第二十九話 そして次の事件は起こる
「お姉さま! どうして?」
ダフネがすぐに私の後を追いかけてきて部屋の扉をドンドン叩きながら叫んでいましたが、私は部屋に
フランソワは母に見送られて辻馬車で帰って行ったようでした。後から母に聞くとがっくりと肩を落として失意の状態だったそうです。
「貴女の気持ちも分かります」
母にはそう言われました。
「それでもテネーブルさまは本当に貴女を愛していると今なら断言できます。それに貴女も彼を愛している気持ちは同じでしょう?」
「はい……」
「それでも結婚なんて一生のうち何度もするものではないのですから、ゆっくり考えなさい」
母のその言葉に力づけられました。私もフランソワを誰よりも愛しているのは本当でした。
ダフネもフランソワにあんな態度を取った私を最初は責めていたのですが、私が二の足を踏むのも分かると言ってくれました。彼女も貧乏貴族として苦労して育った私の妹なのです。
私が求婚の返事を
「クロエ、話があるの」
彼女の表情から余程の用件なのだとすぐに分かりました。
「どうぞ上がって。私の部屋でいいかしら、エレイン? 先に上がっていてくれる? お茶を持って行くわ」
「そうね、急いでここまで駆けつけたから喉が渇いたわ」
「ダフネ、夕食の準備をお願いね」
妹には話の途中で部屋に入るな、という意味で言いました。
「はぁーい」
私がお盆を持って二階へ上がるとエレインは椅子にも腰かけず、立ったままでした。手には何か書類が握られています。
「私の椅子にどうぞ座って?」
私はお茶を机の上に置きました。エレインはお茶を一口飲んだ後、口を開きます。
「これを読んでみて。早くて三日後発行の週刊王都に載る記事の下書き写しよ」
「そんなものを私に見せてもいいの、エレイン?」
「本当はいけないけれど、事情が事情だから。私が手書きで要点をまとめただけだし」
私はエレインに見せられた手書きの文章にさっと目を通しました。エレインによると、その記事を書いた記者は某富豪の麻薬輸入密売疑惑を追いかけて、王都の至る所で張り込みをしているのだそうです。
その張り込み中、ある高貴な男女が高級連れ込み宿で密会しているのを目撃したとのことでした。私に何の関係があるのか、と最初は思いましたが、最後にその男女の名前が頭文字だけで書かれていたのに目を見張りました。高位貴族の跡継ぎF・Tと貴族令嬢M・Mとありました。
「これは……」
その二人が逢い引きしていた場所はエレインの写しには書いてありませんでした。
「彼ね、いつも貴族や富豪の醜聞を追いかけているのよ。今はある富豪が疑われている麻薬売買の担当なのだけど、本来の事件の進展がないらしくって……その取材中に見聞きしたことを担当事件に関係なくても時々面白おかしく書いて記事にしているの。その二人の逢い引きの場所は噴水がある立派な煉瓦造りの宿だって言っていたわ」
私はすぐに私とフランソワが初めて結ばれたあの宿を思い出しました。気分が悪くなって胃の中のものを全て戻してしまいそうでした。
「それって……」
「今朝、私が丁度彼の机の傍を通りかかった時に、彼と同僚との会話からこの記事の内容を耳にしてね。彼がある日の張り込み中に獲物以外の大物が引っ掛かったって吹聴していたものだから。本当に目撃したのか問い詰めたのだけど、はぐらかされてしまったわ」
「エレイン、ちょっと失礼するわね……」
私はふらふらとお手洗いに行きました。冷たい水で顔を洗うと気分も少し良くなりました。鏡には、みすぼらしいドレスを来た、男爵令嬢とは名ばかりのキツい表情をした女が映っていました。流石に嘔吐はしませんでしたが、何かに掴まっていないと私は倒れてしまいそうでした。
大きく深呼吸をしてエレインの所へ戻ります。冷静になって落ち着いて考えろ、と自分に言い聞かせていました。
「クロエ、大丈夫? 顔が真っ青だわ。貴女に言うべきかどうか迷ったのだけど、記事を読んで知る方が貴女には酷だと思ったのよ」
「本当だわ。知らせてくれてありがとう、エレイン」
彼女がここに居てくれるお陰で私も正気を保っていられた気がします。
