第二十六話 不器用な二人、歩み寄る


 フランソワは揺られる馬車の中でまだ私に頭を下げたままでした。


「フランソワ、とんでもございません。お顔をお上げください。謝らないといけないのは私の方です。発言したことを訂正も撤回も致しませんが、私、感情的になって言い過ぎました。貴方さまに謝罪の文を書こうと思っては何を書けばいいのか分からず、破り捨てていたのです」


 私もやっと謝ることが出来ました。今まで食事もろくに喉を通りませんでしたが、今晩はきっと食事が美味しく感じられることでしょう。肩の荷が降りて安心しました。


「ああ、良かったー。僕も思わず意地になって傲慢なところがあったからね」


 フランソワと和解できたようです。彼は下座に座っている私の隣に移動してきて、私の両手をしっかり握りました。


「いえ、私もかたくなになりすぎていました」


「これからは何でも僕一人で決めずに、君の意見も尊重すると約束するよ」


 彼は確か今これから、と言いました。


「いえ、そんな……とんでもございませんわ」


「それからね、僕と君は以前も今も恋人同士でそれは噂ではなくて事実でしょ。君にもう新しいラブラブの彼氏が居るっていうのなら別だけれど。ほら、先日一緒に辻馬車に乗っていた彼、文官みたいだったけれど何処のどいつか暗くて遠目だったから分からなかったよ」


「辻馬車ですか? 一昨日のことでしたら、以前の同僚たちと相乗りで自宅に帰っただけです。私は誰もお付き合いしている方なんていませんわ。フランソワこそ、職場の後輩らしき女性ととても仲良くされていましたよね」


「は? 僕、君と先日喧嘩別れしてから誰とも親しくしていないよ! 誓って本当だ。確かに最初は君に対してかなり腹を立てていたからもういいや、と思ってはいた。でも、僕はやっぱりクロエじゃないと駄目みたいだ……」


 フランソワの瞳は真剣そのものでした。


「私も貴方に嫌われてしまったのだと、とても落ち込みました。これからはもう少し可愛げのある面倒臭くない女になれるように努力致します」


「クロエェー、君は十分カワイイよ。会えなくて寂しかったぁ」


 いつの間にか私は彼の腕の中で、むさぼるような口付けをされていました。私も久しぶりの彼の温もりに身も心もほぐれてとろとろになりそうでした。夢中で口付けをしているうちにフランソワの手が私の体中をまさぐり始めました。


「あ、あぁん……フランソワ……」


 馬車の中だというのに、もっとはしたない声を出してしまいそうで、はっと我に返りました。もうそろそろ我が家に着いていてもおかしくないくらいの時間です。少し腰が引けてしまいました。


「クロエ、ごめん。思わず夢中になって……続きは降りてからにしようね」


 フランソワは私のまとめ髪を優しく撫でて、唇を開放してくれました。たった今彼は続きをしようと言いました。私が馬車の窓の外の風景を見ると、なんと私たちはテネーブル家の正門を通り抜けたところだったのです。


「フランソワ、ここは貴方のお屋敷ではありませんか……」


「うん、着いたよ。君を送ると言っただけで真っ直ぐ帰すとは言わなかったよね。少しくらいいいでしょ? 何か他に用事があった?」


「いえ、特には……ありませんけれど……」


「しばらくクロエに会えなかったから、僕もう口付けと少々のお触りだけじゃ収まらないもん」


 そこで馬車が止まりました。以前私が一泊させてもらった離れの前でした。フランソワにこんなことはよろしくないですわ、離れに女を連れ込むだなんて不適切ですと言おうとしたのに、私の口からは本心が漏れてしまいました。


「私も、その……久しぶりに貴方を感じたいです」


 フランソワは嬉しそうな顔で私を馬車から降ろし、横抱きにして離れの扉を蹴破らんかという勢いで私を二階の寝室まで連れて行きました。


 私の体は寝台の上に下ろされ、お互いに服を脱がせ合うのももどかしく、肌を重ねました。本能の赴くまま、情熱に流されてフランソワの体を求めるなんて、普段の私からは考えられませんでした。けれどその時はそんな激情が当たり前で自然に感じられました。


