敢行

第十九話 突撃、豪華高級連れ込み宿


 私の愛しい彼は待ち合わせ場所に既に来ていました。


「お待たせしました、フランソワ」


 王宮でも周りに人が居ない時はフランソワと呼ぶことに慣れてきました。


「クロエ、今日は元気そうだね、良かった」


 彼に笑顔を向けられるだけでドキドキします。


「ええ、それはもう……」


「荷物持つよ。早く二人きりになりたい」


「えっと、私も、です」


 王宮の前で辻馬車を拾い、二人で乗りました。こうして二人きりで堂々と王宮から帰るのは初めてでした。今日限りの事ですから、人に見られていたらその時はその時です。


 どのくらい馬車に揺られていたでしょうか、馬車の中では二人共無言でした。私も何を言っていいか分からなかったのです。王都の南区の方まで来たのでしょうか、私はまだ来たことのない地区でした。


 飲み屋や宿屋、食堂が並んでいます。店構えや建物から中上流階級が来る場所だと分かります。私たちは立派な門構えの大きな噴水のある建物の前に着きました。


「食事は別の場所でとも考えたけれど、一晩中二人きりで居たいから」


 彼がそう言うということは、ここは宿なのです。先に馬車から降りたフランソワに手を取られ、私も正面玄関の前に降りました。私たちの居る場所は表通りから奥まっており、噴水と庭木の陰に隠れて通行人からは全く見えないようになっています。


 扉も窓もすりガラスで中は見えません。世間知らずの私でもここはいわゆる連れ込み宿と言われる場所だと分かりました。私の想像していた連れ込み宿とは何もかもが違いすぎます。


 建物は頑丈なレンガ造りで、音もなく内側から開けられた扉から中に入ると、内装も立派で上品な落ち着いた雰囲気でした。


 高貴な方々は逢瀬や道に背いた逢い引きもこんな立派な場所を使うのです。一泊するのに金貨何枚するのでしょうか。私はポカーンと口が開いたままになっていたに違いありません。


 本当は野外でも、うまやでも相手がフランソワなら私は別に構わないのです。こんな素敵な場所に連れて来てもらえるなんて思ってもいませんでした。流石にキラキラ王子様です。


 大理石と思われるカウンターの受付に人が一人居るだけで他の客の姿もありません。確かに客同士で鉢合わせすると気まずいものがあるでしょう。フランソワは名乗りもせず、受付係に目配せするだけですぐに私たちは二階の一室に案内されました。彼は得意の常連で、顔を覚えられているのでしょう。それもある意味すごいです。


 入った部屋は居間のようでした。長椅子に揺り椅子が置かれています。その向こうの間には食卓がありました。一番の目的である性行為を行うための寝台は何処にも見当たりません。


「お食事はすぐにお持ちいたしましょうか?」


「頼む。クロエ、何が飲みたい? 葡萄酒それとも発泡酒?」


「お酒は遠慮しておきます。お茶を頂けますか?」


「こちらのお嬢様には茉莉花茶を、私は白葡萄酒を頼む。私達は奥に居るからテーブルに配膳しておいてくれ」


「畏まりました」


 フランソワが奥と言ったその扉を開けるとそこが寝室でした。部屋も広々としていて、浴室もついています。問題の寝台は私のそれの三倍くらいの大きさです。


 あまりの豪華さと広さに私は言葉を失っていました。カーテンの掛かった窓から見える景色や、浴室の中を確かめようと足を踏み出したところ、寝室の扉を閉めたフランソワに後ろからきつく抱き締められました。部屋の探検は後回しにします。


「クロエ、やっと二人きりになれた。君が年明けから異動してしまって財政に居ないから職場で毎日会えなくて僕寂しいよ……」


 フランソワに毎日のように顔を合わせていた以前が当たり前のようになっていたので、私も実は寂しさを感じていました。


「私もです、フランソワ」


 そして私は彼の方を向かされてすぐに唇を塞がれていました。しばらく唇を貪り合い、その後は抱き合ったまま無言で体を密着させてお互いの温もりを感じていました。


 居間の方からカチャカチャと音がしているのが聞こえます。食事が運ばれているのでしょう。


「クロエ、食事にする? それともお風呂?」


 特にお腹が空いているというわけではありませんでしたが、出してもらった料理が冷めてしまっては勿体ないです。それに腹が減っては戦は出来ぬのです、しっかりと腹ごしらえをしておくのが賢明でしょう。


