第三十一話 マダム・サジェスに聞く
「クロエ、君も今送って行くよ」
「フランソワ……記事を差し押さえるためにも早急に動く必要がおありでしょう、私は一人で帰りますわ」
流石に帰りもウィリアムさんの馬車で送ってもらうのは
「クロエ女史の言う通りだ。それでも少しだけ待ってくれる?」
「はい、もちろんですわ」
私を客間に待たせていたフランソワは数分で戻ってきました。
「先程君が訪ねてきた時には求婚の返事を貰えるのかと思ったよ。けれど友達と一緒だったから何事かと……それでも、僕の無実を信じてくれて、真っ先に知らせに来てくれたということは僕にはまだ望みがあるのかな」
こんな捨てられた子犬のような顔で彼に見つめられるのに私はとても弱いのです。
「それは……」
「考える時間が必要だと言ったね。君の気持ちを尊重するよ。それに今は自分の身辺整理が最優先だ。でも、この件が片付いたらもう待てないからね」
「ありがとうございます、フランソワ」
私は彼に深く頭を下げました。
「送って行けなくてごめんね。気を付けてお帰り」
「フランソワ、あまり無理をなさらないで下さいね……記事が取り下げられることを祈っています」
別れ際に私は少し背伸びをして自分から彼に軽く口付けました。
「クロエ……」
フランソワは少しだけ驚いた様子で、寂しそうに微笑んでいました。彼の求婚への返事をするにはまだ私の中で
普段私は王都新聞の朝刊を読んでいます。週刊王都はあまりにも下らない三面記事が主なので購読していないのですが、この時だけは違いました。毎週発売日によろず屋に寄っては内容を確認していました。一週間経っても、二週間経っても高位貴族Fについての記事は載りませんでした。
母と妹には、私の悩みが求婚の返事だけでないことも薄々分かっていたようです。しかし、常にそわそわイライラしている私のことを何も言わずに見守ってくれていたのは有難かったです。
エレインとウィリアムさんが二週間目に我が家を訪ねて来ました。
「クロエ、朗報よ。あの記者ね、しばらく見ないと思っていたら不法侵入罪で牢にぶち込まれていたらしいの。テネーブルさまの記事も取り下げられたわ」
「まあ……良かったわ……」
「知り合いに聞いたところによると、王都宿泊施設組合が動いたそうだ。エレインの同僚の彼、色々と汚い手を使って張り込み取材をしていたみたいだしね。ある宿屋の敷地に忍び込んでいたところを現行犯逮捕だって」
「それでも彼は厚かましくも逮捕前に書いたと言い張って、会社に記事の掲載を要求しているの。ところが、手帳を紛失してしまったとかで、牢獄で書き直したものは記事にできるような内容にはほど遠かったのよ。それに記憶も曖昧になっているのよね。会社としても犯罪者の書いたものは載せられないし」
フランソワが裏で手を回したに違いありません。私の考えを読んだのか、ウィリアムさんが続けました。
「テネーブル様にもあれから一度お目にかかってね。一昨日のことだ。M家の方も対策の目途が立ちそうだと厳しい顔でおっしゃったよ。先日皆でお会いした時も今回の事件にはかなりご立腹の様子だったよね」
「クロエ、あれから彼にお会いしていないのでしょう? ウィリアムによると相当お疲れ気味みたいよ。会いに行って
私で良ければそうしたいのは山々ですが、まだ心が決まっていませんでした。
「私、どうしても踏み切れないの……」
「テネーブル様はクロエさんとの将来を真面目に考えているからこそ、必死になって記事を握りつぶす為に奔走されたのだよね。一点の曇りもない状態で君と式を挙げたい、まだ求婚も受け入れてもらっていないけど、としんみりとおっしゃった。あとはゆっくり女の子だけで話しなさい」
「ウィル、また明日ね」
私が口を開く前にウィリアムさんはエレインに軽く口付けてお帰りになりました。
「お世話になりました、ウィリアムさん」
彼の背中に向かってそう言うのが精一杯でした。
「さて、クロエが二の足を踏むのは身分差のせい? それとも経済的格差?」
「両方よ。フランソワが望めばいくらでも身分も経済的にも釣り合った美しい方を公爵家に迎えることが出来るのに……」
「それって、貴女が一人で心の中で障害や壁を築き上げているだけじゃないの? クロエちゃんは公爵夫人なんて荷が重すぎて自信ない? 貴女なら貴族社会の人間関係だって卒なくこなせそうなのに」
「それだけじゃないわ、私は母を見て育ったから……惚れた腫れたの勢いで結婚しても上手く行かないこともあるって身に
「貴女はテネーブル様が外で女を作るような人だと思うの? 確かにね、浮気性は男でも女でも治らないけれど。それに彼なら女の方が放っておかないでしょうねぇ」
「エレインは不安じゃないの?」
「すっごく不安よ。ウィルはただでさえ商売の為に旅行することが多いもの。けれど、私を愛していると言った彼の言葉を信じているわ」
「その自信はどこからくるの? 貴女は道行く人が振り返るほどの美人だし、胸も大きいから?」
「クロエ、いい加減そのペチャパイコンプレックスなんとかしなさいよ!」
「え、ぺちゃぱい何ですって?」
「胸がないことに対する劣等感のことよ!」
何とかしなさい、と言われてもどうしようもないのです。私は昔からこのガリガリの体型を気にしていました。そして以前エレインに借りた指南本に載っていた、ある行為が私の胸の大きさでは物理的に無理だということに気付き、益々悩むようになったのです。
「だって、私はどう頑張っても、その……男性器を挟んで差し上げる行為が出来ないのよ」
エレインの前で胸を両手で寄せて上げてみましたが、谷間が少しだけ出来る程度です。
「はぁ? ちょっとクロエ、真面目な顔で何を言いだすかと思ったら! 今はどうして結婚に踏み切れないのか、という話じゃなかったの?」
「要するにね、私は胸も小さいし、他の色々な要素を考えてもフランソワにすぐに飽きられるだろうと思っていたの。だからこうして彼に求婚されるだなんて、嬉しさよりも戸惑いのほうが大きくて……」
エレインの呆れ顔は笑いを
「胸に限って言えばね、男が皆巨乳好きとは限らないのよ。小ぶりの方が好みという人も居るわ。それに、結婚すると日常生活がずっと続くのよ。
「なるほど、マダム・サジェスのおっしゃることは一理あるわ」
「大体ね、夫婦が一緒に居る時間の何割をエッチに費やしている? 個人差もあるでしょうけれど、どんなにサカっていても一割に満たないわ。重要なのは二人の性格、日常会話、趣味、食事の作法や癖など、もっと基本的なことよ」
そこで私は司法院の先輩がフランソワについて言っていたことを思い出しました。結婚は人生の墓場だ、もし結婚するなら何も言わず好きにさせてくれる良家の子女だ、という言葉です。フランソワがもしそう思っていたとしても、彼は私に二度も三度も求婚してくれて、三度目は母と妹も同席していたのです。
「私は良家の子女でもないし、文句も言うし、好き勝手もさせてあげないことはフランソワが一番良く分かっているのに……彼は本当に私と結婚したかったから求婚してくれたのね……」
「そうよ、クロエ! パイ〇リもぱふぱふもろくに出来なくても、それを承知で彼は貴女を選んだの。自信を持っていいのよ!」
「ええ私、フランソワにきちんと気持ちを伝えないといけないわ……」
「善は急げと言うでしょう。事件も解決したし、いってらっしゃい!」
***ひとこと***
流石、マダム・サジェスの言葉には重みがありますな。
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