後日談 汝、深入りする事勿れ

 室長は、通常業務が終わった後、祥子の机を掃除することとなった。

 本来であれば、本人がすべきことなのだろうが、それは叶わない。

 なぜならば。


失踪しっそう……か」


 ため息をつく。この現代社会において、なかなか起こることではない。

 勤務態度も良好、仕事や会社で悩むことは特になかった。そう、両親と付き添いの若い女性に資料を開示しつつ釈明した。

 若い女性のほうは何か思い当たる節でもあるのか、何度も繰り返し尋ね、確かめていた。


「……」


 思い出す。先週は確かに普段とは違う何かを感じた。

 席を外す回数が多く、どことなく仕事に集中も出来ていない雰囲気であった。

 普段、実直で仕事に対してもストイックなので、すぐに違和感を感じるレベルであった。

 プライベートで何かあったのだろうとは思ったが、こういうご時世だ。男の上司が女性の部下を気に掛けること自体、ともすればご法度はっとであるため、気づかないふりをしていたのだが。

 ただ――、あれは確か、水曜日に声をかけた時のことだ。

 あの瞬間、私を見る目は明らかに異様なものであった。まるで、幽霊かお化けでも見たかのように、恐怖におののき、血の気のない顔をしていた。


「……」


 今の時代、コミュニケーションは難しいな、と溜め息を零しつつ、袖机やキャビネットの中から文房具や書類、身の回りの品を机の上に出す。

 仕分けを行い、私物は段ボールへ入れていく。

 そんな作業を三十分ほど行い、あらかた整理が終わる。最後に小物などが奥にまぎれてないかチェックしていると。


「む……?」


 見慣れない、ハードカバーの本が引き出しの奥から見つかった。


「おかしいな」


 既に整理を終えた引き出しだ。こんな厚みのある本を見逃すはずはないのだが。

 机の上に置く。

 何の飾り気もない、タイトルすら書かれていない茶色の本は、逆に好奇心をそそられる。少しくらいはいいだろうか、と指が本に誘われるようにゆっくりと近づく。

 が。


「いや、いかんな」


 我に帰り、開けずにそのまま段ボール箱の中に入れる。

 触れた瞬間、耳元に虫のような鳴き声のようなものが、キィキィ、と一瞬聞こえたような気がしたが、それも離すとすぐに消えてなくなった。

 得も言えぬ気持ち悪さと悪寒が舞い込む。


 直感的に分かった。これは、——良くないものだ。


 緩衝材を入れるのも忘れ、ガムテープで厳重に段ボールの封を閉じる。

 さほど重いものもなかったのに、少々やり過ぎではあったが、こうでもしないと落ち着かなかった。その時、男は多量の汗をかいていることに今さらながら気づいた。


 忘れよう。


 男は目を閉じ、そう心に誓う。

 なんじ、深入りする事なかれ、だ。



 ヒライシンのシタで (了)

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ヒライシンのシタで 南方 華 @minakataharu

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