「折角のお食事が冷めないうちに頂きたいです」


「賛成だ。予約の時にもう食事も僕が選んでおいたよ。その方が早いから。クロエは好き嫌いもまずないでしょ。今晩の主菜は鶏肉だ。給仕係は頼んでいないから全て運ばれているはず」


 温かい料理も部屋に出してくれる連れ込み宿なのです。本当に一泊いくらするのでしょうか。フランソワに手を引かれ、食卓に向かいます。彼の言う通り、食卓には前菜から主菜にデザートまで全て出されていました。料理も中々のものです。


 妹のダフネが調理師志望ということもあって、料理が苦手な貧乏人の私でも少しは味が分かるのです。


「まあ美味しそう。それにしてもこの宿は至れり尽くせりなのですね」


 連れ込み宿が初めてなのはもちろんのこと、普通の宿にも泊ったことがあまりない私でした。


「僕が勝手に全部頼んだけれど何か他に欲しいものがあったらいつでも注文できるよ」


「まあ、フランソワ、ここにあるだけでも食べきれないかもしれないのに……」


「君はいつも気持ちがいいくらい、美味しそうに何でも食べるから」


 私が食い意地が張っているのは貧乏性だからなのですが、フランソワの目にはそんな私が好ましく映っているようでした。彼の前で自分は貧乏だから、とかあまり卑屈になることは言いたくない私です。


「私の舌が少し肥えているのは調理師の卵である妹のお陰ですわ」


「妹さんは将来どんな所で働きたいの?」


「出来れば王宮調理師になりたいと本人は言っているのですが、狭き門ですね」


 私の家族や新しい職場について差し障りのない話をしながら食事をすすめました。鶏肉のクリーム煮は柔らかく煮込まれていて、上品な味わいでした。昨晩から腹八分目で、と自分に言い聞かせていたと言うのにお腹いっぱいでした。


「フランソワ、私もうこれ以上食べられません」


 デザートはチョコレートのムースですが、もう入りそうにありませんでした。


「じゃあ後で食べようか。夜は長いのだから」


「下げられてしまわないのですか?」


「もう朝までここには誰も入ってこないよ。僕達二人だけだ」


 真剣な表情になったフランソワの目がギラリと光ったような気がしました。彼の性フェロモン、生理活性物質の分泌量が一気に上昇したのを私は感じました。


 私は再び緊張してきました。遂にこの時がやって来たのです。


「さ、クロエ、寝室に行こう。お風呂に入るでしょ」


 心構えも出来たのにもう時間稼ぎはしたくありません。さっさと目的を済ませてしまいたい気持ちで一杯です。


 それでもお風呂を勧められてしまいました。お風呂には昨晩入ったばかりですが、フランソワはやはり行為に及ぶ前に私が体の隅々までしっかり洗った方が良いのでしょう。


「それでは、フランソワがお先にどうぞ」


「何を言うの、クロエ。女性が先に決まっているよ」


 遠慮せずに先に入らせてもらうことにしました。備え付けの石鹸はとてもいい香りがします。家の浴槽よりも広く、体も十分伸ばせました。しかし、ここでお湯に浸かってゆっくりして、フランソワを待たせても悪いと思い、体を洗ってすぐ出ました。


 私は一応寝衣も持って来ました。色気も何もない綿の、それでも私が持っている中で一番痛んでなさそうなものです。


 浴室には肌触りの良いローブがありましたからそれを着させてもらうことにしました。前で紐を結ぶだけで寝相が悪いと寝冷えしてしまいそうな実用的ではないものです。丈が短くて私の膝までしか隠れません。フランソワに足を見せるのは恥ずかしいのですが、どうせすぐに全裸になるはずです。




***ひとこと***

遂に遂に、ここまで来ております。それにしてもフランソワ君、クロエにこの宿の常連で顔パスの上、従業員には『また違う女連れて来てるよー』なんて言われている人だと思われていますが!

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