最終話 ヒライシンの、シタで

 アトウとの待ち合わせ場所は園内の、あの大観覧車の前だった。

 到着すると、既にアトウは手前のパラソル付きの白いテーブルが並ぶ中の一つ、備え付けの椅子に座って、待っていた。

 見た目は先日より少しだけおしゃれだ。

 袖なしの白いブラウスにデニムのホットパンツを着て、素足に砂色のサンダルを履いている。白い肌は病的なまでに透き通っていて、青さすら感じるほどだ。

 そして、あの美しい黒髪は、今日は麦わら帽子で幾分か隠れていた。


 アトウとの時間はあっという間に過ぎた。

 先週ほんの少しの時間を過ごしただけだというのに、彼女との時間はそれを感じさせないほど自然に、まるで何年も連れ添っていたかのような安心感と繋がりを感じる。

 ジェットコースターに乗り、直落下型のアトラクションに乗り、昼食を食べ、少し休憩し、アシカショーを見て、体感型のゲームを楽しみ、


「祥子ちゃん、楽しいね!」

「うん!」


 イチゴケーキのデザインが特徴的なカップに乗ってくるくると回転し、そして。


「いっぱい遊んだね」

「うん……」


 私とアトウは大観覧車のゴンドラの中に居た。

 時間は既に夕方五時を回り、世界は段々とオレンジに染まりつつあった。

 お互いに肩を寄せ、その手はしっかりと繋がっている。

 ずっと、そうだったように。


「ね、アトウちゃん」

「なぁに」

「その……ありがとう」


 私はそう言って繋いだ手の握りしめる力をほんの少しだけ強める。

 アトウは、それにさも当然のように、同じようにしてくれる。

 それだけで、私の心に溢れていた痛みや苦しみが抜けていくのが分かった。

 そして、代わりにどうしようもなく満たされた気持ちにも気づいた。


「アトウちゃん。これからお姉ちゃん、変なこと言うね」

「うん」

「その、これからもずっとアトウちゃんと居たい」


 止まらない。


「好き。驚くかもしれないけど、お姉ちゃんはあなたのことが好き。その、友達とかじゃなくて、本気で好きで。ごめんね、変だよね」

「……おねえちゃんは変じゃないよ。だってね、……ふふっ、あたしも」


 どこから声が響いたのか、わからない。

 ただ、てっぺんまで上った観覧車の一室で、私の唇は、そして心は、彼女に奪われていた。


     *


 粟立つような身体の熱そのままに、観覧車での短い時間、私はアトウと言葉を交わし、何度も口先を通わせた。

 このまま一緒に居たいという言葉で、私は気持ちがく。

 ゴンドラを降りると、はやる感情を抑えつつ、手を繋いで一緒に歩いていく。

 そして、目の前の広場、この前酷く泣きらしていたあの場所に来た時。


 不意に、アトウの手の感触が消えて無くなる。


「アトウ、ちゃん?」


 振り向く。

 そこには、あの日と同じ。まったく同じ光景だった。

 大観覧車の避雷針ヒライシンシタで、夕日を背に、濡烏ぬれがらすのように青みがかった髪をなびかせ。


 少女が、立っていた。


 ただ、この前と一つだけ違うところがあった。

 とても楽しそうに、たのしそうに口元をゆがめ、わらっていた。


 周りを見回すと、誰もいない。

 先程まで居たはずの家族連れも、スタッフも、忽然こつぜんと姿を消していた。

 急に背筋に冷たいものが走る。


「アトウちゃん、あなたは……一体」


 その時、場違いな明るいメロディが流れる。

 慌てて端末を取り出し、発信者を見る。そこには「木下瑞美」とあった。

 すぐに電話に出るも、雑音が酷い。


「しょう——、ごめんね、わたし——でも、本当にわたし、祥子ちゃんのことが」


 好き。

 

 急激に冷えた身体で、瑞美のそれがやけにクリアに響く。

 それは、彼女からの、初めての言葉こくはくだったのだと気づいた。


 音すら出なくなった端末を落とし、目の前の存在ソレ茫然ぼうぜんと見る。

 少女は、少女であった。

 でも、同時にそれは、「瑞美」にも見えた。

 

 ソレが何かを呟いた、その瞬間。

 少女の後ろにそびえ立っていた、人間をたやすくほふることが出来るであろう切っ先を持った巨大な鉄針が歪む。

 それはまるでとぐろを巻くへびのように滑らかに螺旋らせんを描き、少女のすぐ隣に寄り添う。

 心底に冷たい風が染み入るように急速な悪寒が祥子の全身にまとわりついていく。

 何時からなのか。

 見逃していた、というより全てが違和感だらけだったのに、なぜかそれに気づけずにいた、ここに至るまでの現実が、脳内を駆け巡る。


 あの日、誰と一緒にいたのか。

 あの時、話したのは誰なのか。

 私は誰と愛し合っていたのか。

 私は誰の声を聞いていたのか。

 そもそも、こんな少女が一人居て、おかしいと思わなかったのか。

 いつから、いつからおかしくなったのか。


 ——え、え、え? 旅行? いつの?


 瑞美のその言葉が思い出される。

 あの電話が、最後のチャンスだった。

 あそこで気づけていれば。

 そんなことはありえないのだと信じることが、疑うことが、出来ていたら。


 目の前の少女はゆっくりと歩き、一歩も動けない哀れな女のすぐ前まで来る。

 そして。それは脳内にキィキィと響き渡る。


『祥子ちゃん。やっとのことを見てくれたね』

『ようこそ、旧世界の支配者の領域へ。おめでとう、はてより来た飛来神かみに愛されし者』

『きみの全てはあたしのもの。ね……?』


 れた果実のように色付きが肉感的な舌が、ゆっくりと延びる。

 首筋を這うそれが「既に幾度も経験した快楽であることに気づいた時」、気持ち悪さと甘美で脳がショートしそうになる。 

 そして、生き物のようにうごめく鉄針が、足に柔らかく絡みつき這いずる。

 それは、さらに細い幾千幾万もの何かにすり替わり、肌を撫でる。

 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ちいい。

 あは、と童女のような純な笑いが青く昏い世界に木霊する。


 あ、あ、あ。

 なんで、なんて——。

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