第六話 カルティエ バ・ラシーヌへの道
― 王国歴1117年 年初
― サンレオナール王都
年が明けたある日、遂にフランソワに家まで送ってもらうことになってしまいました。
「クロエ、今日僕の馬車は修理中だから使用人の馬車で来ているんだ。それに姉も一緒に帰宅するからついでに君も送って行くよ」
全然ついでではなく、遠回りになるのです。
「大魔術師のガブリエル・テネーブルさまもですか?」
そんな王国の有名人に会えるだなんて、私はハイと言う方にかなり傾いていました。
「うん、だから二人きりじゃないし、安心して?」
安心するのはフランソワの方です。変な噂が立って困るのは私ではなくて彼なのですから。結局フランソワに押し切られてしまいました。
ガブリエルさまは黒魔術師という名の通り、美しい黒髪に瞳もほぼ黒と言ってもいい濃い茶色です。私よりも小柄な神秘的な美人で、上品でとても優しそうな方でした。馬車で彼女とフランソワの向かいに座り、私は緊張してきました。
「大魔術師のガブリエルさまにお会いできるなんて光栄ですわ」
「そんな、私魔術以外何の取り柄も無いのですよ……」
謙遜して照れるガブリエルさんはとても可愛らしいのです。私よりも五つも年上なのに可愛いという形容詞がぴったりです。
「瞬間移動もお出来になるのですよね。移動されるのに馬車を使う必要がおありですか?」
「強い魔力を持っているからと言って、濫用は避けているのです」
大魔術師だと言うのに謙虚な方です。フランソワだって、次期公爵ですが、威張りちらすこともなく、職場の皆さんとも同等に仲良くしているのです。お二人共、身分は王族に次ぐ高さだというのに気さくで大らかなのは家風なのでしょう。
「私でしたら出勤時間の短縮のために毎日のように瞬間移動してしまうと思います」
「まあ、うふふ」
「魔術というものは使いすぎると尽きてしまうものですか?」
ガブリエルさんはお喋りな方ではなく、むしろ口下手なようです。それでも私の素人発言にも丁寧に答えて下さいます。
私はしばらくガブリエルさんと二人で話をしていました。別の業種の方と話が出来るだけで新鮮な体験でした。私も自然と笑みがこぼれていました。フランソワは会話に加わるでもなく、ニコニコしながら私達の話を聞いているだけでした。
私たちを乗せた馬車はバ・ラシーヌの庶民の住む地区にさしかかっていました。
「ああこの辺りはザックのご両親が……」
ガブリエルさんは窓から外を見て言いました。
「え?」
「あ、いえ、ごめんなさいね。何でもありませんわ」
ザック、ザカリーさんとはガブリエルさんが黒魔術師として覚醒した数年前、まだお母さまのお腹の中に居て、その時にガブリエルさんの片割れとして白魔術師の力を授かったという方なのです。確かまだ初等科に通っている少年です。
覚醒するほどの黒魔術を持つ者の片割れは大変珍しい白魔術を使うのです。そしてその二人は互いの相反する魔力によって心身共に強く惹かれ合うそうなのです。私も本で読んだことがあります。
話を聞くだけだとロマンティックですが、ザカリーさんはまだ子供で、ガブリエルさんはもう二十代半ばなのです。二人には大きな歳の差という壁があるのでした。
ガブリエルさんは窓から見える貧困街を思い入れのある様子で眺め、口を閉ざしてしまいました。私はザカリーさんの話題には触れず、彼女をそっとしておくことにしました。
「クロエの家も近いの?」
フランソワに聞かれました。
「はい、もうすぐ着きますわ」
私は自分の近所の案内をするべきか逡巡していました。フランソワにあの角に行きつけの八百屋が、反対側には肉屋が、などと言っても彼にとってはつまらないだけです。私の勤めるよろず屋の近くも通りました。今週の特売は南部の港から届いた香辛料と咳止め薬で、早めに来店しないとすぐに売り切れるからなどと教えてもしょうがないです。
それに、職場の人々には副業まで入れていることを言いたくはありませんでした。知っているのはポリーヌさんだけです。
「クロエには妹さんが居るのだよね」
「はい、彼女は調理師になるための勉強をしています」
家族の話もできればしたくありませんでした。亡き父親や破綻したジルベール男爵家の話題になるのは避けたかったのです。
馬車の中に沈黙が流れました。私が会話を続けないことを気にするでもなく、フランソワは穏やかに微笑んでいました。彼は馬車に乗り込んだ時からずっと私の顔を見つめているので、妙に目が合うばかりしています。
その後すぐに私の家まで着きました。それにしても、テネーブル公爵家の御者の方はこの付近などまず来ることはまず無いと思うのに、私が言った住所だけで迷うこともなく着きました。王都中心部のこんなごみごみした、道路もろくに整備されていない地区なのに流石です。
私に手を貸そうと男性のフランソワが先に降りようとしましたが、全力で止めました。
「テネーブルさま、私大丈夫です。一人で降りますから。貴方さまがその立派なお召し物で馬車からお降りになるところを誰かに目撃されでもしたら大変です、後で追い
キラキラ王子様に手を取ってもらって馬車を降りているところを家族や近所の人に見られると……後で彼らから根掘り葉掘り詮索されるに決まっています。
私はお二人に丁寧にお礼を言い、馬車からさっと降りて家に入りました。私は台所の窓から馬車が去って行くのを見送っていました。
「このボロ借家を見たからにはフランソワも流石に私に愛想がついたでしょうね」
本当は見られたくなかったのです。私はそっとため息をついて妹と共用している部屋に入り、着替えました。
フランソワと一緒に出掛けるまでもありませんでした。もう私に対する興味も好奇心も完全に失せ、誘われることもないでしょうからドレスも必要ありません。
ところがその翌日、再びフランソワに歌劇に誘われました。
「テネーブルさま、どうなさったのですか? 誘う相手をお間違いですよ」
「クロエ、何気に酷くない? どうしてそんな事言うの?」
「だって貴方さまは昨日私がいかにみすぼらしい所に住んでいるかご覧になりましたよね。バ・ラシーヌですよ」
「うん、まあ確かに豪邸とは言えないね」
これは重症です。世間知らずのお坊ちゃまもいいとこです。
「ですから、昨日私を送って下さったことで、私が如何に次期公爵の貴方さまがお気に留めるような人物ではないと確認なさいましたよね」
「もしかして、クロエ、そのためにわざわざ僕が送って行くっていう申し出を受け入れたの?」
「はい、そうです」
「僕自身ともっと仲良くなりたいからではなくて?」
彼の懇願するような眼差しに、心臓をギュッと掴まれたような感覚に陥りました。
私がもし、小さくても貴族に相応しい屋敷に住んでいて、綺麗なドレスを持っていて、お洒落で美しくて胸も大きければ自信を持って彼の誘いに乗れるのでは、と悲しくなりました。完全な無い物ねだりです。
「私は川の反対側に住む人間ですわ。私たちの間には決して渡ることの出来ない、広くて急な川が流れているのです」
「僕、しばらく浮上できないよ」
そう言って去って行く彼の背中を見ていると、まるで私が彼を傷つけたかのような気分に陥り、後味の悪い罪悪感を覚えました。
***ひとこと***
前作「子守唄」の第五話に当たる今話、次期公爵フランソワ・テネーブル氏のあの手この手の頑張りも虚しく空振りする様は笑い、ではなく涙を誘います。コンプレックスの塊のクロエは一筋縄ではいきませんね。
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