第三十三話 バ・ラシーヌからの嫁入り

― 王国歴1118年晩春-


― サンレオナール王都




 フランソワのご両親もガブリエルさまも私たちの結婚を心から喜んで下さいました。私がガブリエルさまに招待されて初めてテネーブル家を訪れたその日から、皆さまは私たちの恋が実ることを陰ながら応援してくれていたそうなのです。


 フランソワのご家族にも祝福されて、私は幸せ者です。新しい女主人として私が嫁いで来るにあたって、ガブリエルさまは離れに越して行くとおっしゃいました。


「私は生涯誰にも嫁がず独身でしょうから、出来ればこの離れにずっと住まわせて欲しいのです」


 ガブリエルさまは一生結婚することはないと思っておられる様子です。彼女の運命のお相手だというザカリーさんは当時まだ九歳の少年でした。


 離れではなく、今まで通り母屋の部屋でよろしいのに、と私もフランソワもガブリエルさまを止めました。しかし彼女は断固として譲らず、私たちの結婚式までに母屋を引き払う準備を始めていました。


 式を挙げるのはなるべく早くというのがフランソワの希望です。それでも私は借金を完済するまで待って欲しいとお願いしました。


「公爵家の婚約者としての付き合い費用も結婚費用もろくに出せないのはしょうがないとしても、せめて借金のない、綺麗な身で貴方に嫁ぎたいのです」


「全額返すって一体いつになるの、クロエ?」


 私はそんなフランソワのすがるような表情にとても弱いのです。


「そうですね、この冬か、遅くても来年の春でしょうか」


「……確かに今年中に式を挙げるのは急すぎて少々無理があるけれど」


 結局式は翌年の春に決まりました。借金の残額はフランソワが立て替えてくれて、我が家から彼に無利子で婚礼の日までに返すことで合意しました。


 もちろん私は結婚後も仕事は続けるつもりでしたし、フランソワもそれは当然と受け止めてくれました。しかし、よろず屋の副業は即禁止されてしまいました。


 フランソワだけでなく、母と妹にも止められたのです。借金ももうすぐ返済出来るし、いつも長女の私に負担を掛けて申し訳ないと母に謝られてしまいました。物心ついた頃から私の母は働きづめで、私はその背中を見て育ちました。これからは少しでも楽をして母自身の幸せを掴んで欲しいものです。




 職場に結婚の報告をすると最初は大層驚かれましたが、皆さん祝ってくれました。ただ、ポリーヌさんを始め、異動前の財務院の同僚たちは当然のことのように受け止めていたようなのです。


「テネーブルさまを気を付けて見ていたら貴女に気がありありなのは明らかだったもの」


「ですよねー。僕なんてクロエさんに一番近かったから、フランソワさんにしょっちゅうにらまれていましたもんね」


「そうよ、この鈍いニコラ君にさえ分かるくらいあからさまだったのよねぇー」


「ポリーヌさんそれって言い過ぎ……」


 他には微妙な反応をされる方々もいらっしゃいました。例えば司法院の例の先輩です。


「へぇ、クロエちゃんったらマジで公爵夫人の座を射止めちゃって。一見地味な君なのに中々やるじゃない。よっぽどそっちの相性が良かったんだねぇ。それでも来年に式を挙げるってことはデキ婚じゃないわけだし……」


 真面目に相手をするべきなのでしょうか、少々迷いました。


「私は良家の子女ではありませんけれど、フランソワがこんな私でもいいと言ってくれたので、良き妻になれるように努力するつもりです」


「クロエちゃん、貴族の良き妻の定義って分かっている?」


「跡取りとなる男子を産む、夫が浮気しようが外で愛人を作ろうが文句を言わない、ですか? 前者についてはお子は授かりものですから何とも言えませんが、後者については努力してみます」


 そこで私は彼に頭を下げてさっさとその場を去りました。




 将来のことなど誰にも分かりません。私はその日その日を大事に、夫婦仲睦まじく生きていこうと思っています。お互いだけを一生愛し続けられて、ずっと寄り添っていけたらいいですが、私はフランソワの妻としてそんな夫婦でいられるように励むつもりです。


