第十八話 決戦前の武者震い


― 王国歴1118年 年初


― サンレオナール王都




 年末に色々なことが一度に起こった作年も幕を閉じ、新しい年が始まりました。


 新しい職場で心機一転仕事に励むつもりで私は張り切っています。父の残した借金の完済も間近で、そうすればよろず屋の副業は辞められ、時間に余裕が持てるのです。それに新しい自分……今年は処女を脱出したいものです。


 年末年始の休み中にフランソワから文が来て、改めて決行の日が決まりました。その一生に一度の大事な日を今度こそは無事に迎えるため、私は体調管理に努めています。


 年末にエレインに会った時にそれとなく聞かれたので、処女喪失計画が延期になった事情を話しました。そうすると、私がどうしてフランソワにお手合わせをお願いすることになった経緯も教えることになりました。エレインには私の心境変化よりも事件後の心の傷がないか心配されてしまいました。


「母にも言ったのだけど、事件に遭ったという恐怖よりも、彼や彼のお姉さまが助けてくれて、事件後も私のことを気に掛けてくれたことに対する感謝の気持ちが大きいの」


「そんな事件なんて新聞の三面記事には恰好のネタよ。ハイエナのような記者たちに嗅ぎつけられたのかどうか、私が知る限り、全く記事になっていないわ。公にならないように事件を完全に握り潰したなんて流石高級貴族ね。クロエったらそこまで愛されているのね」


 私が愛されているのではなくてガブリエルさまも巻き込まれたから公爵家が動いたのです。


「とにかく、私はあの事件があったからこそ、もう後悔しないようにと一歩前に踏み出せたのよ」


「まあ、あまり力まずにリラックスして臨みなさいね。貴女の恋が叶ったら私たちの結婚式でお二人に付添人をお願いしたいから」


「付添人だなんてそんな大役……それに……」


 フランソワが庶民の結婚式で付添人の役を引き受けるとは思えません。それに付添人を二人で揃って務めるということは恋人同士か婚約中の二人とか、特別な意味合いがあるのです。


「私の付添人は貴女以外には考えられないわよ」


「それは光栄だけれども……」


「まあ、そういうこと」


 エレインは意味ありげにニヤニヤ笑っているのです。




 司法院での仕事は順調でした。私は再び総勢十人という小さな部屋に配属になりました。新人でいきなり配属になるよりも異動でしたから、馴染みやすかったということもあります。


 それに私も社会人になって早二年が経とうとしています。癖のある同僚たちとの人間関係も難しいようで実は単純で、謙虚さと気遣いを忘れなければ何とかなる、と既に度胸がついています。第二志望の財政院に最初に配属されて場数を踏めたことが良かったとも言えます。それに何と言ってもそこでフランソワと出会えたのです。




 遂に決戦の前夜を迎えました。私の緊張は極限にまで達していました。その夜は母が奮発して買ってきた牛肉を妹が野菜と一緒に煮込んでとても豪華な夕食でした。


「クロエ、今日はあまり食べないのね」


「はい、食べたいのは山々ですが、腹八分目でお願いしますっ」


「お姉さま、何だか最近変ですわよ。どうなさったのですか?」


 どうもなにも、食べ過ぎでお腹を壊すという事態を避けたいだけなのです。


「そうね、貴女は明日テネーブルさまと出掛けるのでした。この牛肉を今日料理しておいて正解だったわね」


 母にはガブリエルさまの所にお邪魔してお泊りもさせてもらうと言っただけでフランソワの名前は出していません。私の体がビクッとしたのをダフネは見逃しませんでした。


「なるほど、明日の夜お姉さまはテネーブルさまと姫始めなのですねぇ」


「ダフネ、何ですかその言葉遣いは!」


 母の反応からこの食卓ではヒメハジメってなんですかと聞いてはいけないと察しました。処女喪失とは何か違うような気もしていました。


 お湯を沸かして今晩は入浴の予定です。遠慮なく一番湯を使わせてもらうことにしました。ダフネもお風呂の準備を手伝ってくれました。


「お姉さまは明日に備えてしっかり磨かないといけませんものねー」


「ダフネ、ヒメハジメって一体何?」


 母が居ないところでこっそり妹に尋ねました。


「年が明けて初めてのエッチのことですわ」


「えっち?」


「そんなうぶなお姉さまがテネーブルさまの性癖にガッツリはまったのでしょうね。エッチとはクロエ語で言うところの性行為ですわ」


「……」


 年が明けて初めてのえっちというか、そもそも人生のヒメハジメです。ところで『性癖にガッツリはまる』とはどういう意味なのでしょうか……ダフネと話していると益々わけが分からなくなります。


 ごゆっくりーとダフネは浴室から出て行きました。初体験を意識し始めてから入浴する度にやはり本当に出来るのか不安になる私でした。私の陰部はそれこそ指一本も入りそうにないのです。


「フランソワは自信ありげに僕に任せて、と言っていたわ。何とかなるわよね、そうよ! ここまで来たのですもの、敵前逃亡は出来ないわ。女は度胸よ!」


 私は大きく深呼吸しました。


「お姉さま、どうかなさったのですか?」


 扉の外からダフネの声が聞こえました。


「い、いえ。何でもないの」




 そして翌朝、私は着替えなど一泊できる荷物を持って出勤しました。初めての夜はテネーブル家で頂いた桃色のドレスで臨みたかったのですが、職場に着て行くにはあまりに華やか過ぎてはばかられます。


 私が持っている中でも一番上等な紺のドレスにしました。それに今日はいつもしないコルセットまで着ています。フランソワに少しでも美しい体型に見られたかったのです。


「どんな美しいドレスを着てコルセットで締めていようが、結局は全て脱ぎ捨てて裸になるのですものね。それともフランソワは着衣のままがいい人なのかしら……あの指南本にはそんなことも書かれていたわね……」


 私は出勤途中にブツブツと呟いていました。気合が入り過ぎていたのでしょうか、歩くのも不自然になっていたようです。


「お早う、ジルベールさん。何、その力んだ歩き方は?」


 廊下で会った同僚に注意されました。


「えっ、そんなに不自然でしょうか?」


 普通に歩こうとして意識すると余計足をもつれさせそうでした。今日は仕事になりそうにありません。ミスをしないよう、普段以上に注意することにしました。


 私が配属された司法院の部署では新しく施行、改正された法律を公式文書に書き上げる仕事を主に担っています。個人的な懸念があっても、私は頭の切り替えが上手く出来る方でした。


 昼食はあまり喉を通りませんでした。妹が昨晩の牛肉を細かく裂いて味付けをしたものをパンに挟んでくれたのです。とても美味しいのですが、味わう余裕もあまりありません。


「けれど全部食べて体力をつけておかなければ駄目よね……行為の最中に貧血なんて起こしたら冗談にもならないわ……」


 今朝から私は独り言ばかりでした。


 それでも仕事をしていると時間はあっという間に過ぎていきます。夕方、定時で上がり、手早く薄化粧をした後、フランソワとの待ち合わせ場所である本宮一階の正面出口に急ぎました。




***ひとこと***

クロエ女史、ダフネとエレインも見守る中、今度は体調管理もばっちりで人生の姫始めに向けて準備万端です。

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