第49話 【侯爵家と炎帝の学院入学試験 9 】

 イーグリア侯爵の執務室へと来た俺達。


「メアリス、案内ご苦労さま。……とりあえず僕もこれを捌き終わったところだから少し休憩しようと思っていてね、適当に軽食と飲み物を持ってきてくれないかい?」


 イーグリア侯爵は視線を移動させて、メアリスさんを見ながらそう話した。


 イーグリア侯爵の机上に視線を向けてみると、そこには大量の……それも果てのないほどの量の書類が、直方体の塊を作りあげて幾つも積まれていた。


 内政や書類仕事なんかについては俺は経験はないし、詳しくはよく分からないが、あれだけの量の書類となれば、俺だったらチェックするだけでも何日かかるか分からない。


 しかしその対極には、恐らくは既にチェック済みの書類が、これまた積まれて大量に置かれていた。


 イーグリア侯爵の言葉からして恐らくそれらは、今日中に全てチェックしたものだという事が分かる。


 見たところは体感や筋肉の付き方からして、武術の心得は無いのだろう……しかし、そんな光景を見ていると、強さでは負けないはずであるのに、俺は恐怖……いや畏怖を覚えられずにはいられなかった。


「かしこまりました。御館様」


 そして俺がそんな事を思っていると、前方にいたメアリスさんはとても丁寧な口調でそんな事を呟いた。


 そうしてくるり、と身を翻して執務室から一時退出する。


 ……まあその際にも、何故か俺は彼女に目の敵みたいにされてしまったが。


「いや、済まないね。メアリスは良い娘なんだけどね、少し思い込みが激しいところがあってさ」


 イーグリア侯爵のその言葉……どうやら、メアリスさんの事を俺が気にしているという事を見抜いたらしい。


「……いえ、気にしていません……というのは嘘になりますけど、まぁあのような態度をとられるのは初めてじゃないですし……できるだけ気にしないようにします」


 冒険者育成学校や、それこそ最近でいえばガイゼルやラーゼンだってそうだ。


 もちろん嬉しくはないのだが……しかし、できるだけ引きずらず、気にせず上手く受け流すという技術を使って、俺は過ごしてきたのだ。


 今更、少女一人ぐらいに……そして恐らくは、その理由としては平民の俺が気に入らないとかそこら辺だろう。


「まぁ、立ち話もなんだし座ってよ……レイラもね」


 そうしてイーグリア侯爵は手で来客用のソファをを示してきたので、俺は素直にその好意に甘える事とした。


 ……まあ、さすがの俺でもイーグリア侯爵が、こう言ってはなんだが、少し変わり者であるということは理解できた。


 普通の貴族というのは、基本的に平民を見下している……とまではいかないが、しかしあまり好んで接しようとは思わないだろう。

 こうして面会をするなんて、もってのほかだ。


 ……が、しかしイーグリア侯爵はそれだけではなく俺をソファに座らせるという行為まで進めてきた。

 これでは、俺とはほとんど同じ目線での対話となる筈であるのに。


 ……レイラからは、あまり貴族や平民なという括り、身分は気にしていないと聞いていたが、どうやら本当であるらしい、ということを再実感した。


「ここまでの馬車の旅はどうだったかい?馬車というのは基本的に、精神的な面でとても窮屈だからね。とても疲れただろう?」


「……いえ、イーグリア侯爵が最高級の馬車を用意してくれたおかげで、大変快適に過ごすことが出来ましたよ」


「そうかい?それは良かったよ。でもまあ、言ってみれば君はお客様だからね、手を施すのは当たり前さ。面子の問題もあるしね」


 そんなやり取りをする。


 しかしこうして向かい合って、改めて見てみるとやはりイーグリア侯爵には疑問を覚える。


 レイラが俺と同い年という事から、イーグリア侯爵は少なく見積っても、三十代後半だろう。


 ……が、その顔にはシミも浮腫むくみも全く無く、まるで二十代前半の若青年のような、整った顔をしているのだ。


 うん……全くもって不思議だ。


 そうして数分ほど会話をしていただろうか……何となくイーグリア侯爵は俺の事を、俺はイーグリア侯爵の事を理解してきた頃に……イーグリア侯爵のその顔がキュッと引き締まる。