 その年の秋、エレインの結婚式では私とフランソワが付添人を務めることになりました。フランソワが喜んで引き受けたのには私も少々驚きました。


「だから以前言ったでしょう。クロエ以外に私の付添人は考えられないって。フランソワさまもクロエが付添人なら自分も、って大乗り気でいらっしゃったし」


 以前から私の居ない所で私の婚約者さまとエレインたちは私に桃色のドレスを仕立てるために手を組んでいたのです。


 それに週刊王都の事件以来、フランソワとウィリアムさんは急速に親しくなりました。事件の時にウィリアムさんに大層お世話になったことが切っ掛けで、彼の事業に投資したり、お互いの人脈を紹介し合ったりと彼の商会と仕事の面でも大きく関わるようになったのです。


 式の打ち合わせのために四人で会っていても、男性二人が事業や領地経営といった仕事の話に熱くなることもままありました。


 エレインの結婚式は素晴らしいものでした。努力の末に幸せを掴んだ、エレインの美しい花嫁姿に私は親友として大変誇らしく、こうして付添人を務められて本当に良かったです。しかも、私の隣にはもうすぐ私の旦那さまになる男性が居るのです。


「結婚式って良いものですね、フランソワ」


 私は感無量でした。


「僕達の式はもっと良いものになるよ」


「それは公爵家が挙げる式ですから規模や豪華さは比べ物にならないでしょうけれども……」


「そうじゃなくて、僕の花嫁が君だからだよ」


 その言葉に私は両腕を彼の腰に回して軽く抱き締めて、その胸に向かってそっと呟きました。


「フランソワ、好きです。私幸せ者ですわ」


 式の後の喧騒に紛れて彼の耳には届かなかったと思ったのに、返事がありました。


「うん、僕も」


 彼は私の頭頂に軽くキスをしてしっかりと抱きしめてくれました。




 式を来年挙げることにしたのは結婚前に借金を経完済したかったからだけではありません。私自身の心の準備を万端にしたかったという理由もあるのです。


 結婚が決まったフランソワはお父さまから公爵位を継ぎました。私は将来の公爵夫人として、フランソワの妻として相応しい女性になれるように礼儀作法などを改めて勉強したかったのです。


 それでもフランソワのお母さまもガブリエルさまも、難しく考えなくても今のままの私でいいと言ってくれるのです。フランソワや大好きな婚家の皆さまに恥をかかせないよう、私はこれからも努力を惜しまないつもりです。




 そうして迎えた私たちの結婚式では、フランソワが感極まって涙ぐんでいました。私たちは大聖堂の祭壇で誓いを立て、式を終えて正面玄関を出たところでした。


「今日のこの日を無事に迎えられて、君と結婚できるのが嬉しくて……」


「フランソワったら大袈裟ではありませんか?」


「大袈裟じゃないよ。ついにクロエが法律の上でも僕のものになったのだから。今日の式も無事に挙げられるか冷や冷やしていたもん。馬車が故障するのじゃないか、君が熱を出すのじゃないか、とかね」


「やはり誇張しすぎですわ。でも、嬉しくて感慨深いのは私も同じです」


「ああ、君と結婚出来るなんて僕は運が良い男なのだろう」


 運が良いのは私の方ですわ、と言おうとした私の唇は旦那さまのそれで塞がれてしまいました。




 結婚してからも私たちは育った環境や価値観の違いから口喧嘩やいさかいになることもありました。けれどその度にお互いのことを思いやり、すぐに歩み寄って仲直りしてきました。


 私たちの間の広くて急な川も時には流れが緩やかになることもあるし、そもそも二人の間の橋はどちらかが壊してしまわない限り、ずっと架かっているのです。


『私と結婚できたなんて貴方は幸せ者ですわね』


 私はよく彼にそう言ったものでした。その言葉を言う度に自分が如何に幸福か、噛みしめていました。素晴らしい旦那さまと家族を築くことが出来て、本当に運が良かったのは私の方なのです。




***ひとこと***

これにてめでたしめでたし、バ・ラシーヌに住む真面目女子編は終わりです。次話からは幕間と称して皆さんの証言というか暴露が始まります。

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