第三十話 事件対策本部の緊急設置


「ああ、テネーブル公爵家に着いたようだよ」


 考え事をしていた私はウィリアムさんの声で我に返りました。


 エレインとウィリアムさんまで引き連れて公爵家に押し掛けたのはいいのですが、いくら急用があるとは言え、門前払いされるかもしれないということを失念していました。


 ウィリアムさんは社会的地位がある方ですから彼の馬車はまずます立派なものです。それでもいつもの出勤用の質素なドレス姿の私は、公爵家を訪れるような人間にはまず見えません。


 今までここに来る時は常にフランソワやガブリエルさんと一緒でした。通してもらえなかったら明朝一番にフランソワの執務室に行って話をすることにすればいいのです。私は腹をくくって門番の方に名乗りました。


「クロエ・ジルベール男爵令嬢と、こちらは私の友人でございます。約束はしておりませんが、フランソワ・テネーブルさまに火急の用事があって参りました。お目にかかることは可能でしょうか?」


「ははっ、どうぞお入り下さい」


 驚いたことに門番彼はうやうやしく私に頭を下げ、すぐに通して下さいました。なるべく早くフランソワに知らせないといけないのでほっとしました。


 それでもこれから彼に対峙することを考えると胃がキリキリと痛みます。正面玄関では顔馴染みの執事の方に迎え入れられ、私たち三人が客間に通されると同時にフランソワが駆け込んできました。


「クロエ、君から訪ねて来てくれるなんて、どうしたの? それに貴方達まで……」


 私はフランソワに軽く口付けられましたが、彼も私たち三人の表情からただ事ではないと気付いたようです。


「フランソワ、こちら私の友人のエレイン・ロシュローさんと彼女の婚約者ウィリアム・デロリエさまです」


 フランソワとエレインはもう顔見知りだと分かっていましたが、彼の前では知らないふりをしてエレインも紹介しました。


「このような時間に約束もないのに押し掛けて申し訳ございません、閣下」


 エレインとウィリアムさんはフランソワに頭を下げて略式の挨拶をしました。


「それは構わないのだけれども……皆さんこちらにお座り下さい」


「フランソワ、貴方にどうしても知らせないといけないことがあるのです。エレインが王都新聞社に勤めているのはご存知ですよね」


 私はフランソワに親友エレインのことを色々と話していました。だから彼は一人で彼女の仕立屋を訪ねて行き、私のためのドレスを内緒で作らせたのでしょう。


「彼女によると……あ、貴方に関する記事が週刊王都に載るらしいのです」


 私は声が震えてしまいました。エレインが助け舟を出してくれます。


「記事が上に認められたら早くて三日後の今週号、そうでなければ来週号に掲載されます。こちらは担当記者の下書きに私が目を通して、簡単にまとめたものです」


 エレインが手渡した紙を受け取って読み始めてすぐにフランソワの表情が険しくなりました。


「で、クロエ、君はこんな三面記事の内容を信じたの?」


 彼の口調は非常に冷たいものでした。長椅子の隣に座っているエレインがしっかりと私の手を握りしめてくれました。


「私も先程読んだ時には目の前が真っ暗になりました。それでもエレインによると、記者が二人の逢瀬を目撃した夜の日付は……」


 私はエレインとウィリアムさんの前では恥ずかしくて続けられませんでした。


「その夜は僕、うちの離れで君と朝まで過ごしたよね。疑いは晴れたってわけだ」


「キャーッ、フランソワ! そこまではっきりおっしゃらないで下さい……」


「あらあらー」


 ウィリアムさんは吹き出し、エレインはニヤニヤしています。


「とにかく……もしもその記者の方が貴方を目撃したという日時に、貴方が私と一緒でなかったとしても私には分かります。貴方さまは私にあのような提案をしていながら、他の女性とも連れ込み宿に行くような、そこまで節操のない人ではありませんよね。最低限の良識は備えておいでです」