「何点か謎があるのよね……私もこれを書いた記者のことは日頃から信用できないと思っているの。法に触れないぎりぎりのところで、訴えられることのないように巧妙に、でっちあげ記事を書いていることが多いのですもの」
エレインの言葉に、私は少しずつ落ち着きを取り戻すことが出来ました。
「わ、私……彼に会って話さないといけないわ」
私はふらふらと立ち上がりました。
「大丈夫、クロエ? 私も同行しましょうか?」
私とフランソワが二人きりになるとまた言い争いになりかねません。エレインについて来てもらうことにしました。
「そうね、貴女が側に居てくれるとありがたいわ」
今すぐ出掛けるという私を不審に思うダフネには急用が出来た、とだけ言いました。
「お姉さま、でも……もうこんな時間ですわ……」
それでも私とエレインの表情から、妹もただ事ではないと察したようでした。
「外食されるのですか? でなければこれをお持ち下さい」
ダフネは昼間に焼いたチーズ入りのパンを包んで持たせてくれました。
「あ、丁度いいタイミングだわ」
エレインの言葉に、家の前に馬車が止まったのに気付きました。
「ウィリアムさんの馬車じゃない、エレイン。今晩彼とお出かけの予定だったの? だったら申し訳ないわ。私一人、辻馬車で行くわ」
「何を言っているの、遠慮しないの!」
そして私は親友と彼女の婚約者と三人で馬車に揺られていました。エレインとウィリアムさんは二人がかりで私を馬車に無理矢理押し込めたのです。馬車はテネーブル公爵家に向かっていました。
私はエレインと特にウィリアムさんに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
「クロエの危機なのに彼とのデートを優先させるなんてないわー」
「私はまだ事情が良く飲み込めていないのだけれども……気にしなくてもいいよ、クロエさん」
「クロエ、食欲がないとしても今のうちに腹ごしらえをしておきなさいよ」
そして三人でダフネの焼いたパンを
「貴女とテネーブルさまには絶対に幸せになってもらって、私たちの式で付添人を務めてもらうのだから!」
「まあまあ、エレイン落ち着いて……」
私は今回のことがなくても以前からエレインに聞きたいことがありました。
「エレイン、どうして貴女はフランソワの名前を知っているの? しかも苗字まで。貴女の同僚が目撃したという高級貴族F・Tが私と交際している彼だとすぐに分かったのよね。私、貴女の前では彼の名前を言ったことはないわ。ダフネか母に聞いたの?」
ウィリアムさんは思わせぶりな表情で私たち二人の顔を見比べています。
「流石のクロエ・ジルベール女史には敵わないわね……しょうがないわ。実はね、テネーブルさまは一度私の仕立屋に来られたことがあるの。去年の初秋だったわ。彼から口止めされたからあまり詳しいことは言えないのだけれども、その時は貴女の好物や趣味などを聞かれたの」
やはり私の予想通りでした。
「そうだったの……そして彼は貴女のお店で桃色のドレスを仕立てさせたのね」
エレインとウィリアムさんはそこで顔を見合わせていました。図星でした。
あのドレスは私にぴったりで、グレタさんに初めて着せてもらった時にも思いましたが、お古ではなく、本当に私のために縫われたのでした。後日エレインの仕立屋で、違う布地で良く似たデザインのドレスが飾られているのを見て、これは偶然ではないと思うようになったのです。
馬車の中にしばらく沈黙が流れた後、最初に口を開いたのはウィリアムさんでした。
「クロエさん、エレインとテネーブル様を責めないでくれるかな。それにあの桃色の布地を提供した私もね」
「フランソワは、あのドレスは従妹のお古でもう誰も着ないから私に貰って欲しいと言ったのです……」
その頃からフランソワは私の気持ちを傷つけないようにと考えてくれていたのです。だと言うのに私は意地ばかり張っていました。私は唇を噛みしめました。
***ひとこと***
大変です、一大事です! フランソワ君、知らない所で陰謀に巻き込まれそうになっております。
お察しの方も多かったと思いますが『メーキングオブあのドレス』でした!
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