 物理的に、では無く精神的な面で……雰囲気的にというべきか。

 未だその顔にはどこか楽しそうに笑みを浮かべていたのだから。


 恐らくは今日俺がイーグリア侯爵に呼ばれた理由などの説明がこれからあるのだろう。


 俺はそんなことを何となく考えて、「ふぅ……」と深呼吸をしてから、気を張り替えた。


(へぇ……こういう気配には敏感、と)


 そんな俺の様子を見てイーグリア侯爵は心の中で不敵な笑みを浮かべながらそんな事を考えていたのだが……当たり前だが俺はそんなことは知る由もない。


「世間話はここぐらいにしておこうか。……君も気になっているのだろう?」


「……そうですね」


「まぁ、それを説明する前に……とりあえず自己紹介でもしておこうか」


「……自己紹介、ですか?」


 イーグリア侯爵は間違いなく、俺のことは知っているはずである。

 何故なら、レイラ宛に送られた手紙にはハッキリと俺の名前が書かれていたのだから。


 俺が頭の中でそんな事を、疑問を抱きながら考えていると、イーグリア侯爵は微笑を浮かべながら、口を開いた。


「……まぁ、いいじゃないか。知識としては知っていても、会うのはこれが初めてなんだしさ。聞くところに、君はであるんだろう?そんな相手のことだ。しっかりと本人の口から聞きたいと思うのはおかしいかい?」


 子を持つ父親としての気持ち、か。


 俺に子供なんてのはいないし、父さんの事も何も覚えていないので、気持ちは分かるはずがない。

 ……という事で、「……まぁ、そうだな」と考えた俺は、イーグリア侯爵の言葉に従うこととした。


「えと、では改めて……リングランド帝国帝都リンドヴルム支部所属、ランクD……いえランクC冒険者のカノン・シュトラバインです。冒険者として登録してからはまだ一ヶ月も経っていない若輩者ですが……今はレイラとパーティーを組ませてもらっていて、まぁ名ばかりですけど一応パーティーリーダーも務めています。……まぁ長所としては少し腕が経つ、ってことぐらいですかね」


 少し長文になったが、俺はとりあえずそう口にした。

 俺のその言葉を聞いたイーグリア侯爵は何故か「うん、うん」とどこか満足気に笑みを浮かべながら、何度か頷いた。


「僕はジェルマン・イーグリア。皇帝陛下からは侯爵位とこのイランダルを頂戴しているよ。どうかよろしくね」


 すると、今度はイーグリア侯爵が柔らかい口調で自己紹介をしてくる。


 まぁ、事前情報としては知っていたのだが、確かにこうして実際にやり取りをしていると、どこが感じるものがった。


「さて、次はレイラだ」


「ん」


「おかえり、と真っ先に言えなかった僕を許して欲しい。なにせ、レイラが友達を連れてくるのは、初めてだったからね。どうしてもカノン君に興味を抱いてしまったのさ」


「大丈夫。私もお父さんとカノンに仲良くなってもらいたいし、お父さんだって私を蔑ろにしてた訳じゃないっていうのは、分かるから」


「ふふっ、相変わらずよくできただよ」


 俺から視線を外したイーグリア侯爵は、今度は自身の娘であるレイラと話を始める。


 レイラはもうしばらく実家に帰省していないと、馬車の中で話していたので……恐らくは数年ぶりの親子の再会となるのだろう。


 イーグリア侯爵は恐らくはレイラの成長ぶりに驚愕と、そして嬉しさをその瞳に滲ませている。

 一方レイラは先程の憂鬱な様子はなく、久しぶりに家族と再会したという事に対しての大きな安心感や信頼感をもっていた。


 これが家族団欒の時間と言うものなのだろうか?


