殺し損ねた夏のあと
上斗春
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夏は確かに弱っていた。ほんの数日前に僕が起こした事件によって、少しだけ生温くなっていた。
「適材適所」という言葉があるけれど、重大な事件の犯人役にも、適した人間というのが居ると思う。
アングラ社会に止むを得ず足を踏み入れた青少年、産まれながらのサイコパスや、捨て身のホームレス、エトセトラ。
僕は違った。いわゆる「犯罪者予備軍」になってしまうような環境とは、程遠いところで暮らしてきた。
犬派だけど猫をカッターで切り刻んだ事は無い。共働きの親は深夜まで帰ってこないけれど、代わりに夕食を共にする友人がいる。
ポンコツだけれど可愛い彼女も作った。中学の時のプールで一目惚れして、別々の高校に進学したあとも、何度もデートした。遊園地、公園、互いの家——。
最近では僕の誕生日に合わせて、内緒でマフラーを編んでくれた。
秘密事項のはずなのに、何故か僕はそれを知っていた。いつもそうだ。彼女の「内緒」は詰めが甘いので、大抵どこかで漏れて、僕に伝わってしまう。
そんな所も好きだった。
下手くそなサプライズを終えた後に見せる、あの悪戯っぽくて太陽のように明るい笑顔が大好きなんだ。
家庭環境から成績まで、至って普通の男子高校生。
『本当にいいやつでした。顔も格好よかったし』
ワイドショーに取材された同級生は、カメラに写る自分に興奮しながら、そう言うに違いない。
『信じられないです、マジで。夏を殺そうとした犯人が、アイツだなんてさ』
そこで画面は切り替わり、スタジオに戻る。専門家は唸りながら、「犯人」の精神や最近の若者についてなんかを分析するのだろう。清楚系の女子アナは真面目な顔でフリップをなぞり、ハッとした顔で、
「あ、でもこの犯人のヒト、結構カッコイイですね」
とかなんとか、可憐な声で言っちゃったりして——
「——君ね、ちゃんと聞いているのか」
可憐で滑らか——ではなく、苛立ちを抑えたオッサンの猫撫で声が、僕を現実に引き戻した。
ヘラリと笑い「すみません」と謝ると、中年の刑事の目からは光が消えた。額にはうっすらと青筋。どう見ても武闘派のベテラン刑事は、ポーカーフェイスが苦手らしい。
数年前までの取り調べでは、本来の声の大きさを活かして容疑者を恫喝してきたのだろう。
「ホントの事を言え!」「ネタはあがってんだ」、机をドン、容疑者は涙目。そこで態度をコロリと変え、「おふくろさんが悲しんでるぞ……」
という感じだろうか。取り調べの可視化が進んで良かった、と安堵するばかりである。刑事からすれば、やりづらい環境になったのだろうが。
まぁ、もし部屋の四つ角に設置されたカメラがなかったとしても、僕は大声で強請られるまでもなく全てを吐き終えてしまった。
ネタ(証拠って意味だよな?)があがっているのだって分かりきっているし、抵抗なんて無意味だ。
「あ、そう言えば、カツ丼ってないんですか」
「ない」
「……この部屋、暑いですね。やっぱり夏が生き残ってるな」
「署全体で省エネ中だからな」
刑事さんのこめかみがピクリと動いた。
「もう一度、確認するが、君が殺したんだな?」
「……そうですね、未遂に終わりましたが」
至極マジメに答えたのに、刑事さんは眉間を揉んで深く溜息を吐いた。机を挟んだこちら側までその空気が漂ってきそうで、 僕は少しだけ顔を顰める。
「誰に脅された訳でもないんだな? 親や、友人や、裏社会の——」
刑事さんは頭皮を掻き、人差し指で机を叩く。焦れるような苛立ちが、灰色のスチールデスクを通して伝わってくる。
正直に言うと、ちょびっとだけ感動した。
僕みたいなクソガキを保護するために、こんなにも時間を費やしてくれているのか。
有難いと頭を下げたくなると共に、申し訳なくなった。事件を起こしたことに対してではなく、裏社会や虐待の尻尾を掴んで、この暗い取調室に持ち込んでやれなかったことに。
ただ、無いものをでっち上げる事は出来ない。刑事さんを見据え、しっかりと告げる。
「これは僕の決めたことです。誰かに脅された訳じゃない」
年を感じさせる深爪気味の太い指は、もう一度灰色のデスクを叩く。
今度は苛立ちを逃がすのではなく、僕の目の前に置かれた「ネタ」を指し示すためだった。
「これの端から端まで、君がやったのか?」
「はい。もちろん」
「ネタ」は、1枚の写真だった。僕の部屋の写真。
数日見ていないだけなのに、酷く懐かしい。その締め切った空間を満たしていた、2人分の体温が蘇る。
小学生の頃から変わらない青のカーテン。同じ色のベッドに、ロケットの模様がついた掛け布団。床を埋め尽くすように置かれた夏の残骸。
踏み潰されて沈黙したソーダアイス。「当たり」の字を削られた木の棒と、支柱に絡んだ茶色の朝顔。投げ出された縄跳び。割れたラムネ瓶に挟まったビー玉。折れた団扇。萎んだヨーヨー風船、切り裂かれた赤と白の浮き輪。その他、褪せたサマーカラーの死体。
刑事さんは痛ましそうに眉を寄せ、首を振る。
「一体どうして、こんなことを」
僕は首を傾げる。——どうしてだろう?
