第八話 切ない恋は止まらない


 王都は初夏を迎えました。もう少しで私も就職して一年が経ちます。この頃には自分でもフランソワに対する恋心を痛いほど自覚していました。


 私が度々フランソワに送られて帰宅していたのは当然の如く家族に見られていて、ある日妹の質問攻めに遭いました。


「お姉さま、最近あの素敵な男の人によく送ってもらっていますよね。彼氏ができたのなら教えてくれてもいいのに! 出会いは職場ですか? なんておっしゃる方なのですか?」


「恋人ではなくて、ただの職場の先輩です」


「馬車から降りる時に手を取ってくれるなんて紳士! 私もそんな恋人が欲しいです。学院の男子は皆ガキなのですもの!」


 人の話を全然聞いていません。


「だからね、ダフネ。彼は先輩で……私は彼のお姉さまの方に良くしてもらっているの」


「まあ、お姉さまったら……小姑の方から懐柔しているのですね!」


 それにガブリエルさまのことを小姑だなんて、身の程知らずで失礼にあたります。




 生まれも育ちも貴族である母の目は、使用人の馬車やフランソワの質素な身なりでは誤魔化せませんでした。


「クロエ、貴女がお付き合いしている方は貴族なのですね。しかもかなり高い位でいらっしゃるのでしょう?」


「お母さまのおっしゃる通り、彼は貴族で次期公爵ですわ。けれど私は男女として交際しているわけではありません」


「社会人の娘の交友関係にいちいち口は挟まないけれども、貴女が身の程もわきまえず恋に溺れて自分を見失うことにならないか心配です」


 そんなことは母に諭されるまでもなく、自分が一番良く分かっているのです。


「テネーブルさまは職場の先輩で、それ以上の関係ではないのです」


「まあ、あのテネーブル公爵家の跡継ぎであらせられるの……」


「はい。ですからお母さまが心配される必要はありませんわ」


「何を言っているの、だからこそ余計不安なのですよ、クロエ」




 エレインも何故か私の近況を知っているのです。思わせぶりな彼女の態度から私は覚りました。ダフネと母から聞いたに違いありません。


「やっぱりクロエにも好きな人ができたのね。貴女の恋が上手く行くことを願っているわ」


「だからね、エレイン。それは違うのよ」


「何も違わないでしょ。貴女のその眼差しは正に恋する乙女のものよ」


「でも……」


 私がフランソワに恋をしていようがいまいが、まず報われることはないのです。黙りきってしまった私の髪をエレインは優しく撫でてくれました。


「女ってものはね、苦しい恋をして綺麗になっていくものなのよ」


 彼女がそんなことを言うととても説得力があります。エレインは彼女がたった十四か十五の時に初めて出会った年上の男性に一目惚れをしました。


 それから彼女はその彼に見合うような女性になるように、彼との恋を成就させるために人知れず努力に努力を重ねたのです。エレインが射止めた恋人のウィリアムさんは仕立屋に生地を卸している輸出入業を営む大商人なのです。先日エレインと彼は婚約が成立して式は来年秋の予定でした。




 私はエレインの店でなるべく予算を押さえてドレスを仕立ててもらおうかと思っていたのですが、結局断念しました。


「ごめんね、エレイン。貴女のお店でドレスを縫ってもらうつもりだったけれど……いつも色々助言ありがとう」


「謝らないで、クロエ。貴女がそんなドレスのことなんて心配する必要はないのよ」


「そうなのよね、別に綺麗なドレスを着る機会もないと思うし……」


 それでも私は自分の身分もわきまえず、美しく着飾ってフランソワと一度だけでも出掛けられないかと夢見ているのでした。エレインは何故かそこで含み笑いをしていました。そんな私に呆れている様子でもありませんでした。




 確かに私がテネーブル家を訪れるようになってから、フランソワから外出に誘われることはあまりなくなりました。それでも私が彼の自宅を訪れるので、以前よりもずっと個人的に顔を合わせる機会は多いのです。そしてテネーブル家に招待された後はいつもフランソワに送ってもらうのが習慣になりました。


 ガブリエルさまとは二人で出掛けることもありました。公園を散歩したり、植物園や王都の図書館に行ってそれからお茶したり、そんな女同士の付き合いの方がその頃は多かったのです。ガブリエルさまは公爵令嬢ですが、遊びにかけるお金がない私が行き辛いような所に私を誘うことは決してありません。


「私もあまり貴族の方々が出入りする場所には参りませんもの」


 彼女はそんな風に謙遜するのです。子供の頃から甘いお菓子が大好きだったというガブリエルさまに、妹のダフネや私が良く行くお菓子屋さんや屋台の話をするととても興味をお持ちのようでした。


 私はあまり贅沢は出来ませんが、調理師希望の妹のお陰で少しは舌も肥えているのです。ですからガブリエルさまと時々甘味の食べ歩きなどもするようになっていました。


 そしてガブリエルさまは何と私に貴重な魔法石の首飾りも作ってくれたのです。その魔法石は半透明の青緑色でした。フランソワの瞳の色と同じで、嬉しくなりました。


「まあ、綺麗ですね。こんな珍しいもの、私が頂いて本当に宜しいのですか?」


「もちろんよ。これは私の大切なお友達であるクロエさんのために作ったのですから。僅かながら魔力も込めました。お守り代わりに持っていてくれると嬉しいわ」


「ありがとうございます。大事にします」


 私は早速それを首から掛けて肌身離さずいつも付けています。時々それを取り出しては光に反射して美しく輝く魔法石を眺めてはフランソワのことを想い、ため息をついていました。




 私は高級文官として応募する際に出した志願書に第一志望の部署を司法院と書きました。結局、第二志望の財政院に配属されたのです。就職してからの数か月は財政の仕事もやり甲斐がありました。けれどやはり私には司法の方が向いているのでは、と最近とみに思うようになったのです。


 同じ部屋の先輩ポリーヌさんにも相談すると、私なら司法でもどこでも十分やっていけると背中を押してくれました。ですから私は思い切って司法への異動願いを提出しました。


 財政院では隣の部屋で働くフランソワと毎日のように顔を会わせるのです。それに彼がどこの誰と出掛けて、誰と交際を始めたなどという近況が嫌でも耳に入ってくるのです。本当は気になってしょうがない私でしたが、別の院に移るとそんな噂を耳にすることもなくなると思います。そういう理由でも、なるべく早く異動したかったのです。


 そして再び秋を迎え、私が就職して一年経ちました。残念ながら私の異動は叶いませんでした。もうしばらくは財政院に留まることになります。現在の部屋での同僚や仕事内容に不満があるわけではないのです。ただ、学生時代に法律を主に学んだ私は自分の力を試してみたいのです。次の機会は年明けの人事異動でした。


 私はいつまでもガブリエルさまの好意に甘えていてはいけないと分かっています。彼女と女同士の友情を築いていた私ですが、天下の公爵家を訪れる頻度も少なくしていこうと決心していました。



***ひとこと***

シリーズ作中に何度か出てきた魔法石です。毎回恋人同士や親子がペアで持っているこの魔法石です。ガブリエルは二人の恋を実らせようと協力を惜しみません。

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