第十七話 張り切りすぎの知恵熱


 結論から言うと、嬉し恥ずかし初体験は当初予定されていたその日には達成されず、私の処女性は失われませんでした。というのも私が熱を出して寝込んでしまったからなのです。


 年末の寒い時期でしたし、事件に巻き込まれ、新年からの司法院へ異動が決まり、処女喪失のための対策を練り、色々なことが重なったからだと思います。計画を立ててくれたフランソワに申し訳なくて、口惜しくて涙が出てきました。


 断りの文を書いては破っていると、ちゃんと横になっていないと妹のダフネに叱られ、私は体も心も擦り切れてしまいました。ダフネにはとても大事な約束があったのに熱のせいで行けなくなったから、どうしても連絡しないといけないのだと涙ながらに頼みました。


 連れ込み宿は取消料を取られるのですか、いくらくらいですか、私のせいですから全額払います、と書けばいいのか、迷っていました。それともフランソワのことですから、私が行けなくなったら単純に他の女性を誘うのかもしれません。余計熱が上がってしまいそうでした。


 結局フランソワには、熱のために仕事も休まざるを得ず折角の例の予定を私の方から辞退しないといけなくなりました、とだけ文にしたためました。


 私が泣きながらこの文は大事なものなのだから、と訴えるものだからダフネも驚いていました。


「お姉さま落ち着いて下さい。病気になったのだからしょうがありません。テネーブルさまも分かって下さいますわよ。文はちゃんと届けますから、さあ横になって休んで下さい!」


 母にも心配を掛けたようでした。


「きっと貴女の頭では大丈夫と思っていたのでしょうけれど、体の方が限界を訴えていたのよ。ゆっくり休みなさい」


 母は私の好きなかぼちゃのスープを作って飲ませてくれました。


 熱にうなされて休んでいると、夢なのか幻聴なのか、フランソワの声が耳元でするのです。


『クロエ、心配しているよ。ゆっくり休んでね』


 フランソワからはすぐに文の返事が来ました。彼の癖のある字まで愛しく思え、私の体調を気遣う彼の優しい言葉に胸を打たれ、涙が出てきました。しかもフランソワは立派な果物籠まで一緒に送ってくれたのです。


 彼は私が少し回復していて迷惑でないなら見舞いに訪れたいとも文に書いていました。


 何度も我が家には送ってもらっていますから、どんなボロ家か彼はもう知っています。それでもやはり公爵家の方を迎え入れるにはあまりにも情けない我が家の状態でした。見舞いに来てくれたフランソワに出せるようなお茶もお菓子もないのです。


 私のせいで母や妹に面倒をかけるのはあまりにも申し訳ありません。結局家族に相談することもなく、彼のお見舞いは丁重に断りました。きっと私などには呆れ果てて愛想を尽かしたことでしょう。




 熱を出して三日目の夕方、私は少しだけ体を起こせるようになっていました。体力は少しずつ戻ってきましたが、初性交が流れてしまったことにより気力を失ってしまいました。


 帰宅したダフネが私の様子を見に来ました。


「お姉さま、少しは元気になりましたか? それにしても熱でずっとうなされて寝言ばかりでしたわよ」


 彼女の言葉にギクリとしました。私は処女喪失、連れ込み宿、などと多感な年頃のダフネの耳に入れるには不適切なことをうなっていたのでしょうか。


「な、何て言っていたの、私?」


 妹はニヤニヤ笑っています。まずいです、母にも知られているかもしれません。


「主にフランソワ、ごめんなさい、私行けなくて、みたいなことです。大丈夫ですわよ、テネーブルさまだって恋人が病気になったのですから、きっと心配しているに決まっています」


「だ、だからダフネ、彼は恋人ではなくて……」


「恋人でなければストーカーですか? 私の帰宅前からずっと我が家の前の角で張っていたみたいで、私にお姉さまの具合はどう、って切羽詰まった様子で聞いてこられましたけれどもね」