言語化するのは難しい。いっそ僕を魚のように切り開いて、胸の内側を直接見て欲しい。
確固たる思いはあるのだ。衝動的にしか沸き起こらない激情を、準備している間の何日も持続させて、犯行に及んだのだから。
「襟元が痒かった」
「なんだって?」
「襟元が痒かったんです、暑さで。ええと、風呂から上がった時に。だから決めたんです。夏、殺そうって」
「そんな事は聞いてない」
刑事さんはまた、苛立ちを無理に抑えるような、ねっとりした猫撫で声に戻った。僕が変な屁理屈をこねだしたと思っているらしい。
全て本当の話だ。部屋着に使っている体育祭のクラスTシャツはポリエステル100%で、汗を吸わない。着替えたばかりの下着はエアコンのない脱衣所で汗を吸って、すぐに濡れる。
汗だくの中、どうしようもなく痒い襟周りが、叫び出しそうになるほど嫌だった。本当にそれだけなのだ。
「僕は、話を聞かない隣人を殺したんです……」
ふいに虫唾が走るような痒さを思い出し、首のあたりを掻きむしりたくなる。生憎、両手は後ろで縛られていた。
「アレはクレームを聞き入れてくれません。言うことを聞かないんです。だから、僕が快適に過ごすために、殺すしかなかった」
「人も夏も、君の所有物じゃない」
「そうだけど」
もどかしい。刑事さんの言っていることは尤もだけれど、僕の心に従うならば、夏を殺す方が正しかったのだ。
「みんなは夏が思い出の買い時だと思って、必要以上に欲しています。アイス、夏休み、あとは……夏祭りとか、プールとか。そういう夏の象徴的なものを、壊しました」
僕は写真の中の残骸を視線でなぞって言う。
「君が思う、夏の全て?」
「はい。その結果がこれです。なかなか悪くないでしょう? 退廃的なエモさがある」
刑事さんは「エモい」を知らないらしい。浅黒い顔は険しいままだ。
「君はね、履き違えているよ」
とん、とん、と机を打つ規則的なリズムと共に、刑事さんの声は、まるで夏が死んでいくように温度を失っていく。
「何を?」
「誰も君を責めないよ。君が夏を嫌いで、部屋いっぱいにラムネを撒き散らしたって、怒るのは親くらいだ」
目の前に座る男より、二周りほど若い婦警がドアから入ってきた。刑事さんに小声で何かを告げ、素早く去っていった。
刑事さんはもう一度溜息を吐く。やはり油っぽい。昼食は何だったんだ? いや、年齢のせいか?
「……どうやら、君の言うことは間違いないようだ」
「エモいって話ですか?」
「遺体とマフラーに付着していた皮膚片は、君のものだった」
「マフラー? それは、冬のモノです」
「彼女は必死に抵抗した。その証拠だよ」
話が噛み合わない。
「殺人罪は未成年であっても重い処罰を受ける。ある意味、君は数年夏から逃げられるわけだ」
「逃げる? 僕は夏を殺したいんだ。罪状を付けるなら、殺夏未遂でしょ」
刑事さんは答えない。屈強な若い男が2人現れて、僕を立ち上がらせる。わけが分からないまま、引きずられるように留置所に戻された。
マフラー?
マフラーを持ち込んだのは彼女だ。……あ、そうか。僕の誕生日は、ちょうど3日前だった。僕は差し出されたそれを首にかけ、白々しいくらい大袈裟に喜んでみせたんだ。
夏にマフラーをプレゼントするだなんて、本当にポンコツだなぁと思うけれど、王道の少女漫画が好きな彼女らしくもあった。
彼女は「してやったり」という風に、ひまわりのような笑顔を見せた。僕が大好きなヤツだ。少し褪せたレモンイエローのワンピースに、良く似合う笑顔だった。
そういうことか。あの日に彼女が冬の象徴であるマフラーを持ち込んだから、殺夏計画が成功しなかったのかもしれない。
僕は本当に、あの鬱陶しい襟元をどうにかしたかっただけなのだ。夏の象徴を持ち寄り、全てを汚し、残骸も悪くないことを示す。夏の存在意義を壊す。
自由になった両手で喉をガリガリと掻いた。めくれた皮膚に爪が食いこんで、痛い。あの日の彼女も同じようなことをしていた。
マフラーは彼女に寄り添って、床に落ちた。僕はそれがどうしても捨てられなくて、放置していた。
冬の象徴を打ち消す為に、潰したアイスをあと1、2本、追加で転がしてしておくべきだったろうか?
夏を殺し損ねた。
空調の風が生温く、埃臭い。夏は確かに弱っていた。
「殺し損ねた夏のあと」
殺し損ねた夏のあと 上斗春 @_Haru-urah_
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