第十四話 真面目女子の願望


 王都のどこかを走っている辻馬車に揺られながら、私は未だフランソワの腕の中に居ました。彼を見上げて大きく深呼吸した後、口を開きました。


「私、あの、お願いと言うのは……貴方に私の処女を奪って欲しいのです」


「ブッ……」


 初めてフランソワと唇を合わせたという熱に侵されたのか、私はかなり大胆になっていました。


「あ、あの、一度だけでいいので、と言うかもちろん処女喪失は二度も三度も出来ることではありませんけれども……初体験はどうしても貴方でないと嫌だと昨晩気付いたのです。わ、私別にその、貴方さまと一線を越えたとしても決して他言しませんから! 本当です、ねやに入る前に誓約書に署名します!」


 昨晩、あの男に良いようにもてあそばれそうになって私は改めてフランソワへの想いを自覚したのです。


 また事件に巻き込まれるとは考えられませんが、もう私は後悔したくありません。その気持ちに後押しされて臆面もなくあられもないことを口走ってしまいました。


 一気にまくし立てた私の言葉に、フランソワは空を仰ぐように頭を上げ、額に手を当てていました。そしてすぐに何故か馬車の床にうずくまり、しゃがみこんでしまったのです。


「どうなさったのですか、テネーブルさま!」


「クロエ、あのね……」


「もしかしてご気分がすぐれないとか? 馬車を止めましょうか?」


 彼は少し顔が赤いようです。昨晩から色々あって、体調を崩されたのかもしれません。私も責任を大いに感じてしまいます。


「君って……自覚してないようだけど、あまりに唐突で直接的で……破壊力ありすぎて……ごめん」


 フランソワは頭を少し上げて私を見ながら言いました。男女間の機微に関しては全くもって鈍感という太鼓判をエレインに押されている私です。私が悪いのにフランソワが謝っています。


 一世一代の告白を頑張ってしましたが、彼の気分が乗らないならしょうがありません。私が相手でもあんな情熱的な大人の口付けが出来たとは言え、フランソワもそれが精一杯でこれ以上の男女の関係に進む気にはなれないのでしょう。


 彼はまだ馬車の床に座り込んでいます。この素晴らしいドレスを汚すのは忍びませんが、私だけ座席に偉そうに座っているわけにもいかず、床に膝をつきました。


「テネーブルさまが私に謝られる必要はございません。謝罪するのは突拍子もないことを言い出した私の方ですわ。あの、ご気分を害されたようでしたら私が申したことはお忘れになって下さい」


 年明けから私は希望の司法院に配属になることが決まりました。年度が変わる前に提出した異動願いがやっと聞き入れられ、仮辞令が出されたのが数日前です。来週には正式に職場全体に発表される予定でした。


 この異動も私の背中を大きく押してくれました。フランソワと一夜を共にしようが、彼に断られようが、その後気まずくなるのは必至です。部署が変わればもう顔を合わせることはなくなるでしょう。


 胸は痛みますが、私は新しい年から新しい部署で仕事一筋に燃えて、父が残した借金ももうすぐ完済、妹も来年には就職して……良いことばかり、なのです。


「いや、ごめんと言うのはそういう意味ではなくてね……クロエ、君のその気持ちはとても嬉しい驚きで、あまりにもびっくりしたから……」


 フランソワはまだ床に座り込んでいますが顔を上げて私の両手をしっかり握ってくれました。彼は満面の笑みを見せながら続けます。


「僕だって次に進みたいのは山々だけれど……だって僕達たった今ファーストキスを済ませたばかりだから。やっぱりデートを何回か重ねて、まず第一章を済ませてそれから第二章にと普通は段階を踏むでしょ。でも君がそれを全てすっ飛ばしても良いって言うなら遠慮はしないよ」


 フランソワは嬉しそうに私の唇に一瞬口付けました。第一章、第二章とは何のことでしょうか、ここでフランソワに聞くよりは後でエレインに説明してもらう方がいいような気がしました。