「もちろんじゃないか、ってクロエ……何気に僕のことけなしていない?」


「そんなつもりは全くございませんわ、フランソワ」


「あのような提案って何か聞いてもよろしいですか?」


「クロエに求婚した。お義母上にもきちんと挨拶をしたのに、返事は保留されている」


「え、もう求婚? 聞いていないわよー、貴方たちそこまで……」


 私はエレインに肘でつつかれていました。


「エレイン、話の腰を折らないで、口をつぐみなさい」


「とにかく話を戻しますと、高位貴族の跡継ぎという肩書と頭文字だけでは貴方さまと特定できませんね。お相手の方にも同じことが言えます。フランソワ、Mさんに心当たりはおありですか?」


「ないない! 神に誓ってない! Mなんていくらでも居るじゃないか、マリー、ミリアム、メガン……」


「まあ流石、テネーブル次期公爵さまは数多あまたの女性をご存知なのですね」


「いやだから、そういう意味じゃないってば!」


「フフフフフ……テネーブルさまもクロエには敵わないご様子で……」


「エレインったらもう」


 再びエレインは婚約者にたしなめられています。


「フランソワ、捏造記事であっても週刊誌が発行されてしまったら……いくらはっきり人物特定が出来ないとはいえ、貴族社会では分かる方にはお分かりでしょうから……貴方とMさんの仲が公認になってしまうのではないですか?」


「君の言う通りだ。僕だってまんまとめられるわけにはいかないよ!」


「ということは……M家の策略とも考えられますね」


 嘘の既成事実が貴族社会に広まるとフランソワがそのMさんをめとらされる羽目になるかもしれません。


「この記者を問い詰めてもしらばっくれるだけでしょうしね」


「記事を何とか差し押さえるためにテネーブル家から新聞社に圧力をかけるのは簡単だよ。でも、エレインさんが情報を外部に漏らした、と会社から責められるのは避けたいね」


「いざとなったら私、記者の仕事は辞めてもいいのです。その覚悟なくしてクロエの所にこのメモを持ち込んでいませんわ。彼女の幸せには代えられませんもの」


「エレイン……」


「王都新聞社でなくても物を書くことはできるし、しばらくは専業で私の奥さんをしてくれてもいいしね」


 幸せそうな二人を横目に、私はふと思ったもう一つの疑問を口に出していました。


「記者の方は高級連れ込み宿でFとMが逢い引きをしていたのを目撃したとありますが……このような宿へは徒歩で堂々と二人同時に出入りしない限り、表通りの通行人に見られることはまずないですよね。そんなに簡単に客の顔が割れるようでは高級連れ込み宿の意味がありません」


 私が連れ込み宿事情に詳しいとエレインとウィリアムさんに自ら暴露しているようなものでしたが、今はそれどころではありません。


「クロエさんのおっしゃる通りです」


「そうか、良い所に目をつけたね。流石、僕のクロエだ。こんな記事が出たら連れ込み宿だって評判が落ちて客足が遠のくのではないかと新聞社に苦情の一つも言ってやりたいところだよね。どの宿と記事にはっきり書かれていなくてもだよ」


 エレインとウィリアムさんも居るのに、僕のクロエだなんて余計なことを言わないで欲しいです。


「そちらの方向から攻めていくと、この記者のしっぽが掴めるかもしれませんね。テネーブル様、私の知り合いの王都商業者組合を紹介いたしましょうか?」


「是非お願いしたい。この陰謀を仕組んだ者達にはどうしても一矢報いてやらないと気が済まないし、テネーブル公爵家に盾突くとどうなるか分からせないとね」


 そう言うフランソワの表情は穏やかですが、彼の怒りの度合いはかなりのものだということが分かります。


「お二人ともありがとう。知らないうちに易々やすやすとでっち上げの罠に落ちるところを助けられたよ」


「何かあったらご相談ください。エレインでも私でも、協力は惜しみません」


「助かるよ。本当にお世話になるかもしれない。クロエは良い友達を持ったね」


 そして私たちはエレインとウィリアムさんをテネーブル公爵家の玄関で見送りました。




***ひとこと***

とりあえずクロエとフランソワの間にこれ以上!?ひびが入ることはありませんでした。さてフランソワ君はこの落とし前をどうつけるのでしょうか?

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