葛藤
第二十七話 真面目女子の結婚、人生観
その翌日のことでした。私は職場でまた同じ先輩に絡まれてしまいました。
「クロエちゃん、あのテネーブルと付き合ってるなんて、かなり意外だよ。それにしても上手いことやったね」
「えっとそれは……」
フランソワと私が本当に恋人同士だと思われているのはもうしょうがないのですが、どう返事をしていいか分かりません。
「将来公爵夫人の座に収まろうと頑張っているのでしょ、でもまず無理だね」
彼の言葉には棘があります。それにしてもフランソワと私が結婚だなんてまず想像できません。
「そうでしょうね」
「要するに奴は結婚願望なんてものは皆無だから。家督を継ぐためにいずれは結婚するだろうけれど、結婚は人生の墓場だって男だけで集まる時にはいつも言っているし。
この人の言うことは信用ならないと分かっています。それは昨日のフランソワの彼に対する態度からも明らかでした。それでも彼のこの言葉は真実でしょう。
「まあ、テネーブルさまもそんな考えを持っているのですか。良く分かります」
フランソワとはそんな将来のことや人生観を語る間柄ではもちろんありません。
私の母を見ていると結婚は正に人生の墓場と言えました。私とダフネを授かったこと以外、母はあまり結婚生活にはいい思い出がないようです。父は結婚にはまず向いていない人なのに、若い頃の母には理想の相手に見えたそうでした。
王都に母娘三人で出て来てからは生活は苦しくても幸せだ、と母はいつも言っています。
「そう強がらなくてもいいよ。俺は君が分不相応な夢を見ないよう忠告してあげているだけ。君はただのセフレでヤリ逃げされて終わりになるだろうからね」
せふれとかヤリニゲとか、例によって意味が分かりません。けれど、この人の言葉には悪意が込められていることは分かります。彼がどうして私にこんな態度を取るのか、謎でした。
フランソワと彼はそんなに親しいわけでもなさそうです。きっと何もかも持っていて恵まれているフランソワに嫉妬しているかそんなところでしょう。
「あ、それはご丁寧にありがとうございます」
私はとにかくこの人との会話を終わらせたくて、頭を下げてさっさと退散しました。
それでも私はその先輩の言葉にはしばらく考えさせられました。
私も結婚して幸せな家庭を築くことには憧れますが、結婚願望は私自身もそれほどないと言えます。母のように数年で破綻する結婚ならしない方がましだと思えました。
母だって不幸になると分かって結婚したのではありませんが、子供の私は父親不在の母子家庭に育ったことが大きな心の傷になっているのです。
「結婚するならお互いだけを一生愛し続けられる人がいいわ。そしてもし子供を授かったなら良い父親になれる人ね……子供たちには仲の良い両親の元で育って欲しいもの……」
私の独り言は司法院の廊下の喧騒にかき消されました。
フランソワと仲直りして次に会う約束をした時、彼は私の行きたい所を聞いてくれました。安いお店で食事をしたり、庶民の市やお芝居を見に行ったりという私の提案にも彼は反対せず、簡素な身なりで来ると言ってくれました。
毎回高価な連れ込み宿に行くことは気が引けるという私の気持ちも汲んでくれようとしました。それでも私たちは会う度に肌を合わせたいという欲求に勝てないことは分かっていました。
「じゃあこの間みたいに、うちの離れにおいでよ。宿泊料払わなくてもいいじゃない」
フランソワのその提案は魅力的でした。しかし、彼が夜な夜な愛人を離れに連れ込んでいたら使用人から公爵夫妻とガブリエルさまの耳に入るでしょう。フランソワの将来の奥さまになる女性が現れたら、その方にもフランソワの恥ずべき過去が知られるかもしれませんし、彼女がそのことを良く思う筈がありません。
かと言って柔らかい羽毛布団や大きい寝台に慣れているフランソワを庶民の使う安宿に連れて行くこともできません。そもそも私はそんな連れ込み宿を知らないのです。
高級だろうが下級だろうが連れ込み宿なんて少し前までは私には全然縁のないものでした。エレインに聞くのも恥ずかしいです。それに彼女は婚約者のウィリアムさんとは王都南部にある彼の豪邸で逢っているのでしょう。連れ込み宿には詳しくないと思えました。
「フランソワはよろしいのですか? 私が逢引のために度々離れを訪れていたらご家族も眉を
「別に家族は気にしないよ。僕が母屋の自分の部屋に君を連れ込んでいたら流石に何か言ってくるかもしれないけれど。離れは母屋から見えないし、使用人だって噂をするような者は居ないから。自分の家の方が落ち着けるし、二人きりになれる。君だって奔放に声を上げても誰にも聞こえないよ」
「い、いやですわ。私、はしたなくて申し訳ございません……」
「謝らないでよ。真面目なクロエ・ジルベール女史を
「フ、フランソワったら……」
ということで、フランソワは私を再びテネーブル公爵家の離れに連れて来ました。
「さあお嬢様、お手をどうぞ。それともまたお姫様抱っこで上まで連れて行きましょうか?」
私が何か言う前に、あっという間に彼の腕に横抱きにされていました。私は公爵家の御者の方にもう顔を覚えられてしまっているに違いありません。高貴な生まれのフランソワは使用人の目が気にならないようです。私はいつになっても慣れそうにありませんでした。
私はその日も私は
明朝早くに私は目が覚めました。いつも寝台から出るのはフランソワよりも私の方が早いのです。
その朝も私は隣のフランソワを起こさないようにそっと寝台から出ようとしていました。ところが、まだ寝ていると思っていたフランソワは半分目覚めていたのです。
「クロエ、お早う。まだ時間大丈夫?」
「ええ、まだフランソワが起きるには早い時間ですわ。起こしてしまったのでしたら申し訳ありません」
まだ横になっているフランソワが私の腰の周りに腕をしっかり回すので私は動けなくなりました。
「ああ、こうして君と毎朝一緒に迎えたいよ」
「ええ、私もですわ」
「クロエェ、嬉しいよぅ」
私だって毎晩この離れにお邪魔するわけにはいかないのは分かっています。でもこうして甘えてくるフランソワが愛しくてしょうがありません。
私は再び横になって彼の傍に寄り添い、その柔らかい金髪を
***ひとこと***
フランソワ君にあれだけ言われたのに、クロエの先輩も懲りない人ですねぇ。
さて、テネーブル公爵家の離れはこの時期フランソワ君が色々と利用しているようです。この舞台は数年後には……
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