「ああ、本当ですか? 思い切ってお願いして正解でしたわ」


 フランソワとデート、というのは私も憧れます。彼と音楽会や歌劇に出掛けるのはとても良い思い出になるに違いありません。今ならこの頂いたドレスがあるので一番の問題は解決済みです。


 けれどフランソワの言うように段階を踏んでいたら時間とお金を使うだけです。本当の男女関係になる前に飽きられてしまうと元も子もありません。やはり私は彼にその、処女を奪ってもらうのが一番の目的なのです。


 後から考えるとそれでも勢いに任せてしまって良かったと言えます。そこでやっとフランソワは床から立ち上がり、私も彼に手を取られて二人で座席に座りました。


「ま、まあ……最初に体の相性を確かめるのもいいかもしれないね」


 一度だけ挿入して終わりでも、相性が良くないと出来ないのでしょうか、私には分かりません。


「何せ経験もなくてつたないですけれども、よろしくお願いいたします」


 彼に承諾してもらったところで、次の問題に行き当たりました。自分から言い出したのに、いつ、どこで行動に移すかなど全然計画していません。我が家は壁も薄く狭すぎるし、妹と部屋を共有しているので絶対に無理です。それに次期公爵のフランソワに敷居をまたがせるなんて恐れ多いボロ家です。


 そう言えば世の中には連れ込み宿という場所があるとエレインが以前教えてくれました。旅人が泊まる宿とは目的が違い、結婚前の恋人同士や人に言えない仲の二人が逢い引きする場所なのだそうです。


 私は相変わらずエレインに頼ってばかりです。彼女が結婚して王都南部に移り住むと、今までのように何かある毎に彼女に泣きつくことも出来なくなってしまいます。そんなことをぼんやり考えていました。


「じゃあ、次の休みの前の晩でいい? 君の都合は?」


「大丈夫です。あの、男女の行為に及ぶのはどのような場所がよろしいか、テネーブルさまはご存知ですか?」


 フランソワはクスっと笑っています。私はまた何か変なことを言ったのでしょうか……


 行きつけの宿があるのですか、気になる予算はいくらくらいでしょうか、とあからさまな質問を続けて口に出すのは辛うじてやめました。


「クロエ、僕に任せておいて」


 流石フランソワは経験も豊富なのでしょう。彼のことが益々頼もしく感じられます。何度も言いますが、別に今までは頼りなかったという意味では決してないのです。


 ふと気付くと馬車は私の家の近所を走っていました。フランソワと口付けも出来、私の唯一のお願いも聞いてもらえたところで、丁度帰って来られたようです。


「おうちに着いたようだね。午後はしっかりお休み」


 フランソワは私の髪の毛を優しく撫で、唇に軽く口付けました。彼が馬車から先に降り、私の手を取って馬車から下ろしてくれました。


「何から何までありがとうございました、テネーブルさま」


 地面に降り立った私が彼に軽くお辞儀をすると、そこでフランソワは私の手を引くので私たちの上半身が近付きました。彼が私の耳にそっとささやきます。


「堅苦しい敬語はともかく、フランソワって呼んでくれないとヤッてあげないよ、クロエ」


 そう言えば先程からまたテネーブルさまと連呼していた私です。


「も、申し訳ございません、フ、フランソワ……」


「よくできました」


 そしてフランソワは私の頭をそっと撫で、彼の名前を紡いだ私の唇に、再び一瞬でしたが口付けたのです。我が家の玄関の前で白昼堂々とです。私は真っ赤になって家に駆け込みました。




***ひとこと***

ンガー! キャー! ワァオ! 何と叫んだら良いのでしょうか……馬車は無事家に着きましたが、クロエがとんでもない方向に暴走しております。


ところでフランソワ君が言っている第一章、第二章とは例のアレですね。

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