恋心

第七話 テネーブル公爵家の皆さま


 妙なことにそれからというもの、私はガブリエルさまの方と急速に仲良くなっていきました。


 初めて会った時にガブリエルさまは馬車の中で子供時代のことも話してくれました。彼女は大魔力を覚醒する前は家で本ばかり読んでいる引っ込み思案で大人しい女の子だったそうです。


 大魔術師となった今でも性格は変わらず、読書好きはそのままで地味で社交的でもないと謙遜されていました。そしてテネーブル家のお屋敷には沢山の本があるから何でも貸しますと言って下さいました。私はただの社交辞令かと思っていました。


 しかし、数日後にガブリエルさまから本当にお誘いがあったのです。私が以前から読みたかった既に廃刊になっている古典全集を貸しますから仕事帰りに屋敷に寄りませんか、他にも好きな本を何冊でもどうぞ、とのことでした。


 フランソワと顔を合わせるのが少し気まずかったのですが、断るのも失礼ですし、何と言っても本の誘惑には勝てませんでした。その日の夕方は公爵家の馬車でガブリエルさまと二人でテネーブル家に向かいました。


 私たちが馬車を使っていたらフランソワはどうやって帰宅するのか疑問でしたが聞きませんでした。王宮から歩けない距離でもありませんし、公爵家が所有する馬車はもちろん一台だけではないのでしょう。




 テネーブル家の書庫に案内された私は時間も忘れて沢山の蔵書に目を通していました。個人の屋敷内とは思えない、まるで小さな図書室でした。私が一人夢中で本を漁っていたところ、ガブリエルさまが戻って来られました。


 その日は夕食までテネーブル家でよばれてしまいました。公爵夫妻にもちろんフランソワも同席していました。公爵夫妻はフランソワやガブリエルさまのご両親とあって、私が想像する高級貴族とは少々違いました。


「フランソワの職場の後輩でガブリエルとも仲良くして下さっているのね、クロエさんは」


「子供達がいつもお世話になっているね」


 お二人が私を心から歓迎して下さっているのが分かりました。お世話になっているのは私の方なので、恐縮してしまいました。先日少々失礼な態度を取った私にフランソワは気分を害している様子もなく、終始にこやかでした。


「クロエさんは仕事が出来て、気も利いて、新人なのに同僚に既に大いに頼られているのです」


「だったらフランソワも本当にお世話になっているのね。彼の方が先輩だと言うのに」


「いえ、そんなとんでもないですわ」


「フランソワは成績も中の上くらいで、高級文官の試験もぎりぎり合格したわけだし」


「父上、それをおっしゃらないで下さいよ、僕の先輩としての威厳が……」


「それに苦手な仕事は後回しにしていつも締め切りぎりぎりで、同僚の助けを借りているみたいですし、ミスもよくしているって聞いていますわ」


「母上まで!」


 それは本当でした。隣の部屋の私でも知っています。フランソワは仕事が出来ないというわけではありませんが、要領が良いとはお世辞にも言い難いのです。それでも同僚の方々に信頼されていて部屋の皆さまと仲良くしているのです。隣の室長もよくフランソワを怒鳴っているらしいのですが、実は部下として可愛がっているという職場の皆さまの話です。


 公爵夫妻と食事だなんて、と最初は緊張していた私も、和やかな雰囲気で意外にも食事と会話を楽しめました。


 帰宅時には辻馬車を呼ぶと言い張った私でしたが、ガブリエルさまに押し込められるように馬車に乗せられました。先日乗った使用人用の馬車でした。


「ガブリエルさま、何から何までありがとうございました。それに私に気遣って馬車まで変えて下さって……」


「いいえ、私が言うのもなんですけれど、フランソワはかなりの世間知らずでクロエさんの立場や気持ちを考えないことがありますから。それ故、時々一人で突っ走ってしまうこともね。私も姉としてちょっと心配なのです」


 ガブリエルさまはフランソワよりは庶民の生態に詳しいのです。というのも、彼女の片割れのザカリーさんは庶民の生まれだからです。ガブリエルさまは彼がまだお母さまのお腹に居た頃から、生まれてすぐ貴族に養子に入るまで、彼の実家に毎日のように通っていたそうなのです。ザカリーさんの実家は私の家の近く、同じ地区です。


「いえ、そんな。私がこの馬車を占領して、使用人の方々にも迷惑ではないでしょうか?」


「いいのですよ、実は使用人たちには新しい馬車をあつらえたのです。それで今はフランソワがこのお古の馬車を普段使いにしているの」


「まあ、そうなのですか? でもテネーブルさまがお使いになるにしてはこの馬車は……」


 フランソワ自身が普段使いのために二台目の馬車を購入するならここまで質素な中古車にしなくてもいいのに、と私は不思議に思いました。


「あら、フランソワから聞いていなかった? まあ、いいわ。うふふ」


 何がウフフなのでしょうか、ガブリエルさまは含み笑いをされています。




 それから私はガブリエルさまに本を借りるためにテネーブル家を頻繁に訪れるようになっていました。彼女に誘われ、テネーブル家のあの書庫の魅力にはあらがえるはずがありません。夕食もよばれることがよくありました。


 私のようなみすぼらしいドレスを着た者が度々天下の公爵家に出入りして、ご家族と一緒に食事までとっているのです。私に給仕してくれる使用人の方が質の良いものを着ているのでは、と思わずにはいられません。


 それでも流石公爵家の使用人は教育が行き届いています。私を見下したり差別したりということもなく、うやうやしい態度を崩すことはないのです。


 ご両親の公爵夫妻が不在で、姉弟二人だけで食べるのは味気ないから、とガブリエルさまに頼まれて同席することもありました。フランソワと二人きりで食事をいただくこともありました。ガブリエルさまはよく片割れのザカリーさんのところを訪れるからです。


 そして私の帰宅時には必ず例の使用人馬車で送って下さるのです。辻馬車を呼びますから、と私がいくら言ってもガブリエルさまは聞いてくれません。


「フランソワは今晩友人達と飲みに出掛けるから、ついでに彼がクロエさんもお家まで送りましょう」


「そんな、とんでもございません。私は一人で帰れますので、テネーブルさまにお手数をかけるわけには……」


「でも、もうフランソワも着替えて馬車は玄関前で待っていますから」


 そんなことを言われると私も断りきれません。私を送る時にはフランソワは質素な上着を着ます。初めて送ってくれた時、彼が馬車から降りるのを私が拒否したことを根に持っているのに違いありません。それ以降フランソワは私を送る時には一目で貴族と分かる身なりはせず、必ず私の家の前で先に馬車から降りて私の手を取ってくれるのでした。


 そして度々フランソワに送られて帰ってくる私は家族だけでなく、近所の人々などにも目撃されていました。




***ひとこと***

ガブリエルや彼のご両親にもクロエは可愛がられているようです。しかし、肝心の恋のお相手フランソワ君は……今のところアッシー君止まり!? 将を射んと欲せず先ず馬を射るのみ、とでも言うのでしょうか!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る