第二十五話 キラキラ王子様、先に折れる


 財政院の休憩室では懐かしい面々が温かく迎えてくれました。


「クロエさーん、来てくれてありがとう。僕もやっと一人前の男になれたよー!」


「何を生意気言っているんだニコラ、お前なんかまだまだヒヨッコだ」


「そうよねぇ」


「皆さん、ヒドい……」


 以前の部屋の皆さんは変わらず和気あいあいとしています。私も一杯だけ麦酒をいただいて楽しい時間が過ごせました。最近は気分が完全に沈んでいた私もとても良い気分転換になりました。




 その頃から何故か私は男性から声を掛けられることが多くなりました。多くなったと言うより、今まではそんなことまずなかったのです。全くもって不思議でした。


「ジルベールさん、この仕事片付いたら一緒に食事しない?」


「今日送って行くよ、クロエさん」


「書類の写し、手伝ってくれて助かったよ。今晩ヒマ? 飲みに行こうよ、おごるから」


 中には既婚の人も居るのです。奥さまがいる男性はもちろんのこと、未婚で独り身の人が相手でも私はそんな気分には到底なれませんでした。だからいつも適当に言い訳を言って、やんわりと断っていました。


 未だにフランソワに未練が残っている私は毎日のように魔法石を眺めながら彼との幸せな甘い日々を思い出してはため息をついているのでした。


 私はこんなに後ろ向きで惨めで最低な気分だというのに、方やフランソワは精神年齢の低そうなあの後輩の女の子に大きい胸を押し付けられてデレデレと楽しそうにしているのです。


「すぐに気持ちを切り替えて次の恋に進むなんて私にはとても無理……それでも辛いのは今だけできっと時間が解決してくれるわ、クロエ」


 そう自分に言い聞かせていました。




 ある日の夕方、仕事帰りに司法院の廊下で先輩から声を掛けられました。


「あ、クロエちゃん、今帰りなの?」


 彼にクロエちゃんと呼ばれるほど親しい間柄ではありません。同じ司法院というだけで、彼とは仕事での接点もないのです。


「はい、お疲れさまです」


「じゃあ丁度いいや、送って行くよ」


 何が丁度良いのか、彼からそう誘われたのは初めてではありません。


「あ、いえ、結構です」


「そんな遠慮しなくても、さあおいでよ」


 初めてフランソワに送ると言われた時とかぶります。あの時私はすげなく断ったのに、その後から彼に色々誘われることになったのでした。


 こうして何でもフランソワとの思い出に繋げるのは私の悪い癖でした。その頃が懐かしく、未だに胸を締め付けられる想いです。当分他の男性と二人きりで馬車に乗ることなんて出来そうにありませんでした。


「いえ、ご迷惑でしょうから……」


「そんなわけないじゃない」


 迷惑なのは私の方なのですが、分かってもらえません。


「あの、実は私、恋人がとてもやきもち焼きで独占欲が強い人なので、ただ職場の先輩と馬車で一緒に帰っただけでも知られると困るのです」


 嘘も方便です。我ながら良い案でした。嫉妬深い恋人の存在をちらつかせていれば職場で噂になり、最近よくある誘いも減り心穏やかに過ごせるようになることでしょう。


「え、クロエちゃん実は彼氏が居たの? でも、そんな心の狭い彼なんて窮屈なだけでしょ、下手したらモラハラだよ。少しくらい羽を伸ばしてもいいじゃない。言わなければバレないって」


 この人がここまで強引だとは思いませんでした。彼の手が伸びて来たので思わず私は後ずさりしました。


「そういう問題ではなくて……私、本当に彼のことが好きなので……」


「君ってやっぱり見た目通り結構お堅いねぇ」


 カチンときたので堅くて融通が利かない面倒臭い女で申し訳ありませんね、と口を開きかけたその時でした。


「俺のクロエに馴れ馴れしくすんな、嫌がっているじゃねぇか。心が狭くて悪かったな。彼女もそう言っているだろ。クロエは俺にベタ惚れだからモラハラとは言わない」


 そこで何故かいきなり現れた愛しい人に私はしっかりと腰を抱かれていました。


「テ、テネーブル、お前って……」


「そういうことだ。セクハラヤローはとっとと消え失せろ」


 フランソワがこんな言葉遣いをするのはとても珍しいです。


「わ、分かったよ……」


 男性二人はにらみ合って、というよりフランソワが一方的に威圧していただけでした。先輩はあっという間にいなくなってしまいました。親切な彼のことですから私が困っているところに丁度通りがかり、見過ごすことが出来なかったのでしょう。


 あの先輩は職場に私とフランソワのことを言いふらすかもしれません。私はもう男性から声がかかることはなくなってせいせいするでしょう。けれど、フランソワにとっては私と噂になると迷惑なのではと思いました。


 私はフランソワからさっと体を離して頭を下げました。


「ありがとうございました……フランソワ。あまりにもしつこくて困っていたのです。助かりました。でもあそこまでおっしゃらなくても良かったのでは? 貴方と私が恋人同士だという作り話を触れ回るかもしれませんわ、あの人」


 まだ私は彼のことをフランソワと呼んでもいいのか少々躊躇ためらいました。


「ねえクロエ、それは噂でも嘘でもなくて真実でしょ。ともかく、僕達一度きちんと話し合わないといけないよね。元気にしていた?」


「はい……貴方もお変わりありませんか?」


 元気とはほど遠かった私です。久しぶりに見るフランソワは少し頬がこけたようでした。


「ん、まあまあね。送って行くから馬車の中で話さない?」


「そう、ですね。貴方さまがよろしければ遠慮せずにお言葉に甘えることにします。お手数をお掛けしますが……」


 フランソワに送ってもらうのは申し訳なかったのですが、彼には先日のことを一言謝りたかったのです。今更蒸し返すな、と言われるかもしれませんが、それでも私の気が済みませんでした。人通りの多いこんな場所でできる話ではありません。


 その日、フランソワは普段使いの使用人の馬車で使っていました。彼の立派な装いに全く合っていません。以前のように私はフランソワに手を取られて乗せてもらいました。


 フランソワも後から馬車に乗ってきて、私の向かいの上座に座ります。以前は私も上座に座る彼の隣か、若しくは彼の膝の上に座らされていました。まだひと月も経っていないのに、その頃がもう随分と昔のように感じられます。


 以前私が座っていた場所には他の女性たちが居るに違いありません。私はフランソワに会えないのがこんなに寂しかったのに何という違いでしょうか。


 その女性たちは私のように扱いが面倒でもなく、きっと家柄も彼に見合う貴族令嬢で、流行のドレスを何着も持っていて、お化粧も上手で、可愛くて胸も大きくて、食い意地も張っていないのでしょう。私がそんな余計落ち込むようなことばかり考えているとフランソワが口を開きました。


「クロエ、君の気持ちを全く無視して僕は酷い言葉を投げつけた。僕が悪かった、許して欲しい」


 なんと次期公爵のフランソワが私に頭を下げて謝罪しています。私が謝ろうと思っていたのに先を越されてしまったのです。申し訳ない気持ちで一杯で、私は慌てました。




***ひとこと***

フランソワ君、うかうかしているとまずいですよ。切ない恋愛のお陰でクロエもきっと綺麗になったのでしょう。彼女にモテ期が訪れています。


それでもとりあえずちゃんと謝れて良かったね。

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