としては嬉しくなってしまいます。


「将来の王宮料理の鉄人ダフネ・ジルベールとしての名誉にかけて今度は完璧なクッキーを焼いて見せますわ」




 同じ頃、近所に住む姉の親友エレインさんからも重要な情報が寄せられました。


「ダフネ、最近のクロエ、何か変化ない? あの子も遂に色気づいたみたいなのよね」


「え、やっぱりですか? 今朝なんて私の焼いたクッキーを沢山持って出勤しましたわ。職場に気になる先輩がいるみたいなのです。個人的にその人に渡すのではなくて、職場の皆さん全員に食べてもらうって言っていましたけれどね」


「へぇー。どおりでね。先日クロエにお化粧の仕方の聞かれたのよ。あの子も恋をしたのねぇ。ダフネ、私たちは影からそっと応援するわよ」


「もちろんですわ!」


 私とエレインさんがついている限り百人力で、姉の恋のサポートは万全です。


 その頃から姉は母に言葉遣いや訛りを直して欲しいと頼み、滑舌の練習をし始めたのです。私はダンスの練習相手もさせられることがありました。


 もしかしたらその職場の先輩に舞踏会に誘われているのかもしれません。舞踏会なんて乙女の憧れです。私までわくわくしてきました。




 そうこうしているうちに王都は厳しい冬に入り、新しい年を迎えました。その頃からです。姉は度々馬車で送られて帰宅することが多くなりました。在宅中に馬車が止まる音がすると、私は窓から観察していたのです。


 案の定、姉はいつも同じ男性に送られていました。背の高いイケメンでした。彼はいつも馬車から先に降りて姉の手を取っているのです。優雅な動作で、まるで王子さまがお姫さまに対するような扱いです。


 それでも二人の間にはまだ距離があるような感じでした。家の前で抱擁や口付けを交わすわけでもなく、姉はいつも他人行儀なくらい彼に深く頭を下げてから我が家に入ります。


 けれど私は毎回しっかり目撃していたのです! なんとそのイケメンは姉が背を向けてから熱烈な投げキッスを送っているのです。


「うわっ、これってあのカッコいい彼の方がお姉さまに夢中ってこと? ヤダ、萌えるぅー!」


 ついに私は一人で覗き見しながら身悶えすることに我慢ができず、本人に直接聞くことにしました。


「お姉さま、最近素敵な男の人によく送ってもらっていますよね。彼氏ができたのなら教えてくれてもいいのに! 出会いは職場ですか? なんておっしゃる方なのですか?」


「彼ではなくて、ただの職場の先輩です」


 ただの先輩が投げキッスなどしませんってば、と口が滑りそうになりました。


「馬車から降りる時に手を取ってくれるなんて紳士! 私もそんな恋人が欲しいです。学院の男子は皆ガキなのですもの!」


「だからね、ダフネ。彼は先輩で……私は彼のお姉さんの方に良くしてもらっているの」


 お相手の家族にも姉は認められているということです。ということは、そういうことなのでしょう。


「まあ、お姉さまったらもう将来の小姑まで懐柔しているのですね!」




 生まれも育ちも貴族である母は私よりももっと洞察力に優れていました。姉の彼氏はいつも質素な上着を着ているので私は分かりませんでしたが、母によるとかなり高位の貴族だそうです。


 姉は彼との恋愛関係を完全に否定していましたが、母は心配でならないようでした。何と言っても結婚に失敗した母ですから、私たち姉妹には小さい頃から人を見る目を養いなさいと口を酸っぱくして言っていたのです。


 母は私たちの前で直接父親の悪口を言うことは流石にありません。けれど、私も姉も父親不在の母子家庭に育ったことが大きな心の傷になっています。


 貴族の男なんて要するに外面だけが良い不誠実な最低ヤローだという概念が私たちの潜在意識のなかに組み込まれてしまっているのです。


 良く考えてみれば、貴族でも高位の方がわざわざ落ちぶれた男爵令嬢を気に掛ける理由があるとしたら、彼女を真剣に愛している他に考えられません。


 ただ欲求不満解消のための遊び相手だろうが、身分と金銭感覚に見合う恋人だろうが、そのような方は女性に不自由することはないでしょう。わざわざこんな庶民の街に住む貧乏男爵令嬢を追いかける必要など、どこにもないのです。


 体だけの関係や愛人関係の女性をお望みなら、姉の外見や性格とは正反対の人を求めるのが普通です。


 もちろん姉が男性に時々送られて帰ってくることはエレインさんにすぐに報告しました。


 それからしばらくしてエレインさんから新しい情報をゲットしました。正に私の予想通りでした。何とその男性はある日エレインさんの仕立屋を訪れたのです。姉は親友エレインさんのことをよく彼に話しているそうでした。


 流石のエレインさんもいきなり高位の貴族がお店に来られたので驚いたようです。彼の正体はフランソワ・テネーブルとおっしゃる、なんと公爵家の御曹司だそうです。


 あの超奥手なお堅い処女の姉のことです。テネーブルさまも相当苦労されているようでした。ですから周りから着実に攻めていく作戦に出たのです。




(二)に続く




***ひとこと***

おおっと、ダフネちゃんの重要目撃証言が取れました。フランソワ君、毎回クロエを送って行く度に彼女の背に向かって投げキッスですよ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る