 久しぶりの愛の営みだったため、二人とも無我夢中で、私は何度も快感の波にさらわれていました。


 ほんの少しの間フランソワに会えなかっただけなのに、私はもう彼なしの生活なんて考えられないことを実感していました。


「クロエ、ちょっと僕がっつきすぎて……ごめん」


「えっと……それは私もです……」


 情事の後、私たちは全裸のまま寝台で寄り添っています。


「夕食うちで食べて行く?」


「そ、それは遠慮させて下さい。私、ご家族にどんな顔をしてお会いすればいいのか……分かりません。それに今日は母に何も言っていませんし」


 最近は連日仕事の後にすぐに帰宅しているので母も妹も当然のように私の夕食を準備してくれていることでしょう。


「じゃあ、送って行くよ」


「あの、フランソワもお疲れでしょうから、馬車を出して下さるだけで」


「もうしばらく君と一緒に居たいから」


 フランソワの懇願するような眼差しにギュッと心臓を鷲掴みにされたような感じでした。


「今日はね、いつものように宿に君を連れて行くことも考えたのだけど……うちの離れなら宿代も不要だから君も気兼ねなく滞在できるかなと思って」


 確かにお金は払わなくてもいいのですが、テネーブル家やフランソワにお世話になっているということは同じです。けれど、私の主張を聞いてくれて、私の気持ちを汲んでくれたフランソワのことが益々愛しく感じられました。貧乏人の矜持きょうじが、なんて頑固に言い張ってもしょうがないことを学びました。


「私のためにフランソワも色々考えて下さっているのですね。ありがとうございます」


「クロエ、これからは何か不満があったらちゃんとすぐに言ってね」


 私がフランソワに心を持って行かれて、彼に夢中なのは昨日や今日に始まったことではありません。けれどそんな彼の真剣な眼差しに私は改めて心を射抜かれました。


「不満だなんて……私、今日はいつになく満たされました。貴方の腕の中でこれ以上ないくらいのよろこびに溺れて……女として生まれてきて、貴方に出会えて本当に幸せです」


 貴方のことを愛しています、貴方なしではもう生きていけません、と思わず口に出してしまいそうでした。エレインの言う『重い女』に成り下がるところでした。


「えっと、まあ君がそう言うとどうも僕の体だけが目的なように聞こえるのだけど……君をよろこばせられて光栄だよ……」


 私はフランソワのそんな照れた顔も好きなのです。


「フランソワ、体と言えば……しばらく見ないうちに益々筋肉を鍛えられたのですね。お腹周りが更にしぼられていませんか? ほらこの辺り」


 私はフランソワのお腹の筋肉にそっと指を這わせ、固い胸板に唇を寄せました。彼の顔がぱっと嬉しそうな笑顔に変わります。


「うん、気付いてくれた? 君に会えない間、がむしゃらに運動したから……この僕もやっと洗濯板を手に入れられたよ。君がマッチョ好きなら僕もトレーニング頑張れるし。今日は君を抱えて二階まで行けて、カッコいいところを見せられたよね?」


 洗濯板とかまっちょとか、文脈に沿わない、または私には意味が分からない言葉ばかりでした。


「ええ、もちろんです。貴方は何をお召しになっていても素敵ですけれど、何もお召しになっていない鍛えられたたくましいお体にも、私どうしようもなくときめいて……」


「ああ、クロエ……」


 私が言い終える前に私の唇はフランソワに奪われていました。




 私が夜遅く帰宅した時には母も妹も居ました。久しぶりにフランソワに送られて帰ってきた私の顔は幸せにたるんでいたことでしょう。けれどそれで二人共安心したようでした。




***ひとこと***

フランソワ君、実は結構鍛えていて逞しい筋肉質のお体をしているようで……ということはさておき、二人は仲直り出来、バカップルになっております。

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