 すとーかーとは何とダフネに聞く前に私は寝台から飛び降りてふらふらと窓に駆け寄りました。本当にフランソワの普段使いの馬車が角に止まっているのが見えます。


「まあ、大変、フランソワ……」


 私は急いで上着を掴んで階下に降りようとしたら、寝込んでいたせいで体が思うように動かず、足がもつれて転んでしまいました。


「いたた……」


「何をなさっているのです、お姉さま。その体で無理なさらないで下さい。ストーカーでないならテネーブルさまを我が家にお呼びしてもいいのでしょう?」


 私の弱った体は妹に助け起こされて、そのまま無理矢理寝台に戻されました。


「けれど……貴女やお母さまに迷惑では……だって大したおもてなしもできないのですから……」


「我が家の前に馬車をつけられて何時間も待機される方が迷惑ですわ! はい、これでお顔と体を拭いて、寝衣も着替えますか、髪も梳かしましょう」


 ダフネに濡れた手拭いを渡されました。


「ダフネ、これ以上彼をお待たせするのは良くないわ。あの、フランソワが良ければ上がってもらって……私は自分で身繕いできるから」


「お姉さまがそうおっしゃるなら、彼をお招きします」


 急いで髪をかして束ね、顔を拭きました。フランソワが部屋に上がってくる前に少しは彼に見せられる姿になったと思いたかったです。着替える時間も体力もありませんでした。


「お姉さま、テネーブルさまがお見えです。開けてよろしいですか?」


「はい、どうぞ」


「クロエ、心配したよ! 少しは良くなった?」


 フランソワは私の枕元まで来ると床に膝をついて私の両手をしっかりと握りました。


「フランソワ、申し訳ございません……」


 彼が私の額に手を当てています。


「どうして君が謝るの? 熱も少しは下がったようだね」


「あの、折角の約束も反故にしてしまって……それにわざわざ来て下さったのに何のおもてなしもできなくて……」


「見舞いに押し掛けたのは僕の方だから、迷惑だったらごめん。それに君は病気なのだからゆっくり休んで早く治さないといけないよ。そりゃあ僕だって張り切っていたから、君が来られなくなったと聞いてすごく残念だったけれどね」


 そこで彼は寝台の上に座り、私に口付けます。私はダフネがそこに居るのに恥ずかしいです、と言いたかったのに口が塞がれていては声も出ませんでした。彼の胸をそっと押して唇を離します。


「フランソワ、妹が見ていますから……」


「妹さんならもう居ないよ」


 彼の言う通りでした。部屋の扉は閉められていて、ダフネの姿も消えていました。


「ねえ、クロエもう少しいいでしょ、あまり君を疲れされるのは本意ではないけれど、しばらく会えなくて寂しかったから」


 そんなフランソワの言葉に心臓がギュッと締め付けられたような感覚に陥りました。


「わ、私もフランソワにお会いしたかったです」


 彼はそこで私の好きなキラキラした笑顔になり、私を優しく抱き締めてくれました。


「クロエ、可愛い。いつもはまとめて上げている髪、こんなに長くて美しいのだね」


 フランソワは私の一つに結んで下ろしている髪をすくい上げて何とそれに口付けています。熱を出して以来私が入浴していないのは彼に分かってしまったのでしょうが、やはり少々焦りました。


「フランソワ、私髪も何日も洗っておりませんので……」


「あ、ごめん……思わず触らずにはいられなくて」


 逆に謝られてしまいました。


「ところで、先日のために連れ込み宿のようなところを予約して下さったのですよね。私が行けなくなって取消料を払うことになったのですか?」


 ずっと気になっていたのです。


「そんなこと心配しなくていいの。君が元気になってからまた今度仕切り直そうね」


 取消料は発生しなかったか、フランソワが全て払ってくれたか、それとも別の女性と行ったかでしょう。追及しないことにしました。


 年末年始が差し迫ってきていて、私は仕事の引き継ぎ、新しい部署での仕事、よろず屋の副業、フランソワはテネーブル公爵家での年越しと新年の行事等のため、仕切り直しは年が明けてから行うことになりました。


「年明けから異動するなんてつい最近聞いて驚いたよ。君が司法に行ってしまったら職場で毎日会えなくなるけれど……まあ王宮の外で会えばいいのだしね。じゃあね、クロエ。しっかり休んで元気になってね」


 フランソワと私は最後に長い口付けをしました。ダフネと母によると彼は焼き菓子を持ってきてくれたのに、お茶も飲まず、お邪魔しましたと言ってすぐに帰って行ったそうでした。




***ひとこと***

フランソワ君、ファーストキスに続き、またしてもお預けです! 仕切り直しは年越ししてからとなりましたぁー。

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