 俺はよく分からなかったので不意にそんなことを思ってしまったが、しかし水を差すのもどうかと思われたので、無言で微笑むだけであった。


「……で、そこのカノン君はもしかして?」


「ん、私の好きな人」


「ぶっ……!!きゅ、急に何を!?」


 すると、イーグリア侯爵は面白そうな雰囲気を醸し出しながら、なんとそんな質問をレイラにぶつけたのであった。


 この人は一体何を考えて……。

 というか、レイラもレイラで恥じらいの様子も無しにそんな事を軽々しく口にするのね。


 ……とまぁ、俺は予備動作も何も無い、あまりに唐突すぎるそのやり取りについそんな反応をしてしまった。


「……へぇ、それはそれは。昔から男の影一つなかったレイラがねぇ……ふふふ、今日はおめでたい日になりそうだ。……よし、レイラと義理の息子になるカノン君を祝うパーティを開催しよう」


 って、だからこの人は一体何を言ってるんだ!?


 というか普通、娘に恋人を紹介されたら「貴様に娘はやらん!!」とかいうあたりの反応を示すものだろう。


 ……いや、レイラとは別に恋人じゃないけどさ。


 そして、それなのにこの人はレイラのあの発言をどこか楽しんでる節もあるし。


 その上とても気が早い。

 今回の場合は、パーティとか義理の息子とかの事である。


「もうそれは良いですから、早く本題に入ってください!!」


 もはや俺は恥ずかしさに耐えかねて、そう叫ばずにはいられなかった。


 そんな俺を見たイーグリア侯爵とレイラは、親子だからというべきなのだろうか、共になにか微笑ましいものを見たかのような微笑を浮かべたのであった。


『コンコン』


 そしてそんな瞬間、部屋の扉の向こう側から規則的なノックの音が聞こえてくる。


「失礼致します」


 ギィィ……という鈍い音をあたりに響かせながら、そのままドアが開いた。


「あぁ……ご苦労さま」


 そうして先程執務室から一時退出して行ったメアリスさんが一礼をして、今度はティーカップやティーポットなんかを載せているお盆を、手のひらに乗せながら入室してくる。


 ……というか、お盆を動かさないままお辞儀をするって、とんでもない高等技術だよな。


 俺はこの瞬間、メアリスさんというメイドの力……いや、嗜みの一端を見たような気がした。


「こちら紅茶と軽食となりますね」


 そうしてイーグリア侯爵の言いつけ通り、軽食と飲み物を持ってきたメアリスさんは、イーグリア侯爵や俺達の所へと歩み寄って切ると、各々の前にそれらを差し出すのであった。


 紅茶も軽食のクッキーも、とても高級品であるということが分かる。

 さすがは貴族といったところなのだろう。


 そして、素早く作業をこなしたメアリスさんはまたもやイーグリア侯爵に一礼をして、そのまま部屋の隅の方へと移動したのであった。


 何か有事の出来事があった際のために、あそこで待機しているのだろうが……まぁ、相変わらず俺の事をじっと見つめてくるメアリスさんだったので、俺は意識的に気にとめないこととした。


 ただその瞳にあるのは憎んでいる、怒っている……とかそのような感情ではなくて、何か対抗心を抱いているような感じであるのだから……憎めない。


「……さて、じゃあ何から話すとしようかな」


 メアリスさんの入室により、場の空気が一度ゼロにリセットされて……そうして、どこかシリアスな雰囲気が漂う中、イーグリア侯爵は一人げにそう呟いた。


 相変わらずレイラはぼうっとしているが……俺はもう内心では動悸が激しく、緊張によってとても興奮していた。


 どうしても、過度に物事を考えてしまう。


「……うん、とりあえずくどいのは嫌いだし、単刀直入に言うとするよ」


 どうやら、今回の話の趣旨であるようだ。

 まぁ俺としては結局何が言いたいのか分からない話の前座を聞かされるよりも、単刀直入にバッサリと言ってもらった方が、その後の話にもついていきやすいので良いのだが。


 そのまま柔らかの微笑を浮かべるイーグリア侯爵は俺……ではなく、隣にいるレイラへと視線を運びながら告げた。


「レイラ、君には近い内に炎帝学院に入学してもらう……今日君達を呼んだのは、そのための話をする為なんだよ」

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